第19話 絶滅寸前季語辞典
俳句を志したことがない方でも、作るには季語が基本的には必要であることをご存知ない方は少ないでしょう。
そうした季語を確かめる際に欠かせないのが歳時記でして、ただ季語を確かめるだけではなく時に自分の中へと季語を取り込むべく用いられるため非常に有用です。
歳時記片手にちょいと野原へ、という気軽さで出かけられるのもいいのですが、中にはよく分からない季語も含まれています。
そうした季語を実感として分からないということでそれまでは避けていたのですが、夏井いつき氏の「絶滅寸前季語辞典」を手にしてからは想像力を働かせて挑みかかるようになりました。
例えば、この句を作るきっかけとなったのも本作のおかげでして、そもそもが温風という言葉すら知りませんでした。
この温風が太平洋高気圧から吹き出す小暑の頃の暖かく湿った風と知り、その牧歌的な言葉が今では豪雨災害を
この句の出来の良し悪しはさておき、こうした思いもしなかった言葉と出会えるのが本作の楽しいところです。
本作の前書きで筆者は歳時記をおもちゃ箱のようなものと喩えています。
その延長線上に本作があるとすれば、この一冊はおもちゃ箱から外されそうになっているものを集めたものと言い換えられるのかもしれません。
言葉に流行り廃りがあるように、季語にもそうした風潮があるのだというのは私にとっては意外でした。
それは俳句を昔から続く古典的なものとして捉えている私の固定観念によるものでして、どこか現代文学とは一線を引いたものとして感じていたところがあったのだと思います。
ただ、確かに載っている言葉達は現在の風習から大きく離れていまして、それが季語として絶滅すると言われても頷けるものも多くあります。
例えば
これは農民の年貢の量を決めるべく行われた刈り取る前の稲の実地検分を表しているのですが、最早年貢を納めることのない現代においては使われない言葉になるでしょう。
何とか作ろうとしてもそれは空想上の歴史の舞台をまず作り上げる必要があり、そこから先はどこかファンタジーに似たものとなってしまいます。
ここで異世界ファンタジーに片足を突っ込みながら書いてみたいという思いが少しもたげてくるのが私の悪い癖なのですが、いずれそうした作品でこれらの季語に命を与えましてもそれは果たして生きた季語と言えるのか。
やはり絶滅寸前となるにはそれなりの理由があるように思います。
その一方で、これらの季語が今の私達に与えてくれるものもあるように感じています。
コレラ船というコレラの副題がありまして、これはコレラ患者の発生した船が港に入れず沖に停泊しているものを指します。
この季語を見た瞬間に、背筋が凍る思いがしたのを今でも生々しく覚えていまして、本作を購入してからしばらくした五月の中頃ではなかったかと思います。
それは丁度、ダイヤモンド・プリンセス号上で新型コロナウィルス患者が発生し、それにより生じた種々の対応と重なり、昔も今も変わらぬ戦いをまざまざと見せつけられたように感じました。
瓜番という季語もあります。
これは瓜を収穫する前の時期に、それを盗む者が出ないようにするため畑に小屋を作って見張るという意味の季語です。
どこか牧歌的な印象もある季語ですが、農作物や家畜が大量に盗まれるという事件を伺えばこの季語は現代でこそ必要とされながら季語となりえないような緊迫性を持っているように思えます。
様々な余裕を手にした現代は、しかし、同時に様々な余裕を失っているということでしょう。
歳時記をおもちゃ箱とするのであれば、本作は時間が経ってから開けられるのを期待するタイムカプセルに似た働きも持つのかもしれません。
あまり湿っぽい話ばかりをしていると怒られそうな気もしますので、私が気に入っている季語を一つ。
それは「あっぱっぱ」という夏の木綿製のワンピースでして、何とも豪快かつ爽快な語感が見事にこの服の本質を表しているように思います。
そして、本作ではこの句例として「あつぱつぱ正義が勝つたりする映画」というものが紹介されているのですが、これが見事な諧謔を持っていて思わず唸ってしまいました。
どうしても俳句を作ろうとすると身構えてしまうところが私には未だにあるのですが、それをすら笑い飛ばすような一句に思わず脱帽してしまいました。
「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」という子規の名句のような生死観の極致がそこに在るわけではないのですが、人生観の一つの極致がそこには在るように思え、私の未熟さを痛感させられてしまいました。
いずれこうした句を、とは思うのですが、その前にもう少し肩から力を抜く練習をした方がいいのかもしれません。
それでは、最後に一句。
絶滅してほしくないと思う季語を私から挙げさせていただきます。
コロナ禍や マスクが季語を 外れる日
マスクは冬の季語であり続けてほしいと願うのは私だけなのでしょうか。
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