第23話 桂男 3

 二日ほど男の死体と一緒に過ごしてから、佐伯はよろよろっと立ち上がった。

 男の言葉がずっと頭の中をぐるぐると回っている。

 ふらふらと公園を出て交番があったので立ち寄った。

 良いことを教えてもらったせめてもの御礼に男の死を誰かに伝えたかった。

 警察へ通報しておけば何かしらの処置はしてもらえるだろう。

 男の所持金はもうわずかだったが男は目的を持って歩き出した。

 まずは部屋を探して、それから仕事を探す。

 復讐を依頼するのだからそれ相応の金が必要だろう。百万か二百万か。

 その為の金を貯めなければならないし、相手のあの憎い女の居所を探さなければならない。純那といったあの派手な女。やってもいない罪をでっちあげられ、何もかもなくしたのだ。仕事も家族も。真面目に生きてきた佐伯にはあっという間の地獄への落下だった。えん罪だと家族は信じてくれても、会社、近所の目は違う。

 誰も彼もに白い目で見られているのは感じても、全てに言い訳して回る事も出来ない。 

何もかも無くした時にあの純那という女を殺して、とも思った。

 自分はあの女を殺して死んでもいい。

 だが、自分の娘はこれからも生きていく。

 離婚しても娘には血の繋がった父親だ。

 娘の為に不名誉な事実を残すわけにはいかない、それだけを思って生きてきたのだ。

 だが、あの女に復讐が出来るなら公園で寝転がっている場合ではない。

 働かなければ。金を貯めなければ。

 純那の居所を探すのは簡単だった。

 久しぶりに乗った満員電車。

 その時の情景が脳裏を横切る。

 心臓がばくばくして手に汗を握る。

 端っこの壁の方を向いて、カバンと雑誌をそれぞれの手に持つ。

 両手が塞がっているという事実を自分で作り上げる。

 必死の思いで電車に乗る。もしかしたらという思いだけだったのだが、純那はいた。

 朝、早くだというのに派手な格好で、満員電車の中に立っていた。

 周囲は皆が出勤するようなスーツ姿の中で純那は浮いていた。

 すけすけのドレスに高く結い上げた上がった茶髪。

 細い白い腕に大きく開いた胸元。

 佐伯はじっと純那を見つめた。

 自分を地獄に落とした女を同じような目に遭わせてやる。

 絶対に、絶対に、許さない。

 佐伯はじっと純那を見つめた。



「鳴宮!」

 と声をかけられて、鳴宮が振り返った。

「え、桂さんじゃないですか! 久しぶりですね!」

 やけにハイテンションになった鳴宮が言ったので、青女房はつうとその背中から這い出した。日中はあまり顔を出すなと鳴宮には言われているのは、たまに霊感を持つ人間がいるからだ。そっとしておいてくれればいいが、あんたには女の悪霊がついていると言ってくる者もいるので困ってしまう。

 見て見ぬふりをしている人間もいるだろうが、なまじ本物につかまると面倒くさい。

 映画に出てくるような悪霊ならともかく、青女房はすばらしく美しい娘の姿をしているので、神だ!!とか言ってくる人間もいて辟易していたところだ。

 だが鳴宮のハイテンションに女を口説いているのでは!と青女房がそっと顔を出すと、「あれまあ、桂男ではないか」

 と青女房が言った。

「?」

 目の前の男はやけに気障な表情と仕草で青女房を見た。

 ジャケットにジーンズというラフな感じの装いだが、高級腕時計に革靴もバッグもセンスのいいブランド品だ。すらっとして背も高い。

「青女房、桂さんを知ってるのか?」

 と鳴宮が言い、青女房は

「鳴宮こそ、桂男を知っておるのか……そうか、お前の前職からして桂も知ってて当然じゃろうなぁ」

 青女房がそう言うと、桂男と呼ばれた男は鳴宮と青女房ににこやかに笑いかけた。

 闇屋と出会う前の鳴宮の職はホストである。

 学歴はないが口がうまく社交的な鳴宮はホストとしては成功していた。

 だが酒や煙草、客とのつきあいで身体も精神も病んでいくホストは多い。

「何だ、鳴宮、妙な気をまとってるから取り憑かれたかなと思ったら、どうして青女房なんかを背負ってるんだ? ってか、青女房、いつからそんなに美人になったんだ? 婆さんじゃなかったっけ?」

