第9話 台風上陸 1
この家は、南側に玄関がある。無駄に大きくて、ちょっとした部屋くらいの規模感だ。
テレビでしかみたことない、老舗旅館とか料亭の豪華な玄関に似ている。
一方、僕らが日頃使うのは意外と北側の小さな玄関。家の造りからいえば勝手口のようなものだけれど、サイズ感としては一般的な玄関だ。
車庫が北側にあるから、車で外出することの多い僕らは北側の玄関から出入りする方が、何かと便がいい。
今日の場合も、北側の玄関から彼らは帰ってきた。
「ただいま!」
「おじさんの声だ」
僕はかき氷を机に置いて、十五さんの部屋を出る。
彼の部屋の近くの渡り廊下は、車庫のすぐ近くだ。渡り廊下に飛び出すように出ると、ちょうどおじさんは車庫から出てきて、玄関へ向かう途中だった。
「おじさん、おかえりなさい!」
「おお、弓。ただいま!」
おじさんは手を挙げてから、少し気まずそうに下ろす。急に目線も泳ぎ始めた。
どうしたのかと見ていると、車庫から誰かが出てきたのが見える。おじさんは車庫の人影に何やら愛想笑いをすると、逃げるように玄関へと向かった。
「むーん、帰ってきたみたいだね」
僕の後ろから、のそっと長身の人影が現れる。
「わ、十五さん」
十五さんはかき氷を食べながら、僕の隣に立つ。
「車庫から出てきたの、アレが例の二人だよ」
十五さんがスプーンで指し示した方に、目線を向ける。
少年と、青年。
青年はシャンプーのコマーシャルに出られそうなほど艶やかな黒い髪を、顎の辺りの長さで切りそろえていた。たぶん、この人が吹美実さん。
他の三人がガタイが良いだけに、どこか華奢に感じてしまうが、十分体格がいい。
少年の方は、僕とそんなに年が変わらないだろう。この子が、多々良くん。
ふいに、多々良くんが顔を上げた。
「あっ」
ばっちり目が合ったが、その事で声が出てしまったわけじゃない。
彼の幼い顔には、大きな火傷の痕があった。右側に逆三角形のような形で、おでこから頬にかけて焼けたような痕。
そして頬から顎にかけて、二等辺三角形のような形をした、大きな火傷の痕。
おそらく同じタイミングで出来たものだろう。
彼は目が合った後、蔑むような冷たい目線だけを残して、おじさんに続いて玄関へと歩き去った。
呆然とその様子を眺めていると、十五さんが食べ終わったかき氷のガラス容器を僕の頬にくっつける。
「つめたっ、ちょ、十五さん?」
「……」
「えっ、なんか言ってくださいよ!」
彼は一通り僕にガラス容器を押し付けると、満足したように鼻を鳴らす。
「今回は保智殿もアテにならないだろうし……がんばれ、跡継ぎ殿」
十五さんはそう言うと、僕を残してスタスタと部屋に戻っていく。僕は一人、やる気十分な太陽に焼かれながら、渡り廊下に取り残されてしまった。
やたらと、みんなに応援される。
そして何より、あの火傷の痕。
もしかしたら僕、あの子に喧嘩ふっかけられるのかな。
頭の中で、従兄弟のイメージが音を立てて崩れていく。多少ギクシャクすることは、想定はしていた。
ただ、暴力沙汰なんて想定していない。
急にかき氷の効果が出たのか、体が冷えていく。
「ど、どうしよ……」
へにゃへにゃと、体が軟体動物のように溶けていく。
僕は百合之丞さんが呼びに来るまで、渡り廊下で座り込んでしまっていた。
居間の有り余る空間が、わずかばかり埋まった。
いつもの僕、おじさん、そして若葉さんと百合之丞さんと十五さんのメンバーに加え、多々良くんと吹美実さんの合計七人。
おじさんは僕と多々良くんの顔を五回ほど左右に見比べた後、眉を八の字にして言いにくそうに切り出す。
「あー、おほん。これで、鳳鶴家は全員揃ったわけだ」
誰も声を発しない。
おじさんは助けを求めるように、僕に向かって「な!」と貼り付けたような笑顔を向ける。
僕は僕で、向かい合った場所に座る多々良くんと目を合わせるのが怖くて、おじさんと会話どころではない。
「はは、ですね」
人工知能のほうが、もっとまともに会話できそうだ。自分の返答に、僕は嫌気がさす。
「まず、その、多々良」
多々良くんはわずかに顔を上げるだけで、特に返事はしなかった。ただ目線だけは雄弁で、明らかに不機嫌なのがわかる。
「彼が弓だ。お前の従兄弟にあたる。長野からこの夏、引っ越ししてきた」
「知ってます」
話を切るように、多々良くんは言う。
おじさんは「そっか〜」とますます眉を情けなく下げた。糸で口角を引っ張られているかと思うほど、おじさんは不器用に笑顔をつくる。
「弓は多々良より三つ上だ。兄弟のように仲良く──」
「若宮弓」
「いたっ」
多々良くんは立ち上がると、僕の髪の毛を掴んで頭を強引に上げて、強制的に目を合わせる。
鳳の苗字に馴染んできたここ最近を否定するように、彼は「若宮」の名を使った。
これだけで、話を聞く前から僕のことを認めていないことがわかる。
「多々良!」
おじさんは咎めるように言うが、多々良くんは聞く耳を持たない。
近くで見ると一層迫力のある火傷の痕の迫力に、僕は気圧されてしまった。
いや、火傷の痕だけじゃない。
児童養護施設で向けられていた冷たい視線は慣れっこだ。
けれど、逆にこうも業火に焼かれるような視線は初めてで、僕は蛇に睨まれた蛙よろしく怯えるしかできない。
はじめて本気の、憎悪を浴びた。
「ぽっと出のお前が、鳳鶴家の次期当主だって?笑わせるな!」
「おい、多々良。そこまでにしとけ」
若葉さんが僕の頭を掴む彼の手をどけてくれた。
急に重力に従うことになった僕の頭は、そのまま素直に床に激突する。
「言い過ぎですよ」
百合之丞さんは多々良くんを宥めるように、横で肩に手を置いていた。置いていたというか、ほぼ抑えていたけれど。
「百合之丞も若葉も、おかしいと思わないのか!?アイツの……あんな奴の肩を持つのかよ!」
二人が止めに入ってきたのが気に食わないのか、多々良くんは半狂乱で叫ぶ。
手足をばたつかせ、涙目になりながらお菓子売り場で駄々をこねる子どものようだった。
「あんな……あんな、産まれがマトモじゃない奴の!」
「……産まれが?」
僕が聞き返すと、多々良くんは少し優位にたったと思ったのか、わずかに嘲笑うように言った。
「そうだ!四家どころか神仏関係の家の娘ですらない!ただの女が産んだ子だろ!そんな価値のない女の子どもなんか、当主になれっこないんだよ!」
目の前が貧血のときみたいに真っ白になる。
次の瞬間には、叫びながら多々良くんを叩いていた。
「母さんは価値のない人じゃない!」
喧嘩なんてロクにしたことないから、殴るとか蹴るとかうまくできない。
子どものおもちゃの取り合いのように、僕らは喧嘩としての形を成していない叩きあいをする。
「おい、弓!」
すぐに若葉さんに取り押さえられ、僕らは各々引き剥がされたのだった。
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