第14話 目々連 4
「いらっしゃいませ、ご注文をお伺いします~」
と言う声が店内から聞こえてくる。
みやこはバックヤードで制服に着替え、腫れた顔を化粧で隠した。
斉藤もみやこの顔を殴る時は加減をする。
みやこが働いているのは駅前のお洒落なカフェで顔に殴打の跡などあれば問題だといういう事くらいは斉藤でも分かっているようだ。
駅前のカフェは制服が可愛く働く娘も美人が多い。
みやこは色白でぱっちりとした二重瞼の美人だった。染めているわけではないが、栗色のふわっとした髪の毛に小さい顔、細長い手足も注目を集める。
時間通りにみやこは裏口からカウンターへ入っていった。
さっとカウンターー内で交代し、みやこは無理矢理笑顔を絞りだし次の客へ声をかけた。
「いらっしゃいませ、ご注文をお伺いします」
「えーと、カフェラテのアイスとチョコレートマフィンを一つ」
「カフェラテアイス。チョコマフィン一つですね」
「はい……あれ、吉田さんじゃないの?」
名字を呼ばれて、みやこは正面からまともに客の顔を見た。
「えっと……あ、藤田君……だっけ」
「そう。ここでバイトしてるんだ」
「うん」
受け答えをしながら注文された品を用意し、みやこはトレーを藤田に渡した。
「ありがとうございました」
「ありがと」
藤田は爽やかな笑顔をみやこに向けると、トレーを持って空いている席へと歩いて行った。
「ちょっと、イケメンね」
少しの客の途切れに隣のレジの寺岡真理がみやこの脇をつついた。
「うん、中学んときの同級生。すっごい頭が良くて、いい大学行ったみたい。生徒会長でバスケ部で優しい人でね、ほんとすっごいもててたんだよ」
みやこは中学時代を思い出した。
密かに憧れていた藤田隆。小学、中学と同じで、ずっと見つめてきた。
思いを告げるという意志はなかった。
自分は頭も悪くて、素行も悪かった。家庭環境も悪いし、そのうえ中卒だ。
藤田みたいな優等生には嫌われるタイプの女子だったのは知っている。
ただ遠くから見ているだけでよかった。
しばらくして藤田はトレイを手に立ち上がった。みやこは気づかれないようにそっと目の端でその姿を追う。
藤田はカウンター内にいるみやこに少し手を振ってから店を出て行った。
みやこの胸がとくん、と鳴った。
中学校時代、体育館で練習するバスケ部の藤田を堂々と眺めていたのは友達だった。みやこは付き添いと言う名目でこそっと見るだけだった。
派手な仲間にいるみやこと真面目なスポーツマンの藤田の接点は同じクラスなだけだった。それでもその頃の思い出は今でも大事な宝物だ。
みやこはとくん、と鳴った自分の想いがなんだか嬉しかった。
それからみやこは藤田がカフェに来ると少し言葉を交わしたり出来るようになった。
携帯電話の番号やアドレスを交換するような仲ではない。
ただ顔見知り程度の間柄だったが、みやこはそれで満足だった。
大学の帰りに通る道らしく、二、三日に一度くらいの頻度で藤田はカフェへ顔を出す。
みやこは毎日、朝から晩まで出来る限り、バイトのシフトを増やした。
藤田が来るはずない時間でも想像だけで楽しめる。
接客にも力が入り、働く事が楽しい。
「何か最近、楽しそうだよね」
とバイト仲間の真理からもからかわれる始末だ。
「うん。最近、ちょっと働くの楽しい。前はだるいってばかり思ってたけど」
とみやこは答えた。
「楽しいって思えるならいいことじゃん!」
「うん」
「最近、みやちゃん、オシャレもちゃんとしてるもんね」
「え、そうかな」
「前はジャージとかで来てたじゃん。バイトとはいえどうなの? とか思ってたけど。みやちゃん、美人なんだから、ちゃんとしたらいいのにと思ってたんだ」
「あ、そうかな」
「そうだよ。まあ、興味がないなら放っておこうって思ったけど、最近なんだか綺麗になったし」
「あははは」
みやこは照れて大きな声で笑った。
「私語禁止!」
と背後からマネージャーの厳しい声が飛んで来て二人は慌ててカウンターの前の方を向いた。
「あのさー、人の彼氏をどうのこうの言うのもあれだけど、みやちゃんの彼氏? 考えたほうがいいんじゃない?」
と真理が言ったので、みやこは驚いたように真理の顔を見た。
シフト時間が終わり、バックヤードの更衣室で着替えをしていた時だった。
「え……」
