第6話 小袖の手 5

「巧! どこへ行ってたのよ。心配したんだから!」

 闇屋の施術を終えた後、巧はふらふらとアパートに戻ってきた。

 どこへ行っていたと言われても、たかが一晩留守にしただけだ。しかも今日は日曜日、週末に一晩家に戻らなかっただけで、好子は巧を咎めるように「心配したんだから」を繰り返した。

「ああ、ちょっと飲みすぎた」

 酒を飲んでいるのは本当だった。

 言われてはいたが彫り物をした後に現れた痛みは想像よりも酷かった。

 紛らわす為に酒を買って飲んで戻ってきたところだ。

「ご飯は?」

「いらない。ちょっと寝るし」

「大丈夫なの? そんなに飲んだの? 何か少しでも食べた方がいいんじゃない? おにぎりでもしようか?」

「今はいいよ」

「でも、味噌汁だけでも飲んだら?」

「いらないって言ってるだろ!」

 巧のいらいらが高まり、ついそう叫んでしまった。

「眠いんだよ。しばらく寝るから」

 好子は驚いたように目を大きく見開いたまま巧を見た。

「大丈夫よ、お父さん、早くから出かけたから」

「……なんだよ、それ」

「え?」

「どうして俺があいつの動向を気にしなくちゃいけないわけ? ここは俺んちで家賃も生活費も姉ちゃんと半分づつしてる。居候なのはあいつで、遠慮しながら暮らさなきゃなんないのはあいつだろ? どうして俺があいつの目を気にしてる風になってんの?」

「違うの、そんなつもりはなくて……」

「もうほっといてくれ!」

 怒りが増すごとに背中の痛みも酷くなっていくが、巧はそれを好子に知られたくなかった。酔って足下がおぼつかない振りをしながら、壁に手をついて部屋の中に入って行った。


「痛い……痛い……」

 布団に潜り込んだものの、痛くて痛くてどうしようもない。

 体勢を変える事も出来ず、ただうつぶせでじっとしているしかない。

(あいつのせいだ……あいつさえ来なかったら、俺がこんな目に合うこともなかった。姉ちゃんがあいつを受け入れたせいで、俺がこんな痛い目にあわなきゃならないんだ!)

 巧のすさまじい身体の痛みは怒りに火をつけ、二人で力を合わせ生きてきた姉との生活もすら忘れさせた。

 痛い、憎い、それだけを心の中で呟いて目をつぶってじっと布団の中で横たわっていた。

 そっとドアが開き、盆を持った好子が顔をのぞかせた。

 盆の上にはおにぎりと湯飲みが乗っている。

 それを机の上に置き巧に声をかけた。

「巧、何かお腹に入れないと」

「いらないって……言ってるだろ」

「だめよ、ね、一口でも」

「……いらない」

「ほら、起きて」

 好子が巧の肩に手を置いた。

「いっ!」

 激痛が巧の身体に走り、身体がビクンと跳ねた。

 その衝撃でまた体中に息も出来ないほどの痛みが走る。 

 動かずにじっとしていれば少しはましだった痛みがまたぶえりかえし、背中がかっかと燃える。

「大丈夫? 巧、どうしたの?」

 慌てた好子がまた巧の背中や腕に触れた。

「さわるな!」

「え……」

「さわるなって言ってんだ……俺の部屋から出て行ってくれ……」

「どうしたの? どこか具合が悪いなら病院に……ああ、日曜日か。でも救急なら診てもらえるわ! ね、巧」

「大丈夫だから、今は寝ていたいんだよ」

「でも……救急車を呼びましょうか?」

「……言葉が通じないのか? 俺はあんたに俺の部屋から出て行けって言ってんだ!」

 そう言ってから巧は激痛に顔をしかめた。

 枕に顔を埋めて好子にはその表情をみられないようにした。

「心配して言ってるのに……そんなに迷惑そうに言わなくても……巧、姉ちゃんの事、あんたなんて言ったことなかったのに、どうしちゃったの? 巧、姉ちゃんの事、嫌いになっちゃたの? お父さんをこの家に入れたから? でもそれは……」

 言葉の最後には涙声になってはいたが、それでも巧の心は少しも動かなかった。 

 育ててくれた姉への恩の気持ちも二人で助け合って生きてきたという思いも全て消え去っている。

「出てってくれ」

 それからまだしばらく好子はでもでもと言い続けていたが巧が布団を頭からかぶる事で拒否を示したので、部屋を出て行った。

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