第3話 近況1
「あ、その……若宮弓です」
「それはさっき聞きました」
言葉を発したのは、百合之丞という人だった。
艶やかな髪は、不純物などないかのような薄い桃色だった。それと相反するように暗い紫色の瞳が、僕を真っ直ぐに射抜く。
心の底まで見透かされているようで、なんだか居心地が悪い。
「改めて、ご挨拶させていただきます。お初にお目にかかります、弓様」
「様付けなんてやめてください。僕の方が年下でしょうから」
僕の反応を咎めるように、彼は丁寧ながらも、少し荒っぽい口調で言う。
「我々は弓様に使役される妖です。弓様との関係は、主従の上に成り立つもの。慣れていただかないと、こちらも困ります」
「使役だなんて、そんな……」
「いえ、そういう決まりですので」
ぴしゃりと突き放すように言われると、僕もこれ以上は何も言えない。深い溝を前に飛び込むほど、勇敢じゃないから。
「吹美実の方も、京都から帰り次第、挨拶に伺わせます」
百合之丞さんは低い姿勢のまま、どこか事務的に言った。
「あいつは多々良にべったりでな。多々良が京都に行くから着いてったんだよ。甲斐甲斐しいことだな」
若葉さんが面倒くさそうに、硬そうな短髪をガリガリとかき回した。
「多々良って誰ですか?」
「弓の従兄弟だよ」
若葉さんの後頭部を、隣に座る百合之丞さんが膝立ちになって思いっきり叩いた。
「主を呼び捨てにするな!」
僕は驚きのあまり、動物みたいに身体を縮こめる。
「その、大丈夫ですよ、呼び捨てで。続けてください」
これ以上空気が重くなるのはごめんだと思い、慌てて僕は若葉さんに続きを促す。
百合之丞さんは形のいい口を歪ませたが、何も言わずにしぶしぶといった感じで座った。
若葉さんは百合之丞さんが座ったのを確認すると、危機は去ったとばかりに舌を一度出して、再び話し始める。
「多々良は保智殿の一人息子だ。もうじき十歳になる。多々良を産む時に、母君が亡くなって、保智殿も継室をとらなかったからな。正真正銘の唯我独尊一人っ子だよ。今は京都にある鳳の本家にいるが、あと一ヶ月もすれば顔を合わせることになるだろうな」
「そうだったんですか……」
まだ顔も知らない従兄弟と、自分の境遇と重ね合わせた。亡くした時期は違えど、同じように母親を亡くした幼い彼の悲しみに共感した。
「んで、あいつも…吹美実も母親を早くに亡くしてる。だからか誰にでも冷徹なあいつにしては珍しく、多々良を可愛がってる」
まだまだ話そうとする若葉さんを、隣にいる百合之丞さんが制止するように睨みつける。
視線から百合之丞さんの言いたいことを感じ取ったのか、若葉さんは「いずれわかることだ」と言って続けた。
「もともと、この家は多々良が継ぐ予定だった。主殿には跡継ぎがおらず、保智殿は主殿の弟だ。その子どもである多々良なら、世継ぎとしては問題がない」
僕はこのあと、どんな話の展開になるのか想像がついた。
「でも僕が、当主の実の子が現れた」
「……あぁ」
若葉さんは静かに頷いた。
僕は一度俯くと、やけにすっきりとした気分になって、顔を上げた。
「僕が出ていけば、もとに戻りますか?」
「貴様!」
百合之丞さんはそう叫ぶと、僕の胸ぐらを掴んで膝立ちのような状態にさせる。一秒にも満たないその動きに、呼吸すら忘れた。
「バカにしているのか!多々良様がどのような思いでいらっしゃると思っている!」
「やめろ、百合!お前らしくない」
若葉さんは百合之丞さんの手を、僕から引き剥がす。
「ケホッ」
僕は軽く咳き込むと、「すみません、軽率でした」とつぶやいた。
「でも、僕は跡継ぎとか向いてないと思うんです。この家のことも……あと、オンミョウジも何も知らないし。それに、多々良という子がいるのなら、跡継ぎがいないわけでもないし」
息を整える僕の背中を、若葉さんがさする。
これは、本心だった。
自分の居場所がないからといって、他人の居場所を奪うことに正当性なんてない。
「とはいっても、お前ここを出てってどうするんだよ」
僕は気をつわかせまいと、精一杯の作り笑いを見せた。
「大丈夫です。僕、こういうの慣れていますから」
