第8話 嵐の前のなんとやら 2

「さて、もう寝ますよ」

「まだ十時じゃねぇか」

電気を消そうと立ち上がった百合之丞さんに、若葉さんは露骨に嫌そうな顔をする。


「弓様の夏休みが終わるまであと少しです。それまでに生活サイクルをきちんとしたものに戻さないと」


フン、と鼻息を荒らくして百合之丞さんは部屋の電気のスイッチを消す。

部屋の中は一瞬で暗闇に包まれた。


「弓は中学生だぞ?十時は早すぎるだろ」

「何言ってる。弓様には健康的な生活をしてもらわなくては」

僕のことはそっちのけにして、二人はヤイヤイと口喧嘩をする。


若葉さんも立ち上がると、電気のスイッチをつけた。部屋が明るくなるが、またすぐに暗闇に包まれる。間髪入れずに百合之丞さんがスイッチを切ったようだ。

だが、負けじと再び若葉さんが電気をつける。部屋の電気はモールス信号を発信しているかのように、チカチカと点滅した。


僕は苦笑いしながら、布団に潜り込む。

台風による強い雨が、家の外壁に叩きつけられる音が聞こえた。その音に混じって、百合之丞さんが思い出したように「あ」とつぶやいた。


「そういえば、保智様と一緒に、多々良様と吹美実も帰ってくるらしいですよ」

「えっ」

僕が声を弾ませると、百合之丞さんは驚いたような声色で言う。


「……多々良様と会うの嫌じゃないんですね」

「そりゃあ、不安がないわけじゃないです」

僕はもぞもぞと寝返りをうつ。


「でも、従兄弟がいるなんて思ってもみなかったから。実はちょっと、楽しみなんですよ」

「そうですね」

百合之丞さんは、暗くて見えないけれど、きっと目を細めて笑っているのだろう。


若葉さんのほうから、寝返りをうつ衣擦れの音がした。珍しく彼が何も言わないことを不思議に思いつつ、僕は目を閉じる。


母さんには兄弟はいなくて、気がつけば母さんと二人ぼっちなのが日常だった。


友だちから時々きく親戚や従兄弟の話が、どこか羨ましかった。それは母さんが嫌だとかそういう話ではなくて、純粋に自分より多く何かを持っていることが、どうしようもなく羨ましかっただけ。


僕のせいで彼が次期当主ではなくなったことを、彼自身がどう思っているかはわらかない。それでも、仲良くできたらいいなと思う。

せっかく、血の繋がった家族なのだから。


ゆっくり意識を下に引っ張られるように、僕は眠りについた。





じわじわと顔が熱くなる。まぶたを隔てても、明るい光が目に届く。


朝だ、と自覚するよりも先に、目が覚めた。

まだ寝起きで働きの悪い目をこすり起き上がると、部屋には百合之丞さんの姿はなかった。


若葉さんは、障子の近くに一人座っている。彼越しに、開いた障子の間から中庭の景色が見えた。昨日までの台風が嘘のように、外は澄み切った空が広がっている。


「起きたか」

「あっ、おはようございます」


若葉さんは「おはよ」と笑うと、僕を手招きする。呼ばれるまま若葉さんのそばまで行くと、彼は外を指さした。


「さっき雨戸あけたら、すっかり晴れてた。台風一過だな」

「タイフウイッカ?」

「台風のあと、天気がよくなることだよ」


どこまでも高く天井しらずな空を、僕は彼と一緒に見上げる。雲ひとつない空を鳥が一羽、我が物顔で自由に飛んでいた。


「……いや、また台風が来るんだった」

「え?」

若葉さんはぽつりとつぶやく。彼は言いにくそうに、どこか口をまごまごとさせた。


「あー、多々良たちが、帰ってくるだろ?」

「ええ、楽しみですね」


若葉さんは後頭部をかいてから、手持ち無沙汰なのを紛らわすように少し着崩れた浴衣を整える。


僕は浴衣を着て寝たのは初日のみで、二日目からはパジャマにしてもらった。あまりにも着崩れがひどくて、朝起きたらほぼ帯に布が引っかかってる、というような状態だったから。

だからこうして浴衣で寝れるのはちょっと憧れる。


「多々良と吹美実は、まぁなんだ、若干性格が気難しいというか……特に吹美実は、な」

若葉さんは、僕の方に手を置く。


「がんばれ!弓!」


僕は言っている意味がわからず、首を傾げた。

この数時間後、僕は若葉さんの言っている意味を理解することになる。

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