第10話 カードキャプターさくら

 小学校五年生のころといえば、第二次成長期が始まって私の細かった身体がまずは横に大きくなり、その後に縦に大きくなった時期でした。

 それはちょうど性徴の時期にもあたり、心もまた様々な変化を受ける時期なのですが、この時に見たり読んだり聞いたりしたことはその後の人生に大きく影響を与えるものと考えています。

 そのため、本作とポケモンが私という人間が今こうしてあることを決定づけた作品でして、私の恋愛観を大きく変えたものと思っています。


 カードキャプターさくらはNHKBSの衛星アニメ劇場で一九九八年から二〇〇〇年にかけて放送された作品で、同名の少女漫画が原作になっています。

 火曜日の夕方六時を毎週心待ちににしていたあの頃、私は少女漫画を見ることに抵抗感こそなかったのですが、それを人に言うことにはまだ抵抗感を持っていました。

 それが地上波での放映が終わる中学時代には友人とその話ができるようになる程度には抵抗感がなくなり、ここからより漫画の好みは雑食になっていきました。

 そして、当初はその可愛らしい絵柄と緊迫感を持ちながらもどこかのどかな本作を純粋に楽しんでいたように思いますが、そこに隠されたものを気付かないうちに吸収していたことに気付いたのは、それよりもはるかに後のことでした。

 小学生らしい年上のお兄さんへの憧れに似た恋慕や初恋の甘酸っぱさというのは、当時の私にもぴったりと効くもので、今の私には致死毒に近い甘さがあります。

 こう口から砂糖を吐き出したくなるような甘い作品を、素直に見ることができるのもこの時期の特権だったのかもしれません。

 また、感情移入という点で見ていきますと、同じく男の子である李小狼くんの方に共感を覚えていたのも「穢れを知らない」ころの私にとっては自然なことだったのかもしれません。

 自分が成すべきことのために懸命に闘いながら、やがて自分と相手との差に気付いていくというのは人がどこかで味わう初めての挫折であり、身近な人のそうした苦しみを応援したくなるというのは何も違和感がありませんでした。

 ただ、そこから発芽したものが大きくなっていき、やがて成人してから「ショタコンスライム」というオリジナルの化け物を生み出す結果になろうとは、当時の私も全く考えなかったことではないでしょうか。


 ここだけを切り取ると、私がダメな大人になってしまいます。

 いや、実際にダメな大人の一人なのでしょうが、実在する少年に手を出すようなスライムと同じ方向性ではダメな人間という訳ではありません。

 それでも、李君の持つ役割というのは本作では大きく、また最も大きな人間的成長を見せてくれた存在でもあります。

 あとはライバル視というよりも敵対視に近い見方をしていた相手のいいところに惹かれていき、その思いに悩む様を見せてくれるという点で最も私を愉しませてくれた存在です。


 あ、ちょっと待ってください、スマホに手をかけて緊急電話に繋ごうとするのは止めて下さいね。

 

 あくまでもそれは多くの人が一度は通る道で、それを自分に置き換えて考えた時、自分のそうした想いを思い出したり重ね合わせたりして楽しめるというだけです。

 そして、自分の想いの正体に気付いて見せる成長もまた、少し早すぎる気もしますが、思春期の少年が誰しも通る道でしてその瞬間に立ち会えるという愉しみはたまりません。


 その一方で冒頭にお話しした恋愛観についてですが、本作では様々な恋愛観が交叉していて、それが物語に深みを与えています。

 恐ろしいのはこれを何も知らない子供として見ていたということなのですが、それによって私が影響を受け、作品作りに生かされた側面があることも否定できません。

 そもそも、作中では魔力によるとされていた序盤の李君から雪兎さんへの「憧れ」などはショタと美青年との掛け合わせという中々に「罪深い」ものであったように思います。

 少なくともこの部分がなければショタコンスライムというキメラが誕生することはなかった……。

 それ以外にも様々な愛の在り方が描かれ、その全てを完全に飲み込むことこそできませんでしたが、受け入れることができたように思います。


 本作を通して今の私が影響を受けたことには、もう一つあります。

 それは、自らの持つ異能によって当たり前だとしていた日常が容易に変化していってしまうということです。

 異能を手にするということと日常にほころびが出始めるということ自体は他の作品でも見受けられるのですが、成長に伴ってそれが次第に蝕まれていくというのをここまで丁寧に描いた作品は本作が初めてではなかったでしょうか。

 私の知る作品が少ないということもありますが、自分の知る世界が実は全く別のもので、容易く崩れるものである……それを少しずつ見せていき、決定的なものとして「ある契約」に繋げる。

 のどかな日常があるからこそ引き立つ在り方というのは、未だに真似しようとしてもできるものではありません。

 そして、そうした暗い部分を描きながらも、全体を通して真っ暗にならないのは、

「なんとかなるよ、ぜったいだいじょうぶだよ」

という主人公であるさくらと作者の腕のなせるわざなのだと思います。


 そうした意味では、本作は大人にこそ効く作品なのかもしれません。

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