若葉さんは寂しげな表情を浮かべるが、対照的に百合之丞さんは苛立った顔つきだった。
「悲劇のヒーロー気取りですか」
「百合!」
百合之丞さんは再び舌打ちをすると、露骨に音を立てて去っていった。
「はぁ……協調性のないやつらだよ」
部屋に残ったのは、僕と若葉さんと──
「……あれ?解散?」
猫のように体を伸ばす、十五という人だけだった。
「解散じゃねぇよ」
若葉さんは呆れたように言うと、ため息をつく。
「悪いな、弓。お前も不慣れな場所に来て、疲れてるだろうに……」
「いえ、大丈夫です」
僕はどんな表情が正解かわからず、苦笑する。
「それより、多々良…くんは、僕のせいで?」
若葉さんは首を横に振ると「弓のせいじゃないさ」と、明るく笑った。
「多々良のことは気にするな。元々、世継ぎになることを疑問視する声もあったからな」
若葉さんは僕を励ますように背中を叩いて、あっけらかんとした様子で言った。
それでも胸は鉛のように重たいまま、お腹の辺りを圧迫する。
「さて、ここにずっと居ても仕方ない。保智殿の言うように、まずは慣れることからだな」
若葉さんは立ち上がると、猫のようにごろりと寝転んだままの十五さんのしりを叩いた。
「うぅ〜、何すンのさ」
十五さんは顔だけ上げて、唸るように抗議する。
「ほら、いつまでだらけてるつもりだ。弓を案内するぞ」
「で、ここがトイレ。厠って書いてあるところは全部トイレだ」
若葉さんは単純な家屋の案内をしてくれた。
迷路のように入り組んだ廊下を、若葉さんは僕らを連れてぐんぐん進む。
「さっきまでいたのが、あそこ。母屋だ」
中庭に面した縁側で、若葉さんは一番奥の建物を指さす。
「保智殿と多々良が住んでるとこ。弓も住むことになる建物だな」
「三人であんな大きなところに!?」
僕はあんぐりと口をあけた。
若葉さんが指をさした建物は、僕が暮らしていた児童養護施設の二倍ほどある。何十人と住んでいた建物の二倍の大きさに、たった三人。
今まで自分の過ごしてきた環境とは、まったく違う世界だとハッキリ突きつけられたようだ。
「昔はもっと人がいたらしいが……この家だけじゃない。どの家も少子化ってやつだな」
若葉さんはどこか他人事のようにつぶやいた。
「だからこそ、弓は呼ばれちまった。本当なら、長野で普通に、平穏に暮らせたはずなのに」
はぁ、とため息混じりに、若葉さんは僕を見つめた。その視線に引っかかるところを感じながらも、何も言えず見つめ返す。
「……弓、嫌なら逃げていいぞ」
背の高い若葉さんは、背があまり高くない僕と目線を合わせるために、腰をかがめる。
「弓には拒否権がある。衣食住の面倒の代わりに、命までくれてやる必要なんかない」
若葉さんは、諭すように続けた。
「お前が逃げたいなら、協力する。うちに来たっていいし、いい児童養護施設を探したっていい」
僕は若葉さんの真っ直ぐな視線に耐えられなくなり、すぐに逸らした。
こんな風に自分を、孤児となった可哀想な子ではなく、若宮弓として見てくれる視線は久しぶりだと、感情は複雑に渦を巻く。
「……僕は」
それは誰かから強制されたわけでもなく、自らの意思で、言葉になった。
「居場所をくれる人がいるなら、そこにいたいです」
僕はぎこちなく笑った。嘘ではなく、笑い方がよくわからなくなってしまった僕なりの、本心から出た笑顔だった。
「ありがとう、若葉さん。あなたみたいに僕を見てくれる人がいるなら、僕はここにいたいです」
一息置いてから、「多々良くんが良いって言うならですけどね」と冗談っぽく付け足した。
若葉さんは口を歪ませた。苦しそうでもあり、嬉しそうでもある表情に、どう言葉をかけていいか困惑する。
「……それなら」
二人の間を取り持つように、十五さんがひょっこり顔を出す。
「改めてよろしく、跡継ぎ殿。君みたいに振り切れる子は、嫌いじゃない」
十五さんはそう言いながら手を差し出す。
「握手だよ。跡継ぎ殿」
柔らかく笑う彼に、僕もつられて笑い、手を握り返した。
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