第19話 目々連 9

 みやこの眼球刺青は珍しがられたが、カフェはすぐにクビになった。

「どうしたの? その目……」

 真理が目を大きく見開いてみやこを見た。

「うん、これは……ちょっとね」

 クビになるのは覚悟の上だったので、事務所で私物をまとめながらみやこは真理に最後の挨拶をした。真理以外の人間は遠巻きにみやこを見るしかなく、店長はみやこの顔を見た瞬間に「もう明日から来なくていい」と言っただけだった。

「大丈夫なの? あの男に無理にやられたんじゃないの?」

「ううん、違うの。真理ちゃん、今までありがとう。あたしね、本当に楽しかった」

「みやちゃん……」 

 接客業ではクビは仕方のない事だ。

 みやこももうカフェで働く気力もなかった。

 藤田の所へ謝りに行く勇気がなかった。

 みやこはただ一日中、部屋で寝転んで、笑っているだけになった。

 みやこの左目にはいつも藤田が映っているのだ。

 みやこは一日中、藤田の姿を見て過ごした。

 藤田は斉藤に受けた暴力の傷が癒えた後は、変わらず学生生活を送っている。

 友人達と他のカフェで語らったり、自分の部屋で勉強したり、飼い犬と遊んだり、たまには女の子とデートしたりした。

 普通の大学生らしい暮らしにみやこはまるで青春映画でも見ている気分だった。

 自分は経験のない暮らしだった。 

 裕福そうで優しそうな両親に、立派な家。お洒落で可愛い妹に、賢そうな飼い犬。

 生まれ変わるなら飼い犬でもいいから藤田の側で暮らしてみたい。

 そんな事を考えながらみやこは毎日ずっと藤田を見つめていた。

 斉藤はそんなみやこに対して殴ったり蹴ったり、脅したりの暴力を加えたがみやこはもう泣いたり謝ったりしなかった。目を瞑ってじっとしているだけだ。

 瞑った目の中には藤田が微笑んでいるのだから。

 みやこにはもうそれだけでよかった。


 だが終焉は必ず来る。

 藤田の様子がおかしくなった。

 だんだん痩せていき、歩いていると足がもつれて転んだりするようになった。

 何かにつかまらないと立ち上がれないほど力がなくなり、生き苦しそうに胸を押さえる。

 やがて病院へ運ばれる。


「藤田君……どうしたんだろう?」

 みやこのつぶやきに末っ子がこれが限度だ、と考えた。

(ふじたはしぬ)

 と末っ子はみやこに言った。

 みやこの体内にいる末っ子はみやことの意志の疎通が可能だった。

「え? どうして藤田君は死ぬの?!! 

(みやこがみつめているから)

「あたしのせい?!」

(そう)

「ど、どうして?」

(みやこがふじたをみつめる、ふじたはせいきをうばわれる、そしてしぬ)

「嘘……じゃ、じゃあ、見ない! もう藤田君の事、見ないから!」

(ぼくはみつめるのがおやくめ、ふじたをみないのはできない)

「駄目! そんなの駄目! お願い! 藤田君、死ぬなんて嫌! お願い! 助けて!」

 みやこはかがみの中の自分の左目を見た。

 黒目の横に小さな目玉が一つ。

「お願い、藤田君が死ぬなんて嫌だ!」

(……)

「お願い、お願いします……何でもする。あたしに出来る事なら何でもするから!」

 みやこは真っ暗な部屋で手鏡を握ったまま土下座をした。

(……もういちどあにさんのところへいってそうだんしてみればいい)

「あの彫り師さんの?」

(みやこのいのちとこうかんになってもいいなら)

「あたしの命と?」

(そう、みやこがかわりにしぬなら)

 みやこは手鏡の中の末っ子に、にっこりと微笑んだ。

「ありがとう! 藤田君の代わりになれるならそうする! あたし、バカだから毎日つまんなくてもどうしていいか分からなくて、でも、最後に凄く楽しかった! ありがとう!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る