台風一過

第7話 嵐の前のなんとやら 1

テレビから、何度もアナウンサーの叫ぶような声が聞こえる。

上陸した台風の威力を、カッパを着て暴風雨に痛めつけられながら伝えているようだった。


「すげぇな、台風」

若葉さんはテレビの前に寝転がったまま、誰にでもなく独りごちた。

スポーツメーカーのTシャツと、どこかの学校のジャージというラフな格好だ。


「どけ。寝転がるな。弓様の教育に良くない」

「小姑かよ、お前」

お茶を持って部屋に入ってきた百合之丞さんに足蹴にされると、しぶしぶ愚痴を言いながら起き上がる。


「弓様、お茶どうぞ」

「わー、すみません。ありがとうございます」

弓矢が描かれた僕の湯のみに、お茶をいれて持ってきてくれたらしい。

軽く頭を下げて受け取る。

湯のみの厚み越しでも、中に入った麦茶の冷たさが伝わった。


「あれ、俺の分は?」

「茶ぐらい、自分で用意なさい」

百合之丞さんはそう言うと、座って上品にお茶をすする。


弔との遭遇から少し経ち、八月の終わりになった。

この家──陰陽師として妖と戦う鳳家にもかなり慣れたと思う。


実際に戦ったのは、弔との一件だけで、それ以降は後ろから低級の妖を倒す三人と、指揮を執るおじさんを見学するだけの、猿でも出来るようなことしかしてないけど。


ただ、百合之丞さんのツンケンとした僕への当たりはずいぶんと和らいだように思う。

それだけで、僕には十分な進歩なのかもしれない。


「で」

百合之丞さんは湯呑みを机に置き、眉間にしわをつくると若葉さんと僕に詰め寄る。


「なんで私の部屋にいるんですか」

「いやー、居心地良くて」

僕と若葉さんで薄ら笑いを浮かべてこたえると、百合之丞さんはますます眉間の谷を深くする。


「それぞれちゃんと部屋があるでしょう!」

「誰もいねぇの寂しいじゃん」

僕も若葉さんに同意して頷くと、彼は「だよなー」と目を細める。


「なら居間に行け!」

「あそこ、だだっ広くて落ち着かないんですよね」

僕は苦笑しながら言った。


いつも食事をとったりする居間は、無駄にだだっ広い。

旅館の宴会場を思わせるほど、遠く向こうまで畳が続く光景は圧巻ではあるが、どうにも落ち着かない。

その点、六畳ほどの百合之丞さんの部屋はサイズ感がちょうどいい。


花・風・月・雪の家は、それぞれ仕える屋敷の一角に、各々の自室を与えられる仕組みになっている。日々の雑事を行ったりするための部屋で、当直の時はそこで寝泊まりするシステムだ。


中には若葉さんのように、ほぼそこを根城としている人もいるけれど、大抵は百合之丞さんや十五さんのように当直の時だけ使う人がほとんどらしい。


机や棚が備え付けで設置されていて、あとは押し入れと布団があるだけの至って簡素な部屋。

百合之丞さんは必要な書類や道具以外は一切私物を持ち込んでいないから、かなり物が少なくシンプルな部屋だ。

例外的に、この一台のテレビがあるだけ。


「しかし台風マジでやっべぇなぁ」

若葉さんは窓の外をぼんやり眺めながらつぶやくと、深いため息をついた。


「はーぁ。こりゃ、風呂入っても残念な感じだな」

「なんでですか?」

若葉さんは僕を一瞥すると、視線を廊下にうつした。

「廊下は雨戸があるから濡れねぇ。けど、渡り廊下は雨戸がねぇ」

「あっ」


それだけで、彼の言わんとすることがわかった。

この家の敷地には四つの棟がある。


一つは使用人寮で、家の敷地からはみ出たようなところにある。

二階建ての普通のアパートのような見た目で、うちのお屋敷のような見た目とはなかなかミスマッチだ。


残りの三つが客間や四家の部屋、僕たち鳳家が暮らす部屋などがある、いかにも日本家屋のような棟である。

この三つを渡り廊下で繋いでいるのだ。


そして風呂のある棟と僕や若葉さんが寝る部屋のある棟は、別。

つまり風呂に入ったあと、渡り廊下を渡らねばならず、せっかく体を洗っても雨に降られてしまう。


「渡り廊下なんとかならねぇ?屋根だけじゃなくてさぁ、こういう横殴りの雨でも大丈夫なようにしてくれよ〜」

「うるさい。そんな金ない」


百合之丞さんにスッパリ断られると、若葉さんは再び寝転がって子どものようにジタバタと手足を動かした。


「あっ」

「弓様、どうしました?」

「風呂のある棟って、そこそこ大きな客間がありましたよね」


続く言葉を察したようで、百合之丞さんの顔がみるみる渋くなる。

彼は逃れるように、湯呑みに視線を落とした。

けれど僕は遠慮なく言う。


「みんなで客間に布団を敷いて、そこで寝ちゃいましょう!」

「おおー!修学旅行みたいで、いいな!」


若葉さんは何故か僕にハイタッチを求め、空気感に呑まれてなんとなくしてしまう。

台風で荒れた外とは正反対に、部屋は太陽の日が燦々と照るアメリカ西海岸のような明るい雰囲気になった。


「弓、枕投げしようぜ!」

「僕やったことないです」

「大丈夫、俺に任せとけ!俺と弓で百合に向かって枕を投げる。これだけだからな」


「いや二人で盛り上がらないでください。無理ですから」

百合之丞さんが、僕と若葉さんの間に割って入る。


「『客間の使用は、四神家当主又はそれに準ずる者の許可が必要である』。四神家当主又はそれに準ずる者、つまりここでは当主代理である保智様の許可がないとダメなんですよ。そして保智様は現在京都で家にはいません。よって許可は取れません。残念」

百合之丞さんは早口でまくし立てるように言った。


「なんだよそのルール、初耳だな」

「『陰陽師要領』だよ。頼むから把握しろ」

百合之丞さんは呆れたように言う。


「百合之丞さん。僕一応……次期当主ですよね?」

人差し指で自分をさす。

百合之丞さんは手で顔を覆うと、唸るようなため息をついた。


「弓様、最近私に慣れてきて図々しくなってきてません?」

「えっ、ごめんなさい」

「いや、良いんですけど、はぁ」

百合之丞さんはもう一度ため息をついて、立ち上がる。


「二人は先風呂入ってください。客間、掃除してきますから」

そう言って部屋から出ていく百合之丞さんを見送った後、私と若葉さんは無言で顔を見合わせる。


みるみる若葉さんの目と口が、大きくひらかれていった。

「やった〜!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る