第11話 前夜
「あれ」
お風呂上がりに、廊下を歩いていると部屋から明かりが漏れていた。首を傾げたのは、その部屋の主が百合之丞さんだから。
彼は今日当直ではないから、こんな時間までいるのは珍しい。
部屋の戸が少し空いていて、中をわずかな隙間から覗く。
百合之丞さんが机に向かう後ろ姿が見えた。
「弓様」
「わひゃっ」
百合之丞さんはいきなり振り返ると、僕をジトリと見つめる。
「まったく、盗み見とは感心しませんね」
「すみません」
百合之丞さんは机の上のノートパソコンを閉じると、押し入れから座布団を取り出した。
彼は取り出した座布団を自分の座っていたところに向かい合うように置くと、「どうぞ」と促す。
僕がおずおずと座ると、百合之丞さんはタイミングを見てポツリと話し始めた。
「多々良様とは、散々なことになりましたね」
「ははは……」
僕は誤魔化すように頭をかく。
百合之丞さんは息を吐くと、「予想通りではありますけどね」とつぶやく。
「多々良様は産まれに対して劣等感が強いというか……今回の京都で、さらにそれが強まったようでしたし。だから、弓様のことは気に食わないでしょうね」
百合之丞さんはそう言って悩ましげにため息をつくと、こめかみの辺りを抑える。
顔が整いすぎているから、真顔になると迫力があって少し怖い。
「あのぅ、素朴な疑問なんですけど」
僕は右手を挙げる。
「そんなに産まれって重要なんですか?」
百合之丞さんは「そうですね」と言い、首筋を撫でるように触る。
そのまま髪の毛を手ぐしでとかした。シャンプーの人工的な花の香りがする。
「……残念な話ですが、陰陽師の霊力も半妖の能力も、全て血脈でしか受け継ぐことができません」
百合之丞さんはそう言って、寂しそうに眉を下げる。
凛とした百合のような彼が、こんなふうに頼りなさげな目をするのは初めて見た。
「だからこそ、私たちは異常なまでに血脈、家柄を重視します。今でこそ人手不足で厳しくは言われませんが、一昔前はほんのわずかでも正統な血筋から外れた者は、『成り損ない』なんて揶揄されていたそうです」
「『成り損ない』……」
児童養護施設で軽くいじめられていた僕でも、そこまで非人道的な扱いは受けなかった。
僕が雑に扱われていたのは、ある意味では僕自身の人間性の問題であって、出自といったことではなかった気がする。
「とにかく排他的というか。今でもその名残りで古い連中は『本家にあらずんば人にあらず』と」
重苦しい空気が、百合之丞さんの言葉からは滲んでいた。
まとわりついて離れない、陰鬱な湿り気。
「本家って、そんなに偉いんですか?」
「あぁ、鳳の家はあまり本家分家の差がないですから、あまり実感しないかもしれませんね。弓様はまだ他の家の者と会ったこともありませんし」
百合之丞さんの表情が、わずかに緩む。雪解け、という言葉がしっくりくる感じだ。
「規律がなってない、なんて言う連中もいます。私もある程度の序列は必要だとは思ってます。けれど」
百合之丞さんは珍しく、柔らかい笑みを浮かべた。
背筋を伸ばし、いつも前を見据える彼の年相応の笑顔は、胸が切なくなるくらい優しかった。
「私は、この古臭い体制を、いつか弓様に壊して欲しいんですよ」
百合之丞さんは僕に触れていない。
けれど、頬を撫でられているような感覚がする。
昔、ずっと昔に慈しむように、母さんが僕を撫でてくれた時と、よく似ていた。
「鉄子として奇異の目で見られることもあるかもしれません。けれど、弓様にはその力があります。まずは柔軟な鳳の一族から、変えていけるんじゃないかと……おや」
百合之丞さんは吹き出す。
「真っ赤ですよ、弓様」
「だ、だって百合之丞さんが……」
変な汗が出てきた。僕は手をパタパタとうちわ代わりにして扇ぐけれど、体の熱が冷めることはない。
「最初に来た頃より、表情豊かになりましたね」
「うう、こんなに褒められたことないんですよ。慣れない……」
首筋が発火したように熱を持つ。
冷やすように、手をあててみるけれどおさまる気配はなかった。
「若葉が甲斐甲斐しくお世話した効果ですね」
百合之丞さんは棚からうちわを取り出すと、パタパタと僕を扇いでくれた。
ちょっとずつ涼しくなる夜の空気が、無駄に熱くなった肌をクールダウンしてくれる。
「あ、そういえば百合之丞さんお仕事中でしたよね?邪魔しちゃってごめんなさい」
「大丈夫ですよ。ほとんど終わってますし」
僕がパソコンに視線をやると、それで彼は察してくれたらしい。
「明日の任務の確認ですよ」
「明日の任務?」
百合之丞さんは視線を泳がせる。
「明日の任務……非常に不安なことに、多々良様と吹美実も参加するんですよ……」
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