第22話 桂男 2

「そんなこんなでねぇ、私は何もかも無くしたんですよ」

 ははは、と佐伯は自虐的な笑みを浮かべた。

「く、くやしいな」

 隣で聞いてくれる男は苦しそうな声でそう言った。

 公園のトイレの裏だ。

 最近の佐伯の居場所は公園のトイレの裏だった。

 職も家族も家も失った佐伯は人生をやり直す気力もなかった。

 日がな一日公園のベンチや噴水のへりに腰をかけていただけだ。

 身なりが汚くなってくると、人から蔑まれた目で見られるのでトイレの裏に逃げるようにして隠れた。

 トイレの裏には先客がいた。

 酷く身体が悪いらしく、足が曲がり、四つん這いのような形で蹲っていた。

 着ている物も元はスーツだろうが、今はただの布きれで異臭を放っている。糞尿も垂れ流しのままでろくに物も食べていない様子だった。

 先が長くなさそうな男と二言、三言言葉を交わすようになり、自分が何故落ちぶれたかを話すようになった。

「痴漢えん罪なんて……まさか自分の身に降りかかってくるとはねぇ」

「そ、そのままでいいのか」

「え? そりゃあ、よくないですけど……今更裁判したって、もうどうにもならないですしね」

「ふ、復讐してやればいい……そうだ! 復讐だ!」

「え?」

「そんな女はし、死んで償わせるべきだ! そうだ……お、俺だけどうして俺だけがこんな目に……俺だけが悪いのか? 俺だけが……」

 男はぶつぶつと呟く。

「え? ちょっとあんた……大丈夫かい?」

 この人、もう駄目だな、頭も錯乱してるようだしな、と佐伯が思っていると、男はじろっと目を剝いて佐伯を見た。

 血走って、酷く何かを憎んでいるような目だった。

「俺は……復讐されている……今、この時も、俺に取り憑いた悪霊が囁く。死をもって償えと……女と赤ん坊だ……」

「復讐って……」

「本当だ……世の中、不思議な事があるもんさ、悪霊……ばけもんは存在する。俺の身体をこんなにしちまった……身体中が痛い、耳元ではつねに女の恨み言と赤ん坊の泣き声が聞こえる……だのに、頭はいつだって正常なんだ……狂っちまう事すら許されないんだからな……」

「あ、あんた……一体何をしてそんなに怨まれ……」

「ぶ、部下だった女に子供が……子が流れたのを俺のせいだと……まあ、俺のせいには違いない……へっへっへ、階段から突き落としたからな……愛人に子供なんか産ませられないだろう……」

「……」

「あんたも復讐すればいい……やみやのあにさん、といつも女が言ってるぞ。彫り物師とも言ってる……やみやを探せ……きっと復讐してくれ……る。この世の者じゃない何かが……憎い相手を俺のように酷く酷く苦しんで死ぬようにするだろう……体中、痛くて、ずっと女が囁いてるんだ……赤ん坊も……笑うんだ……さえこ……」

「え、ちょっと、あんた!!」

 消える前のろうそくが輝くように男は一瞬だけ過去を振り返ったが、すぐに大人しくなり、そしてもう二度と目を開けなかった。 


「闇屋……彫り物師……」

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