第6話 Kanon
中学時代には長崎の県立図書館に足繁く通い、大量の本を借りて帰るということを繰り返していました。
当時は確か一度の五十冊まで借りることができ、二十冊ほど借りては帰るを繰り返していたように思います。
その中心は科学にまつわるものでして、当時の理数系への私の傾倒ぶりがうかがい知れるというものです。
そんなある日、小説だったかライトノベルだったかの棚を眺めていて、ふと手にした一冊を開いてみると、
(うわ、裸の女の子の挿絵がある)
という衝撃を受け、欲望に忠実にそれを借りて帰りました。
それが私の「Kanon」との出会いであり、間もなくそれが十八歳未満はプレイが禁止されるゲーム、いわゆる、エロゲーを文庫にしたものだと知りました。
本作は選択肢を進めていくことで物語の展開が変わり、それに合わせてキャラクターたちが動くというビジュアルノベルに分類されますが、こうした作品を手掛ける場合にはいくつかの選択肢があります。
一つには、何らかのゲーム性を持たせることで、攻略を複雑にする手法。
一つには、豊かなエロシーンを盛り込むことで、男の欲望に応える手法。
そして、本作はそれらを選ぶことなく物語性を深めることで、購入者の満足に応える手法を取っていました。
その物語性の奥には感動というプレイヤーの涙を誘うものがあり、この先の作品でもゲームソフトメーカーであるKeyはそれをより追及していくこととなりますが、それはまたの機会に。
いずれにしても、この作品は単純い私の性欲を刺激して取り込んだのち、さらに私をのめり込ませるだけの何かを持っていました。
その一端を紐解いていくと、まずは今でも鮮やかに思い出すことのできる少女たちそれぞれが持つ愛らしさが特徴として挙げられるように思います。
今では「属性」という言葉もありますが、そうした確実にプレイヤーに受けのよい、ないしは購買者層を広げられるようなキャラクター造形を必ずしもしてはいません。
五人のヒロインがいますので、それを分散させることを意識しそうなものですが、キャラクター同士で被るような部分もあり、少女たちの素の姿と展開とに重きを置いて生み出されたのではないかと思います。
そして、その特徴はヒロインに限られたものではなく、脇役にも確かな肉感があるように描かれています。
たとえ立ち絵もなく描写の少ないキャラクターであっても、そこに何らかの生を感じることができ、それが本作のヒロインたちの抱えるものと重なることで舞台となる「雪の街」は鮮やかな色彩を持つ世界となっています。
これだけ確かなキャラクターがいるということは、その分だけ日常生活の描写が活き活きとしてきますが、それも当時の私を引き込んだ要因ではなかったでしょうか。
ノベル版を手にした当時の私はまだ見ぬ高校生活を疑似的に体験し、このような世界に進むんだな、と憧れのようなものを抱いていました。
その結果がどのようなものであったのかは、主人公の倍近い年齢となった今では現実として突き付けられているのですが、程遠いものだったなあと思う自分となんだか似ていたなあと思う自分とに分かれるのは何とも不思議な気分です。
本当は小さな楽しさにあふれている日常は、中にいる本人にとっては何とも退屈なもので、それでも、大きな出来事があるとたちまち輝くものに変わっていく。
そうしたことを三十を過ぎた今では痛いほどに知っていますが、それを一足先に匂いとして感じ取ることができたのは幸いだったのかもしれません。
いちごサンデーなる食べ物を知り、それを求めたのも本作の影響によるものでした。
そして、もう一つの決定的な要素としては、微かに漂うファンタジーとしての風味付けがあります。
完全なファンタジーかと言われれば首を傾げたくなる部分もありますが、だからこそ、日常の一歩先にそうした世界が待っているのではないかと思わせてしまう面白さがそこにはあります。
それはやがて、この道の先には何があるのだろうか、一つ先の駅には何があるのだろうかという思いに繋がり、一歩前へと踏み出してみたいという私の思いを形作りました。
また、本作が私の作品に与えた影響は大きく、様々な少年少女の恋愛にまつわる描写を考える際にはどこかにここで得られた知見のようなものを利用しています。
もちろん、私の実体験による部分もないことはないのですが、自分のそうした思いを外から見ることは至難の業ですので、読んだ本やプレイしたゲームより練りだされた部分も出てきます。
特に、初恋のいじらしさなどはどこかで野良犬にでも食わせてしまったようで、今の私が自身のそうした気分を思い出すのは困難であるため、頼ることになるのは追体験となってしまいます。
他にもそうした作品はいくつか存在するのですが、やはり「初恋」というのは誰にとっても大切なものでして、忘れがたいものです。
「ボクのこと、忘れてください」
そう言いつつ去っていった少女のように、まだ少年だった私の心は取られたものを追って、今も「雪の街」を駆けているのでしょう。
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