第5話 最凶1

百合之丞さんの実家は、鳳の家と同じような日本家屋だった。うちに比べて多少サイズ感は小さくなるが、それでも立派な家だ。


日本家屋特有の木材の匂いに混じって、どこからか百合の香りがする。


「百合ん家は、相変わらず駐車場から家までが遠いな〜」

「文句があるなら来るな」


若葉さんは何度か来たことがあるようで、遠慮なくだだっ広い玄関で靴を脱いだ。その後キッチリ揃えるのが意外だったけれど。


「よく来たな、之丞、風間の坊!」

百尋さんは、三十年後の百合之丞さんといった感じだった。ただ百合之丞さんのような神経質な雰囲気はなく、どちらかと言えば楽天家っぽくに見える。


「お久しぶりです」

百合之丞さんが頭を下げるのに合わせて、僕も会釈をする。若葉さんはしてなかった。どうなの、それと心の中で苦笑する。


「父上は?」

「兄なら義理姉ねぇさんと一緒に外出中だ。夕方には帰ってくるぞ。挨拶するか?」

百合之丞さんはこめかみを人差し指でかくと、「その前に帰りますので大丈夫」と事務的に告げる。


「……合染は」

「あ、あぁ、合染ならさっき出かけた」

その言葉を聞いてがっくり肩を落とした百合之丞さんは、片手で顔を覆いながら大きなため息をつく。


「そうですか」

「ま、弟のことはいいじゃねぇか。それより百尋さん、こいつが弓だ」


若葉さんは突然二人の間に割って入るように発言すると、いきなり僕の両肩に手を置く。視線が一気に自分に集まるのがわかった。


苦手なんだよなぁ、この感じ。僕はどんな表情が正解かわからず、下手くそな営業スマイルを披露する。


「はじめまして、花岡百尋です。百合之丞の父の弟、ようは伯父です」

「はじめまして、わか…じゃなくて鳳弓です」


手を差し出され、おずおずと握り返す。板のように分厚くて堅い手だった。

「さ、おいでください。稽古場にご案内いたします」


どうにも花岡家の人達は、僕を格上としてしっかり接するつもりらしい。人から偉い人間として扱われたことのない僕には、あまり居心地が良くない。


「そういえば、弓様はお名前の通り弓がお得意なのだとか」

「え?」


稽古場までの道すがら、百尋さんは思い出したようにつぶやいた。

「百発百中の腕前だそうで。弓様は陰陽師でありながら武芸も秀でておられるとは、すばらしいことです」


なんで僕へのイメージがすごいことになってるの?

僕は助けを求めるように若葉さんの方に目配せをするが、若葉さんはグッ、と無駄にいい笑顔で親指を立てた。


ダメだ、絶対なんか勘違いしてる。


「百合の家も武芸に秀で、花の家の中でも特に薙刀を扱うことが得意でしてな。薙刀ができて一人前とするのが習わしです」


「薙刀なくして百合の家なく、百合の家なくして薙刀なし。我々はそう育てられてきました。百尋の伯父上は薙刀に加えてさらに弓も一流なんです。さらに弓様の腕前が上がるように、と若葉の提案で」


百尋さんに同調するように百合之丞さんも事務的に、けれども力強く言う。

「は、はぁ」


僕は再び若葉さんに目配せする。彼はまた親指をたてるだけだった。何もグッ、じゃない。


どんどん僕へのハードルが上がっていくのがわかった。

冗談じゃない!

