第6話 最凶2

「ふふ、美しい理由だ」

やっぱり、綺麗な人だと思った。

中性的でしなやかで、なんとなく母さんに似ている柔らかな笑い方。


なのに決定的に違う。

この人はバラだ。

美しくてきっと誰もが憧れるけれど、触れる人を傷つけるトゲがある。


「じゃあ、半妖くん。こちらにこれば命だけでも助けるよ?」

「断る」

若葉さんは間髪入れず、ハッキリと宣言した。


「俺は、お前の描く世界で暮らしたいとは思えん」

吐き捨てるような若葉さんの言い方に、弔は顔色一つ変えなかった。


「そう、残念」

顔色一つ変えず、懐から扇を取り出す。


「『瘴気』」


そうつぶやいて扇を閉じたまま高く上げると、彼の影から、ノイズ混じりの人影が浮かび上がった。

「命を殺めるのは好かないが、半妖くんには死んでもらうしかなさそうだね」


そう言うと同時に人影は数え切れないほど分身して、僕らの周りを取り囲んだ。

人影の作り出す闇が、どこまでも続いているみたいに思える。


「弓、逃げて百合のとこへ行け」

「若葉さん!?」

若葉さんの顔色が、急激に悪くなった。

苦しそうにのどの辺を抑えながら、どうにか呼吸を整えている。


「あいつの目的は弓を確保することだ。殺す気はない…弓がこの術の対象外なのは、たぶん、そういうことだ」


「若葉さんも一緒に逃げましょう!」

「無茶言うな」

若葉さんは眉間に深いしわを刻みながら乾いた笑いをこぼした。


「相手は最強最悪の妖の親玉だ……勝ち目なんか、ねぇよ」

「血を飲んでも、ですか?」


若葉さんの目はどこか虚ろで、顔色は土気色に変わっている。

よくわからない黒い霧のようになった人影が、彼を蝕んでいることは僕でも一目瞭然だった。


「はやく飲んでください」

「さっきも飲んだのに、また飲んだら……最悪、貧血で動けなくなるかもしれねぇ」


「でも二人助かるかも」

「今逃げれば……ケホッ、確実に弓だけは、助かる」

目の前で、何かが弾けた。


「うるさい!」


僕は彼の目の前に腕を出す。

出すというか、ほぼ押し付けていた。


「僕はあなたを信じて賭けると言ってるんです!どうなっても後悔しない!だから!速く!飲め!」


自分でも驚くほど大声でまくし立てていた。

興奮して顔が熱い。鼻先がツンとして、涙目になる。


昔から本音を言うのが苦手だった。

心の声を出す時、どうしても泣いてしまう僕の情けないクセ。

「弓……」


「僕を信じろ!」


精一杯虚勢をはる。

絶対、助かるために。


若葉さんの目に、小さな光が戻ったような気がした。

真っ暗な夜空の、たった一つの星のようにか細いけれど、芯を持った光。


「ッ!」

彼が歯を立てると、皮膚が破られる感覚がした。

釘が刺さったみたいに鋭い痛みと、電流が流れるように熱さが広がる。


「若葉さ、ん……」

彼が口を離すのと同時に、彼の髪の毛が逆立つ。

髪の毛一本一本が、意志を持つ動物のようにゾワゾワと動いていた。


若葉さんは狼男のなり損ないのような不思議な見た目へと変化し、彼だとは一瞬ではわからない。


「つかまれ」

若葉さんに抱きかかえられ、僕は反射的に彼の首に腕を回す。

貧血なのか視界が僅かに暗くなったけれど、構ってられない。

失神したって、離すもんか。


若葉さんは勢い良く人影の闇に飛び込む。

人影の手が何度か僕らをかすめるが、若葉さんは止まらない。


突然視界が拓けて、真っ白なまぶしさに目を細めた。

無事、あの黒い人影から逃げ切れたようだ。


「ゲホッ」

彼は僕をおろすと、そのまま膝をついて咳き込む。口を覆っていた手には、べったりと墨汁のような血が付いていた。


「若葉さん!」

「構うな!弓、このまま百合のいる所へ―─」


サク、と軽い音がした。


「さすがかまいたちの半妖。油断したよ」


弔が若葉さんを刺した音だった。


たった一瞬で追いつかれた、攻撃された。

サァ、と血の気が引く。


「特に弓の血は、鉄子の特別な血だからね。回復効果も凄まじい。たいしたものだ」

弔は先生が生徒を褒めるほどの自然さで、若葉さんに慈しみの眼差しを向ける。


手に持った刀で殺す気なのに、どうしてこんなにも優しい顔ができるんだろう。


「ゆ、み……」

咳き込み疲れて枯れた声で、若葉さんが僕の名前を呼ぶ。

僕は咄嗟に、彼に覆い被さる。


「なにしてる…にげろ……!」

「弔の言うことが本当なら、僕は怪我しても大丈夫なはずです!」


弔の穏やかな気配が、背後からする。

慈愛とも表現できそうな雰囲気で、どうしてこんなにも残酷になれるのだろう。

何が彼をそこまでの人にしてしまったのだろう。


「ふふ、素敵なお話のようだ。弓の怪我がどれくらいで治るか気になるし……軽く刺してみようか」


体が緊張して強ばる。

