かぐや姫をさがして
ユーリカ
第1話 わたしの、月のお姫様
「かぐや姫を待ってるの」
藤原さくらが真顔でそう言ったので、僕は馬鹿にされているのかと思い、不機嫌になった。
夜空にかかる下弦の月が、ジャングルジムのてっぺんに腰掛ける藤原さんの横顔を照らしている。切り揃えたボブが、夏の夜風にさらさらと揺れた。
「かぐや姫と私は、いつもこの時間にこの公園に来てたの。だから、待っていればまた会える」
ふくれ面をした僕に構うことなく、彼女はかぐや姫について語り始めた。
◆
中学1年の6月、僕、竹中直樹は不登校になった。
明確なきっかけは特にない。天真爛漫に過ごしていれば良かった小学校とは違い、中学は何かと神経が疲れる場所だった。クラス内の力関係、部活での厳しい上下関係、内申点を得るための教師への気遣い…。大人の社会が、ここまで「関係」に縛られたものだとは、僕は全く知らなかった。
朝練のため早起きして学校に行き、そのまま部活が終わる夕方まで様々な「関係」に拘束される。そんな息苦しさを抱えていた僕は、梅雨前線がどんよりと空を覆う頃、我慢の限界に達していた。ある朝、朝練のために起きようとしても体が言うことを聞かなかった僕は、そのまま学校に行くことをやめた。
不登校になった後は、変化が速かった。早起きの必要がなくなったので、昼間に起きてゲームをするようになった。早朝までゲームをして寝ると、起きるのは夕方になった。そうして、気付けば、僕は日の当たらない時間帯に活動する、夜行性人間になっていた。
1学期が終わり、カレンダー上で夏休みが始まると、僕はゲームばかりする生活に飽きて外を散歩するようになった。夜中に出歩くのは理由もなく楽しくて、初めは近所を一回りするだけだった散歩ルートは、いつしか学校までの通学路を含む長いものになった。学校に行く途中、駅前の繁華街にほど近い場所に小さな公園があった。月を見上げる藤原さくらを見かけたのは、その公園だった。
◆
ジャングルジムの上の人影を見た時、最初は子供が迷子になったのかと思った。でも、よく見ると、うちの中学の制服を着た女の子は同じクラスの…。
「もしかして、藤原さん?」
恐る恐る声をかけると、藤原さくらはゆっくりと僕の方を見た。教室で見せる怜悧な顔とは違う、放心したような表情だった。でも、それも一瞬のこと。いつものクールな藤原さんに戻った彼女は、僕に鋭利な言葉を投げつけてきた。
「あら、誰かと思えば引きこもりの竹中くんじゃない。夜中にお散歩する元気があるなら、一日ぐらい学校に来ても良かったんじゃないかしら?」
「藤原さんこそ、夜中にこんな場所にいたら危ないじゃないか。早く家に帰らないと親だって心配するよ」
「余計なお世話よ。うちは共働きで二人とも遅いから、今帰ってもどうせ夜食しか待ってないわ。それに、私はここで大事な人を待ってるのよ」
夜中に公園でデートとか、藤原さん見かけによらず大胆だな。そんな妄想をしていると、彼女は大真面目に続けた。
「かぐや姫を待ってるの」
◆
1カ月前の夜、私、藤原さくらは塾が10時過ぎに終わって、駅前から繁華街を通って家に帰ろうとしていた。夜遅いのには慣れていたから、その日はちょっと近道しようと思って、雑居ビルの間を通り抜ける細い路地を歩いていた。薄暗くて、気味の悪い道だったから気が急いて、周りへの注意が疎かになっていた。
「……!!」
突然、分厚い手で口元を塞がれて、私は頭が真っ白になった。そのまま、強い力で路地の隅に引きずられる。
「君、可愛いね。おじさんと遊ぼうよ」
ねっとりした声が耳をざらざらと撫でる。変質者に捕まったのだと分かった。後ろから押さえつけられているので顔は見えないが、酒臭い息と、胸をまさぐる手が堪らなく不快だった。
(たすけて!)
必死に叫ぼうとするが、口を塞がれているせいで声が出ない。思い切って、口元の手指を力いっぱい噛む。
「……って!何すんだこのガキ!」
悲鳴を上げて変質者が力を緩めたすきに、体を振りほどいて大声で叫ぶ。
「誰か!たすけてー!」
その直後、目から火花が散って私は地面に倒れた。後ろから殴られたらしい。
「せっかく遊んでやるっつってんのに、何してくれんだよ!」
今度は仰向けに組み伏せられ、服を脱がせようとしてきた。弛緩したぶよぶよな顔が気持ち悪すぎて、目を背ける。変質者の顔が近づいてきた、その時だった。
「なにをするか!悪党め、この月の姫かぐやが成敗してくれる!」
よく通る、芯のある声の方に目を向ける。数メートル先に、二十歳ぐらいの綺麗な女性が立っていた。半袖シャツにジーンズというラフな格好の彼女は、ビルの合間から見える月を背景に、声を一段と張り上げた。
「年端もゆかぬおなごに手を上げるとは、見下げた奴だ!ただで済むと思うなよ!」
ものすごい剣幕で一歩一歩近づくかぐや姫に恐れをなした変質者は、私から離れると路地の奥へ一目散に逃げて行った。
「あ…ありがとうございます」
かすれた声で礼を言う。体は、恐怖でぶるぶると震えていた。かぐや姫は、そっと私を抱き起すと、優しい顔で言った。
「なにを申すか。可憐な乙女の窮地を救うのは、月の姫として当然の務め。礼を言われるほどのことではないわ」
「あなたは…いったい」
かぐや姫は不敵な笑顔を浮かべた。
「我が名は本宮月子。だが、これは世を忍ぶ仮の姿。月の姫かぐやこそ、我がまことの姿よ」
長い黒髪の、甘い匂いに包まれてふっと力が抜ける。体の震えが、収まったのに気付いた。
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