第18話 三河みりん

 人生それなりに生きていますと、自分でもなぜこのようなことをしたのだろうと笑ってしまうことが多々あります。

 そのうちの一つが本話でして、タイトルだけを残して寝落ちした昨日の私を布団から引きずり出して蜂の巣にしてやりたいと思うほどの意味不明な題材でして、今の私は悩みながら画面の前に正座しております。

 もう、赤ワインのマグナムボトルは家で頂くのを控えた方がよさそうです。

 ただ、ここで筆を終えのも癪ですので、昨日の私からの挑戦状として少しばかり挑んでみようと思います。


 さて、昨日の自分への愚痴は吐き終わりましたので、さっそく台所に行って流しの下から四角い瓶を取り出して、一杯やろうと思います。

 この時点で色々と狂気に溢れていましたが、残念ながらこれから私は仕事がありますので、ここで飲む訳にはいきません。

 昨日の私はよほどに酔っていたようです。

 そこで、以前に口にした際の印象で話をしますと、口の中へとゆったりと入ってくる甘さが心地よかったように思います。

 バニラアイスの上にかけてみたくなるような衝動にかられ、それを理性という名の常識で抑え込んだように覚えています。

 主としては調理用に使われる特殊なお酒ではありますが、時に口にしてみたくなる、そうした心が皆様にもあるのではないでしょうか?

 あ、ございませんか。

 はい、飲兵衛だけですか、それは……。

 確かに、メチルアルコールでなければ飲んでしまうようなアルコールに意地汚い人間ではありますが。


 話がそれてしまいましたが、元々はこの一本も調理をするために購入したものでして、私が独り暮らしになってからは常に台所の一角を占拠しています。

 みりんを使うような上品な料理をいつも作っているのか、と言われますとプラスチックごみに捨てられた豚小間のトレーとカットキャベツの袋を見てしまいますが、時に煮物を作ろうとしたときに見当たらないという事態を防ぐべく置いています。

 マスクを毎日つけるようになってからは、煮物を作る頻度も極端に落ち込んではいますが、いざ思い立った時にあるという安心感は他の調味料では替えられません。

 また、三河みりんを愛用していることをお話ししますと、様々な調味料にこだわりがあるかのように思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、決してそのようなことはございません。

 一昨年の年末にそばつゆを作るべく購入した粗目ざらめがホットウィスキー専用として鎮座しているだけで、他にはどこのスーパーにも売ってある醤油や塩や砂糖が並んでいます。

 なぜみりんだけが違うのかをはるか昔に遊びに来た後輩から訊ねられたのですが、それに答えることもできませんでした。


 ただ、実家が蕎麦屋を営んでいた私にとって、醤油とみりんは一升瓶でそこにあるのが日常でして、特にみりんはそばつゆと麺を結びつける大切な役割を担っていました。

 何かがあっても蕎麦があれば笑顔でいることができた私は、蕎麦と離れた後でもみりんとの繋がりだけは残していました。

 とはいえ、流石に一人暮らしの部屋に一升瓶のみりんは似つかわしくありませんし、使い切るのも格段に難しくなります。

 これくらいがちょうどいいのか、という思いを持ちながらその近くに並ぶ日本酒の一升瓶を眺めては苦笑することがときどきあるものです。


 みりんを使って作る私の代表的な料理は筑前煮ですが、これを母が作っていた記憶はあまりありません。

 ここまでの内容だけを見れば「おふくろの味」を求めていそうなものですが、肉じゃがも魚の煮付けも独り立ちして学んだ味がベースになっています。

 角煮で一度だけ母の味に近づいたことがありますが、それはみりんのおかげではなく厚削りのなせる業でしたのでみりんそのものにそのような役目を負わせることはありません。

 とはいえ、その味はいずれも少しずつ甘いものに傾いていきますので、照り艶が目立つよりも先に口の中に広がる優しさで安心することができます。

 母の影というよりも、三河の名前を冠したものを使いながら、九州の影を追い続けているのかもしれません。

 なんともおかしな話ですね。


 前職で調理の現場に入った際、先輩から、

「味噌汁にみりんを少し加えると味が整うぞ」

ということを教えられ、現場での調理の際には何度も利用していました。

 それを家でやってみるとどうにも勝手が違うようで、思わず首をかしげてしまいます。

 あまり優しさを重ねすぎても良くないのかもしれないととぼけてみたのですが、現場で使っていたものとはやはり違うということでしょう。


 半年ほど減ることのなかった今のみりんが春になってようやく減り始めました。

 飲めばあっという間になくなるのでしょうが、流石に愛飲するものでもありません。

 少しずつ日常に引き戻されているんだろうなということを噛みしめながら、その味のしみ込んだ料理をいただきますと、やはりそれはどことなく優しく感じられます。

 この戸の内での姿が広がる日が早く来ることを祈りながら、今日もまた台所に立つつもりです。

 ああ、そうでした。

 今日はお誘いがあったので、明日の朝にしましょう。



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