第4話 新世紀エヴァンゲリオン
小学三年生だったか四年生のことだったのかはもう思い出せませんが、毎週ある曜日の午後になると隠れて一つのビデオを見るのが習慣となっていました。
当時、姉はなぜか私に自分の録画したビデオを見せようとせず、その目を盗んでは見るということを繰り返していました。
そうしたビデオに録画されたアニメの一つが「新世紀エヴァンゲリオン」でして、あまりにも刺激的な内容はその後の人生を大きく変えたように思います。
第五話でしたでしょうか、下着の散乱する中で素裸の綾波レイが主人公に押し倒されるような格好となったときには、言いようのない感情がわき上がったのを未だに覚えています。
その場面を繰り返し見たのもご愛敬、今ではそれが性への憧れだったと説明がつきますが、当時の私には何が何だか分からない感情でした。
「マセガキだな」
「ああ」
謎の会話が頭に浮かびますが、当時の私にとってこの深夜アニメ(長崎では深夜に放映されていました)は映像や内容的な革新性よりも、私に「大人の世界」を見せてくれる麻薬のような存在でした。
そもそもロボットアニメが好きだったということもなく、バトル物も嫌いではありませんでしたが特別に好きだということもありませんでした。
ドラゴンボールもスラムダンクも見たのは大人になってからで、当時はさしたる興味も持たなかったように思います。
それでも、この作品は当時の私を引き込む何かを持っており、同時に、最終話は何かおめでたいんだなあという印象だけが残ったように覚えています。
あと、二十話の最後は変なものを「どこ」に入れたのだろうかという疑問を私に数年抱かせたものです。
こうした見方が変わっていったのは中学生になってからであり、その頃にはエヴァが社会現象のようなものを生んでいたことに気付き、それを早々に見ていた私は奇妙な優越感のようなものを持っていたように思います。
今にして思い返すと顔から火が出るほどに恥ずかしいことを考えていたわけですが、この時期は等しく恥ずかしい思い出に彩られているように思います。
ちなみに、私の処女作である旧作の「辻杜先生の奴隷日記」の原案もこの時期に構想ができました。
当時はまだ小説ではなく、ゲーム用として設定を組んでいたのですが、その内容もまた今思い返すと恥ずかしいものが多いです。
こうした頭に解説書のありふれた情報を詰め込んで誰かと話すことで過ごしていたのですが、そうしたことを繰り返していくうちに、自分なりの見方が出来上がっていったことに気付いていきます。
そして、こういう作品なんだなというものが私の中で出来上がった頃には、私はエヴァから距離をとるようになりました。
決して嫌いになったという訳ではないのですが、そこまでしつこく見たり考えたりする作品ではなくなったということです。
もっと突っ込んで言ってしまえば、
「ぼくは、ここにいてもいいんだ」
という一言で全てのエヴァファンを受け入れられるようになった時、エヴァをエンターテイメント作品として見られるようになったと思います。
実際に昨年、旧作の再放送があっていたので見ていたのですが、裏方の尽力や一般人の日常を眺めながら気分を高め、ヤシマ作戦に至るのをただ純粋に楽しむことができました。
発泡酒を飲みながらでしたので、エビスビールがいいなぁという憧れがセットになっていたのはここだけの秘密ですが。
今になって思い返してみると、思春期の視聴者に刺さる内容が多い作品ではあったのですが、それと同時に思春期だけでは味わい尽くせない部分も随所にちりばめられており、長く見ることができるのも本作の特徴であるように思います。
第二十話の最後のただれた関係をそういうものだよなと感じられるようになってしまった今の私は、昔の私に戻ることはできませんし、戻るつもりもありません。
それと同時に、アスカとのキスシーンや冒頭でお話ししたレイとのシーンは、オジサンにとって苦笑無しでは見られないものとなりました。
過ぎ去ってしまえばどうということはない行いだったのですが、知らない世界を、背伸びをしてのぞこうとするのはあの時期の特権です。
そうした思いは、やがて今の「辻杜先生の奴隷日記」で描いていくつもりですが、この作品ほど私の物語への考え方を変えた作品もありません。
ちなみに、昔からレイよりもアスカの方が好きです。
この時点でブラウザバックされた読者の方がいらっしゃるかもしれませんが、一方で、ああそうだろうなと思われた方もいらっしゃるものと思います。
知り合いではレイの方が好みという意見が多かったように思いますが、それもそういうものだろうな思っています。
さて、ここまで話をしておきながら私はまだ新劇場版をきちんと見てはいません。
正しくは「序」だけを見てその先を見ていないのです。
その理由としては「破」が発表されるまでにかかった時間を考えると、完成ははるか先だろうなと予測してまとめて見てしまおうと思ったことが挙げられます。
「破」を劇場で見ることができなかったというのもありますが、それはあくまでも副産物でしかありません。
そのため、コロナの影響で公開が延期されても惜しむような気持ちも弱く、小学生の頃に次の週を心待ちにしたようなのどの渇きは感じません。
ただ、どのような結末になったとしても、それを骨の髄まで楽しもうとする方は出てくるはずであり、私はそれから一歩引いたところから愉しむのだろうなと思っています。
そうしたことを考えていると、やはり今の私は半袖の学生服に身を包んだ少年ではなく、拍手でそれを出迎える側に立ってしまったんだなあと思ってしまいます。
ただ年下となってしまったミサトさんや加持さんのような決断ができるかと言われれば、私はどちらにもなることができず宙に浮いた存在なのかもしれませんが。
いずれにしても、再び紡がれたお話がどのような形で幕を閉じるのか、それともさらに幕が開くのかはのんびりと見届けたいと思います。
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