第4話 近況2

「やあ、弓」

若葉さんと十五さんに屋敷を案内してもらい、ご飯を食べたりしていると、すっかりおじさんの帰宅する時間になっていたようだ。


「若葉に十五、弓の面倒をみていてくれていたようだね。ありがとう」

おじさんが軽く頭を下げると、若葉さんは「いやいや」と手を横に振る。


「……弓、おいで」

僕はおじさんに手招かれるまま、立ち上がった。





おじさんに連れられて、僕は母屋の奥の方にある部屋の前に着く。

光の入る隙間もないほど閉じられた障子の向こうからは、まったくといっていいほど人の気配はしなかった。


「あの」

声をかけると、おじさんはゆっくりと顔を動かす。

発言することを許さないような、有無を言わさぬ雰囲気に、思わず息を呑む。


「あけるよ」

その四文字を口にすると、おじさんは静かに障子をすべらせた。


月明かりと中庭の灯りは頼りなく、僕らの影をうっすらと部屋の中に作るだけだった。おじさんに続いて、僕も部屋に足を踏み入れる。


部屋に入ってすぐ感じたのは、馴染みのある鼻につく臭い。そして、あの耳を塞ぎたくなるような規則的な機械音。


「……これ」

おじさんは何も言わず、部屋の明かりをつけた。まるで、種明かしをするように。


三十畳ほどある部屋の一番奥に、人影を見つけた。

血管のように張り巡らされたチューブに囲まれる男性は、何も言わずベッドに横たわっている。


趣のある和室に、突然病室のベッド周りだけをはめ込んだような異質さ、異常さ、違和感。一言では表現できない不協和音だった。


「……もう、何年にもなる」

おじさんはポツリと、苦しそうにこぼした。


「弓、君のお父さん……鶴護つるまだ」


夢で見た男性と、よく似ていた。夢よりも老けて痩せていたけれど。


「私たち陰陽師のトップである、天宮という家が京都にあってね。そこが陰陽師の本拠地だ」

おじさんは僕に聞かせるというより、ほとんど独り言のようにしゃべりだした。


「数年前、そこが襲撃された。運悪くそちらへ出向いていたその時に……こうなってしまった」

おじさんの拳は震えていた。


怒りなのか、悲しみなのか、凍えたように震える拳を、僕は見つめることしかできなかった。


「何で、何に襲撃されたんですか?」

背の高いおじさんの顔は、見上げないと見えない。


僕はなんとなく怖くて、死体のように横たわる父を見ていた。枯れ枝のように生気がなくほっそりとした腕は、ほとんど骨に皮がへばりついているだけだった。


「弔、という男だ」


おじさんは一呼吸挟んでから、何の感情もなくその名前をつぶやいた。


「随分昔からいる、奈良か平安の頃の生まれで不死身……未だに、その正体はつかめていない」

「若葉さんやおじさんの言う、妖ですか?」

おじさんは短く息を吐くと、首を左右に振った。


「そうでもあるし、そうでもない。妖は本来、災厄が具現化したものだ。意思はない」

どういうことかわからず、僕は静かに次の言葉を待つ。


「ただ、弔はそんな妖をなぜか操る。彼は長い時をなぜか生きて、なぜか私たちと対立している」

おじさんは肩をすくめると、「つまり何もわからない」と自嘲するように顔を歪めた。


僕は「僕が仇をとります」なんて言えるはずもない。ただ黙って、おじさんの顔を見るしかできなかった。


規則的に響く機械音が、僕の心臓の鼓動と重なる。それがこの死体のような体が生きていることを示す、唯一だった。






「おはよ、弓」

「若葉さん。おはようございます」

鳳家で二度目の朝。


朝イチでお手伝いさんに起こされ、簡単な身支度を手伝ってもらうという、貴族みたいな慣れない行為で朝からどっと疲れた。せっかく寝て疲れを取ったはずが、また振り出しに戻った気分だ。


