第2話 わたしたちの、秘密

 本宮月子、もといかぐや姫と私は、その日から無二の友人になった。


 変質者に襲われた私を助けた後、家の近くまで送ってくれたかぐや姫に、私はまた会いたいと言った。


「おお!そなたのような乙女から逢引きの誘いとは、嬉しきかな。わらわは追われる身ゆえ、夜半しか出歩けぬが、さくらがよければお供しようぞ」


「ありがとう!それじゃ明日、塾が終わる時間に待ち合せね!」


 私が手を振ると、彼女も切れ長の目を細め、手を小さく振った。そして身を翻すと、長い黒髪を靡かせながら夜の闇に消えていった。


                 ◆


 次の日、私は朝から気もそぞろで、朝ごはんを食べずに家を出ようとしてお母さんに怒られた。学校では、昨日から来なくなった竹中直樹の噂をみんながしていたけど、私は適当に相槌を打つだけで、ぼんやりしていた。


 いつもより長く感じた学校が終わると、塾に直行だ。7時から始まる授業まで、自習室で勉強することにしている。ただ、その日は参考書を開いただけで、あとは音楽を聴きながら時間の過ぎるままに任せていた。


 例によって延長した授業が10時過ぎに終わると、私は急いで教室を飛び出し、塾の入る雑居ビルの階段を駆け下りた。通りに出て、あたりを見渡す。かぐや姫の姿は、ない。


 まだ来ていないのかと思い、周りをぶらぶらしていると、微かに「さくら」と呼ぶ声がする。


 見回すと、ビルの非常階段下の狭い隙間に、幽霊のようにかぐや姫が立っていた。


「なんだ、こんな所にいたの。早く、一緒に行こ」


 私が声をかけると、彼女はしっと口に指をあてた。


「あまり大きな声を出すでない、さくら。壁に耳あり障子に目あり。どこで月の間者が見ているか分からぬ」


「月の…かんじゃ?誰かに追いかけられているなら、私に付いてきて。とっておきの秘密基地があるから!」


「本当じゃな。その秘密基地に行けば、誰にも見つからぬのじゃな」


 念を押しながら、かぐや姫は渋々暗がりから出てきた。今日も半袖シャツにジーンズ。月の姫は、服装には無頓着なようだ。


 駅前から繁華街を通り、公園へと向かう。かぐや姫は、絶えずあたりを見回し、すれ違う人々に鋭い視線を投げていた。


「なに気にしてるの?怪しい人なんていないよ」


「さくらは未熟じゃな。月の間者は変装の達人。一般人に紛れて、わらわを監視しておるのじゃ。かように人通りの多き場所では、片時も気が休まらぬ」


 パチンコ屋の前を通ったとき、ちょうど客が出てきてドアが開いた。店内から、賑やかな音と光の放流が溢れ出す。その刹那、かぐや姫は頭を両手で抱えて座り込んでしまった。


「あ…ああ…」


 言葉にならない苦しそうな声を上げる彼女の背中を、必死にさする。


「大丈夫?気分が悪いなら、水買ってくるけど」


「…かたじけない。頼む」


 かぐや姫の手を取り、ゆっくりと体を引き起こす。彼女の額には汗が滲んでいた。


「月の軍勢が使う、光の矢に似ていたものでな。つい動揺してしまった。面目ない」


 私の手を握ったままの彼女を連れて近くのコンビニに入り、天然水を買う。会計をしている間、彼女は私の後ろに子供みたいに隠れていた。ちょっと可愛い、と思う。


 コンビニを出てまた少し歩くと、住宅街に囲まれた公園に着いた。広くはないが、外周を背の高い木々に囲まれ、箱庭のような小世界となっている。真ん中にあるジャングルジムに上ると、森に住む小鳥のような気分になれるので、小学校低学年まではよく来ていた。


 誰もいなかったので、私はかぐや姫とジャングルジムに上った。


「この秘密基地なら、誰にも見られないよ。安心安心!」


 元気づけると、かぐや姫も人心地が付いたようで、表情が和らいだ。


「この町にこんな場所があったとはな。あぁ、落ち着く」


 そう言って、私が買ったペットボトルの天然水を口に含む。細くて白い喉が上下するのに、思わず見とれてしまう。


「さくらも飲まぬか」


 かぐや姫が急にこちらを向いたので、慌てて視線を逸らす。


「あ…ありがとう」


「そなたにもらった水だ。遠慮はいらぬ」


 差し出されたペットボトルを受け取り、おずおずと口を付ける。間接キスに、心がざわめいた。


「かぐや姫って、いくつなの?二十歳ぐらいに見えるけど」


「乙女に年齢を聞くのは無粋というもの。だが、さくらには特別に教えよう。わらわは、下界では19歳だが、真の齢は…」


「月のお姫様だから、すっごく長生きなんでしょ!」


 言葉を先取りすると、かぐや姫は驚いた顔をした。


「さくらは、まだ年若いが物識りじゃな。将来は大博士になるやもしれぬ」


 褒められたのが嬉しくて、自然とにやけてしまう。そのまま、私たちは一緒に、夜空にかかる上弦の月を眺めていた。


                 ◆


「ねぇ、明日も、またこの公園で会おうよ」


 ジャングルジムでのお月見が終わってから誘ってみると、かぐや姫は優しく微笑んで頷いた。今日一番、美人に見えて、ドキドキしてしまう。


「さくらの誘いなら、断れぬな。では明日、またこの時間に会おうぞ。それと…」


 突然赤くなって、もじもじしている。私が不思議そうに見ていると、照れくさそうに顔を背けた。


「その…ぎゅっとしてくれぬか…少しだけでいい」


 予想外に可愛い言葉に、思わず意地悪な気持ちになる。


「んー?聞こえないな。なんて言ったの」


「だから…わらわを、抱きしめて…ほしいのじゃ」


 我慢できなくなって、かぐや姫に飛びつく。華奢な体からは、柔軟剤の香りと、彼女の髪の甘い匂いがした。シャツに顔をうずめると、すらりとした手が優しく頭を撫でた。溶けちゃうぐらい気持ちいい、と思う。


「明日まで待てないよ」


 独り言のように呟くと、優しく響く声が答えた。


「さくらには、昼の世界がある。今夜は帰って、ゆっくり休むがよい」


 夏の夜風が、かぐや姫の長い黒髪を柔らかく揺らしていた。

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