trois

 あのとき、ジャリマナはまだ六歳だった。それでも親から与えられる愛とそれへの応答のほかに、別の愛のようなものがあるということを感じていた。


 親との間にしかないはずの愛が、友達という線引きを侵犯し、変質し、先鋭化していく。いずれは撤退するが、契機けいきを見計らい再度の侵攻を試みる。これが恋というものだ。侵略し続けていく愛は、自殺となんらかわりがない。


 ジャリマナは彼女に言った。


  Je t’aimeあいしてるよ.


 彼女は黙ってうつむいてしまった。


   ――――――


  Le soleil chante太陽は歌う.


 《Mort, Mort, Mort,死の影には死があり……"Et" Mort地上には死しかない.》


   ――――――


 彼女の身体には何度も何度も斧が振り下ろされた。斧を握っていたのは、ジャリマナの父親だった。金品を強奪していたのは母親だった。彼女の妹に暴力をふるっていたのは兄だった。


 村のあちこちで炎があがり煙は充満し、けたたましい怒号と悲鳴が鼓膜こまくを切りつけた。彼女の身を案じたジャリマナがけつけたころには、もうなにもかもが遅かった。


   ――――――


 内戦はすべての繋がりの糸を切り刻んでかまどに放り込んで混ぜ合わせてしまう。異なる民族の間で育まれてきた愛情、友情、絆。そういったものを人の身体から完全に排泄はいせつさせてしまう。心はからびてしまう。


 内戦後、ジャリマナの両親は投獄され、彼は親戚の下へと引き取られた。そしてその親戚も刑に処されることが決まると、その知人へと身も心も運ばれていった。


 ジャリマナに彼女を護る力があれば、物事の帰結はどうなっていたのだろうか。自分の父をためらいなく石で殴り、母をまばたきもせずにナイフで刺し、兄を考える間もなくとがった農具で突き、彼女とどこまでも逃げていく。


 彼女をとるか、家族をとるか。


 両翼がなければ天使は飛べないだろうが、人間は地上にしかいられないのだから片方の翼をちぎってしまってもいい。だとしたらどちらの翼を切り捨てればよかったのだろうか。


 しかし、長い年月をかけてジャリマナが出した結論はどちらでもなかった。


 正義とは、"the"特定ではなく"a"不特定なのだ。


 目の前で腹を空かせているのがだれであれ、負傷しているのがだれであれ、凍えているのがだれであれ、それがたとえ自分と相容あいいれない存在であれ――助ける。


 助けなければならないという理念だけが、選択権より優先される。

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