「お節介かもしれないけど、みやちゃんの彼氏、お迎えとかいって店の裏によく来てるけど、その度にみやちゃん、お金渡してるよね?」
「う、うん」
「搾取されてるんじゃないの?」
と言う真理をみやこは見た。
寺岡真理は真面目な容姿の女子大生だ。黒髪に眼鏡、私服は地味な色合いが多いがきちんとしている。みやこのようにジャージやサンダルでバイトに来ているのを見たことがないし、バイトとはいえ仕事の面でもきちんとしたよく働く人だ。
「好き……とかじゃないけど……一緒に暮らしてるし」
「あの人、仕事してるの? みやちゃんだけ働かされてるんじゃないの?」
「え、仕事は……」
斉藤が何をしているのかみやこは知らなかった。
ヤクザの使いっ走りは仕事と言えるのかどうかは分からないが、とにかく兄貴分の呼び出しを受けて出かけていく事はよくある。いつも顔を腫らして戻ってくるのは何か失敗をして怒られているのだろう、とは推測できる。
「まあ、好きで好きで涙が出るほど好きなの! あの人の為になら身を粉にして働くわっていうなら止めないけどね」
「……心配してくれるんだ。ありがと」
「だってみやちゃん綺麗だし。言っちゃあ悪いけど、もっといい人いると思うよ。この店にだってみやちゃん目当てのお客さんでよっぽどましなのいるでしょ? まあ、なんか相談に乗れることがあったら言ってよ。じゃあ、お先に」
重そうなカバンを肩にかけて真理は更衣室から出て行った。
残されたみやこはしばらく考えていたが、それでも行くあてのない身では斎藤から離れる勇気がなかった。
とぼとぼと店を出ると斎藤が待ち構えていた。
「遅いじゃねえか!」
「あ、ごめん」
斎藤がすぐに怒るのでみやこはすぐに謝る癖がついていた。
バイト先から出てくるのがいつもよりも五分やそこら遅れたぐらいで怒鳴られる筋合いもない、と真理なら言い返すだろうがみやこにはとても言えない。
余計な事を言って顔でも叩かれたら、明日のバイトに差し支える。藤田に会えるのだけが楽しみの今、それだけは避けたかった。謝って斎藤の気がそれるならそれでいい。
みやこは今のほんのささやかな幸せを壊されたくなかった。
「何だか機嫌がよさそうだな、良いことでもあったのかよ」
「え」
みやこは怯えた顔で斉藤を見た。
「別に何も……」
斉藤はみやこのバッグから財布を取り出して中を覗いた。
「しけてんなぁ」
ありったけの札を取り出し、財布はみやこに投げつける。
「お前、カフェなんか辞めて、水商売行けよ。いいこと探してやっからよ」
「え……」
嫌だ、とみやこは思った。酒は飲めないし、酒を飲む大人も嫌いだった。
それにカフェを辞めたら藤田に会えなくなる。藤田とは特に進展もない。ただ笑顔を交わすとか、少し世間話をするというだけの関係だ。
それでもみやこには大切な時間だった。
「中卒のお前が金を稼ぐっていったら水商売か風俗くらいしかねえだろ」
「い、嫌だよ」
「バカで中卒で、ちっとばかり顔がいいのしか取り柄がねえんだからよ。な?」
「嫌だ! カフェを辞めるのは絶対嫌!」
カフェを辞めるのは嫌だった。その先がないのは分かってるし、自分は何も出来ない駄目な人間なのは分かっている。でも今、藤田に会えなくなるのは嫌だった。
「俺の言うことがきけねえってのか!!」
みやこの自分に対する態度は些細な反抗でも気に入らない斉藤は、みやこのふとももの辺りを力強く蹴飛ばした。
「痛っ、痛いよ、丈二くん……」
「うるせえ!」
かっとなった斉藤はみやこを蹴り続ける。
こうなるとみやこは謝り続けるしかないがその言葉も斉藤の耳には入らない。
夕方、駅近くの繁華街には通行人も多いのだが、それらの目を避けようともしない。
視線にさらされる事を恥じとも思わず、むしろ女にしつけをする自分が格好いいとまで思っているふしもある。
「明日から風俗行けよ。ちっとの辛抱だからよ。な、稼いだら、パーッと外国でも行こうぜ、南の国でよ、のんびりしようぜ。お前、綺麗だしよ、絶対ナンバーワンになれるからよ。月に百も二百も稼げるんだぞ。ちょっとの間の我慢だ」
と斉藤は耳元で機嫌をとるように囁いた。
「嫌だ…カフェのバイト……辞めるのだけは勘弁して……」
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