どこかでねじ曲げられて原型を失った僕へのイメージを修正する間もなく、稽古場に着いてしまった。


「さ、まずは弓様の腕前を見せてくだされ」

百尋さんは泣けるほどスピーディーに支度を整えると、僕に弓と矢を手渡す。

何か発言する時間すらなかった。


「それを見て、直すところを見つけます。とはいっても、お教えすることがないかもしれませんがね」

ハハハ、と楽しそうに百尋さんが笑う。

ここまで来たら、仕方ない。


僕は一度深呼吸すると、矢をつがえる。

体は覚えているもので、何も考えなくても自然と的を射る姿勢になる。


そういえば、母さんが元気なうちは近所の神社に習いに行っていたっけ。

父さんも好きで、何度か三人で見に行っていたらしい。

母さんと二人になってからも、よく行った。

僕が家族との少ない思い出に出会える、数少ない媒体。


後ろで三人がどうしているかわからないほど、集中する。

的と、弓矢と、僕だけの世界。


矢を放てば、美しく円を描いて──少し先の地面に突き刺さった。






「びっくりしたな〜まさかあんなに弓が下手っぴなんて」

「そもそも僕、一言も上手いなんて言ってないんですけど!?」


勝手なことを吹聴した若葉さんを睨みつける。

百合之丞さんが百尋さんと話している間、僕たちは先に失礼して駐車場へ向かう。


木々が影を落とす駐車場への道は、炎天下の中歩いていてもそこまで暑くはなかった。

石灯籠が両横に立ち並ぶ風景は、観光地のようで落ち着かない。


「え〜だって施設であったとき得意そうに弓道好きって言ってたじゃねぇか」

「得意そうに言ってませんけど!?」


はぁ〜と深いため息をつくと、会話が途切れる。

若葉さんが黙ってしまえば、会話の苦手な僕からは何も言えない。

蝉が間をうめるように騒がしく大合唱していた。


「あの…」

沈黙に耐えられずに、僕は目線だけ横を歩く若葉さんにうつす。


「静かに」


比較的声の大きい彼にしては珍しく、小さな声で零した。


ザワザワと、葉っぱが風で胸騒ぎのような音を立てる。

分厚い夏の雲が、太陽を半分隠した。

木がしなるほど揺れて、まだ青々としている葉が、いくつか風に吹かれて飛んでいく。

季節外れの木枯らしのような風に、身を震わせた。


「ッ!」


鈍い音がした。

そのすぐあと、それは甲高い金属音に変わる。

刀のぶつかる音だとわかるのは、振り返ってからだった。


「背後からってのは、感心しねぇな」


若葉さんは刀を中途半端に抜いた状態で、男性の攻撃を受けていた。


「殺す気はないよ。ちょっとしたご挨拶さ」


男性は後ろに跳躍すると、ひらりと燈篭のてっぺんに立つ。

ワイヤーアクションのように無駄のない、優雅な動きだった。


「ご挨拶ぅ?」

「はじめまして、弓」

男性の興味はすっかり僕にうつっているようだった。

若葉さんを初めから認識していなかったように、紳士的な仕草で、僕にお辞儀をする。


「私の名は弔」


「弔――」


若葉さんは、すぐに抜刀した。

「逃げろ、弓」


その名前は、父さんの仇じゃないか。

「君を、迎えに来た」


男性──弔は、見るものすべてを安心させるような、柔らかな笑みをたたえている。


「君は選ばれし、美しい人間だ」

弔は言葉を紡ぐのをやめなかった。


「弓はね、鬼の子供なんだ。お母さんが鬼の末裔なんだよ」


若葉さんが弔に斬りかかる。

弔の立っていた燈篭は真っ二つに割れたのに、弔自身は何食わぬ顔で僕の横に移動していた。


「鬼の女性は鉄子てつごと言われる。怪我をしにくくて、しても傷の治りが異常にはやい。その血には力が宿る。けれど鬼の男にその能力が現れることはほとんどない」


毛先だけが黒い白銀の髪が舞う。

まっさらな雪原の色なのに、なぜか曇天のような髪色だと思った。


「しかし弓、君は鉄子だ。これはね、オスの三毛猫くらいの確率なんだよ。選ばれた子は、その力を使わなくてはならない」


「てつ…ご…」

何を言っているのかわからない。なのに、彼の言うこと全部が正しいようにきこえる。


「弓、聞くな!」

「弓、聞いて」


弔さんは僕の両手を包んで、胸のあたりに持っていく。


「私と一緒に美しい世界を創ろう。妖も共に生きる、誰も虐げられることのない美しい世界だ」

「美しい世界……」


彼の瞳の中には、星空が広がっていた。

「弓に、居場所をあげる。ずっと私のそばにいなさい」

「弔さんの……」


吸い込まれそうな、どこまでも拡がる宇宙のような瞳。

このまま吸い込まれてしまいそうな――


「弓!!!!!」


身体を弔から引きはがされた。

若葉さんに後ろから抱えられて、弔から距離をとる。


「あっ、僕……」

「気がついたか?あいつは催眠術みてぇなのを使うらしいから気ぃつけろ」


弔は近寄ってこなかった。

ただじっと、首を少し傾けて僕らの方を見つめる。


「君は、弓と私の関係を邪魔するのかい?」

「あ?お前と弓に何の関係性があるんだよ」

若葉さんは唸るようにつぶやく。


「弓は鳳の人間だ。指一本触れさせるか」

弔は切れ長の目を、さらに細めた。

ゾッとするほど、暴力的な美しさ。


「そう……なら、死んでもらうしかないのかな」

若葉さんは僕を抱えたまま、さらに弔から距離をとる。


「若葉さん!」

僕が手を差し伸べると、彼はすぐに言わんとすることを察してくれた。


ブツ、と人差し指の皮膚が破られる感覚がする。

彼が飲み終わった後、少し時間をおけば不思議と血は止まる。

そうか、これが──鉄子の力。


「ほう、かまいたちと契約した半妖は、血で強化される。どうりで動きが速いわけだね」

弔は眉を片方だけ上げ、興味深そうに僕らを観察していた。


圧倒的、強者の余裕。

肉食獣が確実に狩るために、相手を観察している姿だった。


「弓、彼も連れてくることを許可してあげよう。どうかな?」

弔は腕を組んで、こちらを窺うように首を傾げる。


彼の動きは全てが美しかった。

一つ一つに無駄がなく、伝統芸能のように長い歴史の中で洗練された動き。

見ていれば、魅入ってしまう。


でも──


「僕は鳳の家にいます。若葉さんを……仲間を平気で傷つけ、オマケのように扱う人とは一緒にいられない」


「若葉は、鳳は、陰陽師は……弓のことを、ただの都合のいい駒としか思っていないよ?」

「そんなことありません」

「根拠は」


弔の問いに、僕は大きく息を吸い込んだ。


「僕は……僕を助けてくれた人を信じます」


弔は笑った。

あまりにも自然に。

クラスメイトとの何気ない会話で肩を震わせる学生のように、邪気のない素直な笑顔だった。


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