第10話 台風上陸 2

「落ち着いた?」

僕がうなずくと、十五さんは背中を優しくポンポンと叩いた。

「ン、それならよかった」

「すみません……」

十五さんは首を左右に振ると、「あれは多々良殿が言い過ぎだよ」と笑った。


「でも、暴力は良くないですし……」

「跡継ぎ殿は優しいねぇ」

十五さんは少し困ったように眉を下げる。イマイチ表情の読めない彼だけれど、眉に感情が現れている気がする。


「多々良の方はどうだろうな」

若葉さんは居間から中庭に面した廊下に出た。彼は中庭越しに、多々良くんのいる部屋を見ているようだ。


「吹美実の部屋で休んでるらしいが……」

「多々良の君なら今は喚き疲れて寝てるよ」

遠くから声がした。


「吹美実じゃねぇか。どうした?」

「長旅で疲れたのもあるだろう。ぐっすりだよ」


広い居間を悠々と歩きながら、若葉さんを無視して吹美実さんが話す。

彼はモデルがランウェイを歩くように、誰も寄せつけないような孤高の雰囲気で居間を進む。


「初めまして。弓の君。私は鳳鶴家雪の家、雪屋吹美実だ」


僕の目の前に来ると、ストン、と座って彼はそう述べた。

近くから見れば、色素の薄い灰色の瞳と、それを縁取る長いまつ毛が印象的な人だった。


「鳳弓です」

「うん、よろしく」

吹美実さんは一ミリもよろしくと思っていなさそうな無表情で、僕と握手をする。

若葉さんはそんな吹美実さんを怪訝そうな顔で見ていた。


「何か不満でもあるのか、風間」

若葉さんは「別にぃ」と口をとがらせる。

「ま、不満はないが、疑問はある」


若葉さんはとがらせた口を戻すと、僕の隣に座って吹美実さんと向き合った。

「……俺は、吹美実は多々良を当主にしたいのかと思ってた」

「多々良の君が当主になることは、反対はしてない。それがあの方の目標だったからな。とはいえ」


吹美実さんは、僕を一瞥する。

「これから当主になる弓の君の前で言うのは申し訳ないが、ハッキリ言って当主は危険だ。四家ボクらが守るとはいえ、当然前線で指揮を執る以上ある程度の覚悟がいる」


ゾク、と背中に鳥肌が立つ。今までおじさんと一緒に妖を倒す任務に出て、危険を感じたことは一度だってなかった。


どこか僕はお気楽だったし、周りのみんなも遠足の引率をする先生のようなテンションだったし。

妖は確かにおっかない見た目をしているけれど、僕という初心者がいるからか、どれも弱い妖ばかりだった。


けれども、あの場所は間違いなく普段の生活の何百倍も死に近い場所だったのか。


忘れかけていた電子音が、頭の中で鳴り出す。

心臓の鼓動のかわりのように、アルコール臭い病室で響く、あの電子音。


死の音と臭い。


「ボクは多々良の君を弟、いや息子のように思っている。親ならば、死地に行って欲しくないと思うのは普通じゃないか?」

「なるほどな」


若葉さんは理解はしたようだった。

けれど、納得はいっていないみたいだ。


彼はあぐらをかいて、そこに口元を覆うように頬杖をつく。

「弓なら、別に死んでもいいってことか?ずいぶん薄情じゃねぇか」

「そうは言ってない。そう取られても仕方ないかもしれないけれどね」


吹美実さんは口角を片方だけ吊り上げて、ニヒルな笑い方をした。


「ボクは別に当主が誰であろうと、きちんと指示に従う。四家の人間として、主たる陰陽師は命懸けで守る。それは約束しよう。ただ、多々良の君に不利益が生じるならば、その時は指示に従わないし、守らない。それだけだ」


彼はそう言うと、満面の笑みで膝を手で叩いて立ち上がる。

その拍子に、髪が広告のように、嘘くさいほどに美しく波打った。


「ではまた、後ほど」

その言葉だけ残すと、吹美実さんは居間を後にする。


愛する我が子の待つ家へ帰るような、ウキウキとした気持ちが滲み出た歩き方だった。


「……ほんと、異常な愛着」

十五さんは呆れとも恐怖ともつかない、深いため息をついた。


「ですね」と賛同したくなる。

多々良くんに拒絶されることも、吹美実さんに次期当主として認められないことも、言ってしまえば当然だと思っていた。


そんな想像をはみ出た、吹美実さんの想定外の言動に、僕はただ困惑することしかできなかった。

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