大広間のようなところまでお手伝いさんに案内され、そこでおじさんや当直をしている人達と朝食を食べるらしい。


昨日の若葉さんたちの案内でも言われていた、畳何畳分か数えるのもおっくうになりそうなほど、大きな部屋だ。


「どうだった?朝から大勢に取り囲まれる気分は」

「なんと言うか、申し訳なさで死にそうでした」

「ははは!だろうな!これから毎日これが続くんだぜ?」


朝から元気な彼に、さらに体力を吸い取られた。僕はげっそりした顔で、大広間へと入る。


部屋の一番奥にはおじさんが座っていて、僕の方を見ると、向かいのお膳を指さす。どうやら僕の位置はそこらしい。


昨晩当直だった百合之丞さんへ挨拶をすませ、指定されたお膳へとすごすご向かう。


「おはよう、弓。寝れたかな?」

おじさんは快活な笑顔だった。一瞬だけ、昨晩の有無を言わさぬような顔が過ぎったけれど、明るい雰囲気にかき消される。


「おはようございます。まぁ、それなりには……」

お手伝いさんにわんさか囲まれて起きた瞬間から疲れましたとは言えない。僕はぐっ、と飲み込んで、お膳の前で正座する。


どうやら僕と若葉さんが最後だったようで、僕らが座ったタイミングでぞろぞろとお手伝いさんたちがお盆にご飯をのせて部屋に入ってきた。


ほかほかの白米に、豆腐とワカメの味噌汁、香ばしい匂いのする皮がパリパリの焼き鮭。他にも卵焼きや漬物など、空っぽだったお膳はいつの間にか賑やかなことになっていた。


「いただきます」

おじさんがつぶやくと、各々「いただきます」と言って食べ始める。

え、これしゃべっていいの?

この儀礼じみた空気感のせいか、ご飯の味がしない。


「あっ、弓」

若葉さんから声をかけられて、僕はほっとする。よかった、普通の朝ごはんだった。


「今日は百合の家に行こう」

「はぁあ!?」

突如として流れ弾に被弾した百合之丞さんは、勢いそのままにきゅうりの浅漬けを箸で突き刺した。


「百合今日非番だろ?百合のおじさんに、弓が得意な人がいたはずだ。せっかくだし、弓に合わせてやりたい」

「百尋の伯父上か。たしかに隠居して暇しているとはいっていたが……」


百合之丞さんは苦虫を噛み潰したような顔をすると、「連絡するから待ってろ」と諦めたように味噌汁をすする。


「いや、その必要はない」

「はぁ!?」

百合之丞さんはもう一度漬物を箸で突き刺す。カシン、と漆の器と箸のぶつかる音がした。


「百尋さんには連絡済」

「お前……そうやってしれっと人の身内と連絡先交換してるのやめてくれないか。気持ち悪い」

百合之丞さんは歪めた口に、箸が突き刺さった可哀想な漬物を運んだ。





昼食を食べ終わったタイミングで、百合之丞さんが居間にひょっこり顔を出した。

「時間です。行きますよ」


大きな屋敷の廊下はまだ慣れない。どことなく冷たい木の床を感じながら、僕は二人に連れられてガレージに向かう。


日本庭園の中に突然出現するガレージは、あまりにも違和感がありすぎて合成写真みたいだった。

百合之丞さんはカギを取り出すと、プレハブ小屋一歩手前なガレージの、薄いシャッターを開けた。


中に入ると、土ぼこりと油の臭いがする。

「え」


車が五台ほど入りそうなガレージ内部にあったのは、孤独に佇む一台の車だけだった。

彩度の低いオレンジ色の車は、明らかに四、五十年は前の車だ。


「このブルーバードは先代からの愛車なんだよ。鳳家だけに、バードで縁起がいいとかって」

若葉さんは僕の思っていることを察したように笑った。


「弓様の父君も車好きで四台ほどあったらしいですが……保智殿が使わないのに所有するのは申し訳ないと博物館や愛好家に譲ったので、今はこの一台だけです」


百合之丞さんは車のキーを器用に指で回しながら、車の方へ向かう。


「どいてください。車をガレージの外に出すので」

百合之丞さんはそう言い残すと運転席に乗り込み、エンジンをかける。端に二つづつ付いた丸いヘッドライトが、光った。


エンジン音がして、ブルーバードが庭へ颯爽と登場する。

「乗ってください」

運転席の窓から百合之丞さんが顔を出す。


「今さらですけど、百合之丞さんが運転するんですか?」

百合之丞さんはムッ、と下唇を尖らせる。


「免許はありますよ」

「いやそれは当たり前だからな?」

若葉さんはツッコミどころはそこじゃねぇんだよ、と笑った。


この二人は意外にも仲良しなのかもしれない。

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