大きな怪我なんてしたことないから、もしかしたら死んじゃうんじゃないか。

でも、若葉さんのことは置いていけない。

削れるくらい、奥歯を食いしばったその時だった。


「あなたが、ですよ」


ギンッ、と金属が一瞬鈍くぶつかる音がした。

弔が背後からの攻撃を、刀で防いだ音だった。


「百合之丞さん!」

「遅くなりましたね。若葉……弓様」


振り返ると、薙刀を持った百合之丞さんと百尋さんがいた。

どうやら百合之丞さんの攻撃が、さっきの音だったらしい。


二人が連携して攻撃を続け、一度距離をとる。

「二対一は、少し面倒だね」

弔は微塵も面倒そうな顔をせずに、ほっそりとした白く長い指を顎にあてた。


「まぁいい。元は弓への挨拶が目的だったからね。ここは引こう」

「待て!」


百合之丞さんの薙刀の切っ先に、弔はなんてことなく飛び乗る。

曲芸のような軽やかな動きに、全員が呆気に取られた。


弔はくるりと振り返ると、「またね、弓」と手を振って去っていった。

学校帰りによく似た自然な別れに、僕は金縛りにあったように動けなかった。







「苦い」

べぇ、と若葉さんは舌を出す。パジャマを着て布団の上で顔をしかめるどこか幼い雰囲気で、僕より年下に感じる。


「うるさい早く飲め」

百合之丞さんは苛立った様子で、湯呑みとにらめっこを続ける若葉さんを睨んだ。


あの後、意識の朦朧とした若葉さんを鳳家まで運び、簡単な治療をした。幸い一時的なもので、命に問題はまったくないらしい。


とはいえ一刻も早く回復するべく、こうして若葉さんの部屋で薬を飲まされている。


彼は覚悟を決めたようで、湯のみを何度か顔に近づけると、一気に飲み干す。

「うぇえ苦いぃぃ」

苦虫を噛み潰したというより、もはや苦虫から抽出したエキスを一気飲みしたような顔だった。


歯を食いしばりながら、湯のみを僕に渡す。

「これ口直しにどうぞ」

「うべぇぇ……」

若葉さんは僕の差し出したチョコを口に運ぶと、ほぼ無心で口だけを動かしていた。


「また夕餉の時に持ってくる」

「嘘ぉ、まだ薬あるのかよ!?」

「当たり前だ。早く治して任務に戻れ。それに弓様が鉄子とわかった今、弔が今後本腰入れて戦いに来る可能性が高い」


心臓が大きく脈打つ。

そうだ、僕の血が特殊で弔が何らかの目的で必要としていれば、今後も今日みたいなことは頻発する。


「それに数名ほど京都に出払っているからな。カツカツなんだよ、シフトが」

百合之丞さんは一息にまくし立てると、「ほら行きますよ」と僕と十五さんを連れて部屋から出る。


気がつけば、もう日が暮れかけていた。廊下から下の方だけオレンジ色の空が見える。


「……弓様」

「えっ、はい!」

「助けが遅くなり、申し訳ございません」


九十度だ。百合之丞さんの腰がしっかり九十度、直角に曲がっていた。

「いやいや!そんな……」

「いえ、これは我々の責任です」


百合之丞さんはそう言って顔を上げると、「失礼します」と歩いて行ってしまった。

しゃんと伸びた背筋が遠ざかっていくのを、僕は何も言えずに見送る。


「……百合、弓のこと見直したみたいだよ」

「ひえっ」

後ろから囁かれて、耳がくすぐったい。十五さんは糸目をさらに細めて、仏像のアルカイックスマイルによく似た表情を浮かべていた。


「僕が、鉄子だからですか?」

「いーや」

十五さんは首を横に振る。


「弓が、逃げなかったからだよ」

「え」

照れくさくて、僕は人差し指で頭をポリポリとかいた。


「いや、僕逃げようとはしてましたよ……」

「そうじゃなくてね〜…弓が逃げなかったのは、考えることから、だよ」


十五さんは大きな手のひらで、僕の頭のてっぺんをポンポンと軽く叩く。

「百合はただの甘ったれだと思ってたみたいだけど……頑張ったね、弓」


目頭が熱くなる。認められるって、こんなに温かいんだ。

「はい……へへ、ゴミが」

泣かれてるって思われたくなくて、僕は誤魔化して目に溜まった涙をぬぐった。


「あ、保智殿」

おじさんは小走りでこちらに向かってきていた。僕を見つけると、さらにペースを上げる。


「弓!無事でよかった!」

「おわっ、おじさん!?」

思いっきり抱きしめられて、肋骨が折れるかと思った。


「く、苦し」

「あぁ、すまん」

おじさんの眉は、頼りなさそうに八の字を描いていた。


「弔と対峙して、よく無事だったな」

「若葉さんが助けれくれました。それと百合之丞さんと百尋さんも」

「そうか……」


ぎゅ、ともう一度抱きしめられる。力が強くて苦しいけれど、嫌じゃない。


「弓、おかえり」


くすぐったいこの言葉に、僕はいつになったら慣れることが出来るだろうか。


「……はい、ただいま戻りました!」

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