第11話 目々連
「鳴宮」
と背中から呼びかけられて、鳴宮は振り返った。
鳴宮の背中には青女房という図柄が闇屋の手によって彫り込まれている。
青女房は素晴らしく美しい娘の図柄だった。
川蝉色の着物に蒲公英色の帯、桜の枝と桜吹雪を背景に手には小槌を持って青女房は立っている。出で立ちは素晴らしく美しいが、鳴宮に呼びかけるその声と口調はしわがれた婆さんのようなものだった。
振り返ったところで自分の背中は見えやしないのだが、呼ばれたらつい返事をして振り返ってしまうのが人間の性だ。
「どうした?」
「あんなぁしばらく、あにさんのとこへ行くのはやめておいたほうがええで」
「はあ? どうして?」
素っ頓狂な声で聞き返す鳴宮に青女房は口ごもる。
「行ったら分かる」
「行くなって言いながら理由は言わずに、行ったら理由は分かるって。謎解きか?」
鳴宮はエアコンのスイッチを切ってから立ち上がった。
フローリングに白い壁、カウンターキッチンの普通の若者らしい部屋だが、青女房の強い要望でフローロングの半分は畳を敷いている。
鳴宮の身体から抜け出した時は畳の上が居心地が良いらしい。
青女房は元は闇屋の元にいた図柄だった。顔中疣だらけでしわくちゃ、白髪頭も地肌が見えるほどに薄かった。歯は抜け落ち骨に皮を被せただけの醜い老婆だったのだが、闇屋の手によって美しい姿に彫り直され、今は鳴宮の背中に棲み着いている。
「行くの嫌なら留守番してるか?」
「留守番は嫌や。鳴宮がおらんようなったら自由に動けんしな」
青女房は鳴宮の生気をわずかに分けてもらっている。
他の図柄のように闇屋の肌に棲みつき、その呪力によって生きているわけではないので、人間を殺傷する能力はない。ただ、鳴宮の背中で可愛らしくおしゃべりをするぐらいである。
「どうしたんだ? いつもはあにさん、あにさんと、闇屋の兄さん大好きだろ?」
「あにさんは好きや……」
中途半端に呟いてから、その後は黙りこくってしまった青女房に首をかしげながら鳴宮は闇屋の元へ出かけて行った。
「おはようございまーす」
「刺青 闇屋」と書いた木片を吊ってある入り口から入った鳴宮はやけに室内がしーんとしてるのに気がついた。
いつもならば闇屋の肌から抜けだした餓鬼がひもじいひもじいと呟きながら何かを囓っているか、蔵ぼっこの小鬼達が走り回っているか、他にも怪奇な図柄達が部屋の中に漂ってはおしゃべりしているのだがその姿もない。
「おはよーございます!!!!」
待合室を通り過ぎて事務室へ入って行くと、闇屋が立っていた。
上半身が裸で手にはアロハシャツを持っている。
「ど、どうしたんすか?!!」
闇屋の左腕から胸元までの柄が綺麗さっぱり消えている。
普通の人間のような肌色の左腕になっているのだ。
昨日までは確かにぎゅうぎゅう詰めになって怪奇な柄達がひしめいていたはず。
闇屋は不機嫌そうな顔でふんっとソファに座り、煙草に火をつける。
「あ、鳴宮ぁ……やっぱり、帰ろうでぇ」
と泣くような声でしわがれ声の青女房が懇願する。
「え? どうした?」
よくよく見ると闇屋の足下に一匹の小鬼がしがみついている。
(こわい……こわいよ……)
「へ?」
と鳴宮が目線を小鬼から闇屋の方へ向けた瞬間、ざわっと目の前の空間が揺れた。
空気の層がぐにゃっと歪んだようになりそこに裂け目が出来たように鳴宮は思った。 青女房がひいっという悲鳴を上げたのと小鬼がぎゅっと闇屋のジーパンの裾をつかんだのと同時に、その裂け目から銀色に輝く何かが出現した。
「え!」
裂け目はだんだん大きくなり人一人通れるほどまでに大きくなると、そこから銀色の鬼がゆっくりと姿を現した。
「ひいいいい」と言ったのが青女房か小鬼かは分からない。
鳴宮はその場から動けもせずに固まったまま、その鬼を見つめていた。
天井まで届くような大きな男で素晴らしく逞しい肉体を持っている。
美しい銀髪をなびかせて鳴宮のほうをじろりと見た。
その眼力だけで、失禁してしまいそうな恐ろしさだ。
鬼を取り巻く空気も非常に重く、息苦しい。
鳴宮も目眩を感じて、がたっとデスクに手をついた。
「ほんまかなわん。半分、消えてしもうたやろ。姿現すんは時と場合を考えろって何回言うたら分かんねん。人の話を聞けや」
と闇屋の怒りに満ちた声がしたが、鳴宮はあまりの衝撃で視線を動かすことすら出来なかった。デスクにつかまったままだが、大きく見開いた目はじっと銀色の鬼を見つめている。