「大きなお世話やで」

 と青女房はつんと横を向いた。

「桂さん……青女房を知ってるんですか?」

 不可解そうな顔の鳴宮に、

「まだ気がつかんのかえ? 桂男は妖やで」

 と青女房が言った。

「え! ええ! ま、まじすか?」

 仰天した鳴宮に桂男はくっくっくと笑った。

「まあ、今まで人間に看破された事はないな」

「すげー。知らなかった……どうりであんだけ酒飲んでてよく身体壊さないなーと思ってたんですよね。それに桂さん、全然、夜、休まないし。体力あんだなーとか皆で話してたんですよね」

「まあな」

 ふっと優しい微笑みを浮かべる桂男に青女房が、

「そりゃあ、ホストなんて女の生気喰らいまくりやろうから、身体なんか壊すかい。逆に生気を吸い取られた女の方が死に至る場合もあるんやで」

 と言った。

「え、女の生気を吸い取る?」

 と鳴宮が青女房と桂男を交互に見た。

「そうや、こいつは人間の生気を吸い取ってそれを自分の糧とする妖や。一人の人間から大量に生気を吸うとその人間は死んでしまうからな。それでは人間界では生き難い。そやからホストなんぞして大量の女から少しずつ吸い取ってるんやろ」

「へ、へえ」

 鳴宮はまじまじと桂男を見た。

「そっか、ずっとナンバーワンだからすげえと思ってたんすけどまさか……桂さん、客が途切れたこともないし、月に一千万くらい稼いでますよね? 半ばもう伝説のホストだからな~~」

「なにが伝説のホストや、あほらしい」

 と青女房がそっぽを向く。

「何だよ、桂さんはすげえんだぜ。出会った女は絶対に夢中になるし、落とせない女はいなかったんだぞ。ホストだっていろいろなキャラを作ってるから客だってその中から好きな顔やキャラを選ぶ、でも百人中百人の客が桂さんを好みって言うしな!」

 と何故か鳴宮が興奮したように青女房に言った。

「あほや……ほんな鳴宮はあほや……」

「な、なんだよ」

「そんなん桂男の術にはまってるだけや……」

 そう言ってから青女房は鳴宮の背中の方から両腕を回してきて、一瞬、鳴宮に目隠しをするような素振りをした。

「え?」

「ように見てみい、桂男を」

 青女房は鳴宮顔から目隠しを外した。

「ん? 桂さんが何だって言うん……ち、ちっさ!!!!」

「おいおい、やめろよ。青女房、後輩の前で恥かかせんじゃねえよ」

 とやはり気取った感じで桂男がそう言った。

「ちょ……まじっすか?」

 鳴宮の目の前にはどう見ても百センチくらいしかない三頭身ほどの小太りでうっすらハゲな男がいた。

「え?」

「これが桂男の正体や。桂男は相手に理想の人間に映って見えるんや。百人中百人が桂男を選ぶんは当たりまえや、それぞれが自分の好きなように相手を見てるんやからな」

「えー、嘘」

「女から吸い取った生気を妖気に変えてそしてまた新しい女を誘い出す為に美しく装うのが桂男の本能やからなぁ。桂男は古来から月に棲み、霞のでる夜に女を誘う為に現れるんや、昔は笛や琵琶もたしなんでたしな、美しい装いで女を誘うのは桂男にとっては日常に息をするようなもんや」

「まいったな。鳴宮、内緒だぜ?」

 ふふっと笑って少ない髪の毛をかき上げる仕草をする桂男に鳴宮は呆然とした。

「……」

 長い間、伝説のホストと信じていた鳴宮は能面のような顔になっている。

 桂に憧れていつかは桂さんのように!という目標を持っている仲間が大勢いたからだ。

「それで? 鳴宮は今は何をしてるんだ? ホストは廃業したんだろ?」

「あ、あー、今は……」

「鳴宮は闇屋のあにさんのとこで一生懸命働いてるんや」

 と青女房が自慢げに言った。

「まじかよ、闇屋の客引きでもしてんのか?」

「まあ、そんなとこです。桂さん、闇屋の兄さんと知り合いなんですか?」

「別に~~~あんな中途半端な半妖野郎とは知り合いでも何でもねえな」

 と桂は闇屋にあまり良い感情を持っていないようだ。

「え、何かあったんですか? 闇屋の兄さんと」

「いや、俺はあんな人間だか妖だか分からんどっちつかずの半端な野郎が嫌いなだけ」

「でも兄さんは……」

「鳴宮、こんなとこで桂男と遊んでる暇はないんやで、あにさんのとこに行く途中やろ」

 と青女房に言われて鳴宮は一瞬、桂男から視線を外した。

「あ、ああ。じゃあ、桂さん、また」

 と再び桂男の顔を見た時にはもう、すらっとした高身長、整った顔に爽やかな笑顔の男になっていた。

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