第5話 小袖の手 4
「お邪魔しますです」
と声がして、いきなり巧の前に小さな女の子が現れた。
黒髪のおかっぱ頭で眼鏡をかけている。
「金霊、ご苦労はんやな」
と闇屋が言い、金霊はうふふと笑った。
「とんでもないです。お客様を紹介してもらってありがたいです」
金霊は闇屋に向かってお辞儀をして、
「闇屋の兄さんお久しゅう」
と言った。
「で、おいくら必要ですかね」
「三百万、俺の彫り代や。いけるか?」
「もちろん、今すぐ」
金霊はポケットから札束を三つ取り出して机の上に置いた。
巧はぽかんとした顔でその札束を見た。
「さあ、どうぞ。で、ご返済は現金で? それとも」
「生体エネルギーでお願いします!」
と巧が椅子から立ち上がって言った。
「では生体エネルギーで三百万円分ですと……月一回取り立てにまいりまして……ざっと二十年はかかりますが、よござんすか?」
「は、はい!」
「では契約とさせていただきましょう。契約の印で初回はすぐにお支払いいただくんでが……闇屋の兄さんのお仕事前にお邪魔しては何ですから、まあ、次回からにいたしましょうか」
「すまんな、金霊」
と闇屋が言い、金霊は、
「なんのなんの、それでは皆さんごきげんようです。ご契約者様には末永くおつきあいを……では」
と言ってその場から姿を消した。
「ほな、早速やろか、小袖の手、仕事やで」
と闇屋が言った。
闇屋がバサッとシャツを脱くと、その肌には一面に刺青の柄たちで賑わっている。
右肩にのそっと突起が現れ、それは細く白い女性の指だった。もそもそと突起は大きくなり、ほっそりとした女性の両腕が現れた。着物の袖のよう形状の布から手首から先が見える。
その両手首は闇屋の肩から腕へ降りてきて、三つ指をついたような形になった。
「小袖、頼むで。的は二人、この男の父親と姉や。今はやりの毒親に弟依存症の姉。きっちり仕事したってや。妙な情けは無用やで」
と闇屋が言った。
「よ、よろしくお願いします……」
と震える声で巧が言うと、
「上半身裸になって、その台の上でうつぶせになれ」
と闇屋が言った。
巧はのろのろと衣服を脱いで、上半身裸でうつぶせになった。
顔だけを闇屋の方へ向けている。闇屋の背中から小袖から出た両手が現れ、動き出すのをぎょっとしたような目で見つめていた。
「そ、それは?」
「これは小袖の手という図柄や。これをあんたの背中に彫るんや。可愛らしい手やろ」
と言って闇屋が笑った。
「手……」
手の先だけが動いているのを見る巧の顔は奇妙な物を見てしまったように歪んでいる。
「それ……何ですか? なんで動くんですか」
「生きてるからや。こいつらは生きた図柄やからな。こいつらが好きなように動いてあんたの恨みを晴らしてくれるんや。働き者やで」
「……」
「世の中、人間なんぞの理解出来んことはなんぼでもあるからな。そやけど復讐しよかって時にローンでって言う人間の方がよっぽど不可解やで、あんた」
と闇屋が言った。
「すみません……」
「まあ俺は金が入ってきたらそんでええ」
甘ったるい匂いの香木が焚かれており、その匂いに巧はうつらうつらとなっていった。
医者ではないので麻酔などないし、そもそも施術の針に耐えられなければ復讐など論外である。この香木は依頼者のためではなく、いざ任務に赴く小袖の手のためのものだった。
小袖の手はおとなしい控え目な妖だった。
昔々、あるお大尽家の姫が嫁に行く際に身支度をしていた時、亡くなった母親が一目花嫁衣装を見たいがために未練の霊魂となって現れたものだった。そのまま姫は嫁に行き、幸せにすごせれば母親の小袖は成仏しただろうが、嫁入り先には酷い姑と妻には無関心な夫がいた。時代とはいえ姑には苛められ、夫には無視され、夜な夜な泣いて過ごす娘に小袖の手は我慢ならず、その手で嫁入り先の者全てを縊り殺してしまった。人を殺めた小袖の手は成仏どころか妖に身を落とし、未来永劫さまよう羽目になってしまったのだった。
背中に入る闇屋の針は酷い痛みを巧に与えた。
麻酔なしで肌に針を刺す痛いと同時に毒素を持つ妖が体内に宿るという痛み。
一瞬でも後悔すればたちまち依頼者自身に死をもらたらすほどの毒素。
巧は歯を食いしばって施術に耐えた。
耐えられたのはやはり父親への怒りだった。
父親のせいで母親と姉弟はどれだけ肩身の狭い思いをしてきたことか。
親戚中には嫌われ、誰も手を貸してくれず、貧乏で毎日同じ服を着ていた。
それでクラスメイトにもいじめられ友達も出来なかった。
やっと学校を出て、自分で金が稼げるようになったのに、またあの父親の為に台無しになるところだった。それも父親を捨てられない姉のせいで。
(もううんざりだ……俺は天涯孤独になってもいい。姉ちゃんももういらない。自由になってやる……これでいいんだ)
巧は目をつむった。
巧の背中にはすさまじい勢いで闇屋の針が進行していく。
仕事をする闇屋の周囲にはお呼びがなく暇をもてあました図柄達がのぞき込んでいる。
若い張りのある背中に美しい小袖の手が彫り込まれていくのだ。
自らが依頼人の肌に宿る時にもこんな美しく針を刺してもらえるのだろうか、などと図柄達は考えていた。
闇屋の肌から抜け出した図柄は彫り物の針を通して人間の背中に彫り込まれる。
小袖の手の細く美しい指が細部まで、その桜色の爪先まで描き出された時、
「さあ、完成や。小袖の手、腕の見せ所やで」
と闇屋が言い、その針を置いた。
巧の背中に描き出された小袖の手はその美しい手をひらひらと振った。
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