大きな銀色の鬼は振り返って闇屋の方を見てから、
「すまん、すまん。これをやるから使ってやってくれ」
と笑って言った。
途端に肌色一色だった闇屋の左腕一面にびっしりと大小何十個もの目玉が現れた。
「へ!!!」
と鳴宮が間抜けな声を発した。
大きな目玉も小さな目玉もそれぞれにきょろきょろと動いたり、ぱちぱちと瞬きをしたり、瞑ったり、様々な動きをした。
それはどうにも気色の悪い動きだった。
「うわぁ。俺、駄目」
鳴宮が悲鳴を上げたので、闇屋がぷっと笑った。
「俺、ぶつぶつとか並んでるの駄目なんです!」
鳴宮がそう言った瞬間に闇屋の左腕の目玉達から一斉に涙がこぼれた。
銀色の鬼がぎろっと鳴宮を睨んで、
「小僧、目々連は繊細な生き物だ。つまらん事を言うな。喰ってしまうぞ!」
と低い低い声で言った。その口からは大きな大きな牙が見える。
「す、すみません……」
じっとりとした重苦しい空気の中で今にも気を失いそうな鳴宮は泣き声のようなか細い声で謝った。
「目々連か……」
と闇屋が言い、銀色の鬼はふふっと笑ってから、闇屋の向かいに座った。
「なるだけ妖力は押さえるようにするよ」
と銀鬼が言った。
ふっと空気が軽くなり息苦しさが解消されたので、鳴宮は大きく深呼吸をした。
小鬼やそのほかの図柄達もほっと息をついた。
「いいえ……颯鬼のだんな……大丈夫ですよぉ」
と青女房が震える声で言ったが、鳴宮の背中に隠れるように小さくなった。
ぽかんとしている鳴宮へ闇屋が、
「こいつは颯鬼や。鬼の好物は人間やから気に入らんやつは一口で鬼の腹の中やで」
と言って笑った。
「ちょ、まじすか」
「そうや」
鳴宮は小鬼達や刺青の柄達は人間の負の感情を好むのだとばかり思っていた。
実際に妖が人間を食べたりする場面を知らないし、そういう話も聞いた事がない。
だが実際先ほどの銀鬼はまさに鳴宮を喰らう気満々だったようだ。
「そうそう人間を喰らったりしないさ。最近の人間は化学調味料の摂取過剰でまずいからな」
「こいつが来たら、弱い妖が颯鬼の妖力に負けて一斉に消滅するからかなわん」
「だからこうやって新たな妖を補充してやってるだろう」
と颯鬼が言いながら笑った。
「あのー。それと兄さんの腕の柄達が消えたのは何か関係が?」
「おおありやで、強い妖気をぷんぷんまき散らしてこられたら、それに対抗できんやつは消滅するしかないやろ」
「青女房、大丈夫か」
鳴宮が慌てて背後を振り返る。
青女房にはほぼ妖力がない。鳴宮の背中で生気を糧に生きているおしゃべり人形でしかないのだ。
ところが鳴宮の心配をよそに、
「颯鬼の旦那はどんな妖よりも優美で素晴らしいんや。なんて美しい妖なんやろうなぁ」
と、うっとりした視線は颯鬼の方へ向いている。
まるで恋をする乙女のようにきらきらとした瞳を輝かせて。
そんな鳴宮を見て、
「青女房が惚れた人間というのはお前か、なるほど、雌が好みそうな顔だな」
と颯鬼が言った。
人間が好物と聞いてびびっている鳴宮は颯鬼に向かってお愛想笑いをするしかない。
ホストをしていた時から容姿には自信のある方だったが、この銀鬼の優美な姿ときたら。
銀色に光る頭髪から見える二本の黒い角。ほぼ外見は人間に等しいが、逞しい体躯に長身、全身から強さと自信があふれ出している。
「前から言うてるけど、そんな鬼の姿で堂々とここに居座るのやめろ」
と闇屋に怒られる颯鬼は鳴宮を見て、「なるほど」と言いながらその姿を少しずつ変化させていった。妖力での変身が可能で青女房やこの部屋にいる妖とは使える力も絶大な差がある。
「颯鬼のだんなが人間に変化した姿もいっそう男前やなぁ」
と青女房が呟いた。
映画俳優ばりの整った顔に黒と銀髪が混ざり合ったような髪の毛、長身。
そしてさらに優しい微笑み。
人間でも妖でもうっとりするような容姿だ。
さらに妖の中でも最強とは(スーパーセレブだな)と鳴宮は考え、なるべくお近づきにはならないでおこうと決心した。
「んで、何の用やねん。お前がここにおったら商売に差し支えるから帰ってくれるか」
と闇屋が言った。
颯鬼は優しく微笑んでから、
「お前の顔を見に来ただけさ」
と闇屋に言った。
「ああ?」
闇屋は超絶不機嫌な顔で颯鬼を睨み、鳴宮はついぶはっと吹き出してしまった。
しかし闇屋にじろっと睨まれて、とっさに口を押さえて下を向いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます