“人工冬眠装置”
地下室へ戻ると停電していた。
数々の機械から発せられる青白い光りだけが部屋を照らしていた。
そして、やけに静かだった。
「はぁ…はぁ…はぁ、真鍋教授!大変な事が起きた…!」
裕太が声を荒げるが静寂に包まれている。
疑問に思った二人は恐る恐る部屋の奥に進んだ。
すると真鍋教授が車椅子から転げ落ち倒れていた。
「真鍋教授…!」
裕太は息の切れた小柄な身体に鞭を打ち、駆け出した。
真鍋教授は何者かに銃で撃たれていた。
何者かと辺りを見渡すと部屋の隅で立っていたひよりを見つけた。
「ひより!無事か!一体だれだ?誰かここに来たのか!」
ひよりは少し怯えた表情をして答えた。
「東條さん…は?…理さんは?一緒ではなかったんですか…?」
二人しか戻ってきてない事に気付いたひよりは問いかけた。
「それが…あと一歩の所でウイルスを浴びてしまって…もう…」
悔しさがあふれ拳を握ると爪が食い込んだのか血が滲んでいた。
「それは…残念…ですね」
ひよりは落胆したように俯いた。
「だから一度戻ってきて教授になにか他の方法は無いか聞こうとしたんだ。ひより、何があった!もう時間が…」
そう裕太が嘆いたのをみてひよりはクスッと笑った。
「ひより…?」玲はその表情に違和感を覚えた。
「本当に…残念ですね。貴方達二人も死んでくれればよかったのに…」
「お、おいひより何を」
「四人で出掛けたのにどうして途中で帰ってきてしまうんですか…?せっかくクリスマスプレゼントを差し上げたのに…」
玲と裕太は目を見合わせてもう一度ひよりの方を向いた。
「なぁ冗談を言える状況じゃないんだわかるだろ。コーダが、オルタナが動き出すまであと少ししかないんだ。奴を止めないと今度は俺たちまで死んでしまうことにーー」
裕太の大きな声にひよりは耳を塞ぎ裕太の言葉を遮った。
「あの…少し静かに出来ませんか?そんなにオルタナを止めたいなら私を殺せばいいじゃないですか…」
「何言ってるの…ひより?」
玲の震えた声はひよりの耳には届いていない。
「ふざけるのもいい加減にしろよ!」
裕太が再び声を荒げるとひよりの顔には云いようのない嫌悪の情が浮んで来た。
「煩いですね…。だから、私を殺せば止まるじゃないですか。私がそのオルタナなんだから。どうしてそんなに慌ててるんですか?」
玲は一瞬だけ世界が止まった気がした。そして次第にその言葉を理解すると愕然とした。全身の血が逆流したといっても誇張などではなかった。
「オルタナは東條さんの父親のはずだろ!」
裕太はひよりを怒鳴った。
「そうですねぇ最初はそうだったのですが、彼は本当に世界を滅ぼすつもりはなかったみたいで。だからその生ぬるい価値観を変えてあげたんです…。そしたらたまたま私の事を皆さん真のオルタナだ本当の教祖オルタナだ、と持ち上げるものですから都合よくその方たちを利用していただけです」
唖然としたまま、玲はひよりをただ見つめていた。
「でも…私のお父さんが生きていて私達の邪魔をしようとしていると言う噂を聞きつけたので東條さんに少し情報を共有していただいてました」
不気味に微笑むひよりの言葉が理解できず、裕太は訊き返した。
「…仮にひよりがオルタナだとして、東條がなぜコーダに協力するんだ!」
「いえいえ、東條さんは私が組織の人間だとは気付かなかったみたいですよ?ただ、私が少し甘えたら彼はすぐに心を開いてくれました。男性は好意を寄せる女性と秘密をすぐに共有したくなる生き物ですものね」
ひよりは裕太を、というより男そのものを憐れむような眼差しで見つめていた。
「じゃあ、あの時駅前で待ち合わせしてた男の人って…」
玲は前に裕太と理で新しく出来たラーメン屋さんに行った帰り道のことを思い出してその男と東條を重ね合わせた。
「見てらしたのですか…彼、私に会いたい会いたいとせがむものですから、情報の為とはいえ少し鬱陶しかったです…」
そう言いながらひよりは呆れたように吐息を漏らした。
「ねぇ…ひより止めて…。どうしてこんなこと……」
玲は涙を拭うことなくひよりに問いかけた。
「どうしてって。私達人間が愚かだからですよ」
ひよりは目を丸くして当たり前のように答えた。当然という風に。
「反出生主義ってご存知じゃないですか?
あぁ、すみません知るわけないですよね二人共“お馬鹿さん”でしたものね」
ひよりはあざ笑うように微笑みかけ、両手を広げながら肩を竦めた。
「アンチナタリズムですよ。わかりやすくいうと『生まれてこなければ良かった』ってやつです。思ったことないですか?」
「それとこれとは…」
玲は言い返す気力すらなくしていた。
「小さい頃からそれを強く感じていて悩んでたんです。でもある時一つの哲学書に出会ったんです。それはデイヴィッド・ベネターの本でした。その本には『存在してしまうことは常に深刻な害悪である』『人類は絶滅する方が良い』と書いてあったんです。これを読んだとき頭の中にあるモヤモヤが全て繋がって、その通りだ!ってスッキリしたんですよ!」
玲も裕太もひよりがこんなにも流暢に話す所を聞いたことがなかった。
それに話しているひよりの顔は純粋に光っていた。
まるで子供が遠足の思い出を話すときの無邪気さのようだった。
「でもそれに共感すると同じくらい私はこの世界が好きなんです。地球が、この星が好き。だから守りたい。でも愚かな人間たちは私利私欲の為だけに自然を破壊し大地を壊し空気を汚染し、まるで人間の為だけにこの地球があるかのように勘違いしているんですよ?それって傲慢じゃないですか?」
玲と裕太は淡々と話すひよりを前にただ唖然としていた。
「なので、一度リセットが必要なのです。このヌエボというガスを流せばざっと3日もあれば地球全体に広がり核汚染よりも長く酷く残るそうです。それにより人類は綺麗さっぱりいなくなるらしいんです!研究員の方が教えてくれました。地球には少しだけ悪いですがこれから何億年と生きるわけですからほんのすこしの我慢です」
「ふざけるな!そんなこと許さない。お前は間違ってる!!!」
裕太が怒鳴るとひよりは顔をしかめた。
「どうして男の人ってそうやってすぐに大声をだすのでしょう」
そう言うとかぶりを振りながら溜息を漏らした。
「自分の都合通りに物事が進まないと声を荒げて。まるで猿山のお猿さんですね」
クスッとひよりが微笑む。
そう言うとポケットからスマートフォンを取り出した。
「さぁ間もなくお時間ですよ。私は今からこれで本部の方に連絡してガスを流すように命令します。それじゃ」
ひよりがその言葉を言い終えたと同時に何かを思い出したかのように言葉を付け加えた。
「あ、そうでした。これだけは言っておきたくて。皆さんとのウノ、とても楽しかったですよ。ありがとうございました」
ひよりは純真無垢な赤ん坊のような笑顔でそう言った。
地上へのハシゴに向かおうとするひよりを二人が止めようとした時、銃声が響いた。
そしてひよりの腕を銃弾がかすめた。
「……ッ…何をするんですか!」
ひよりが腕を押さえ眉を下げて苦痛の表情をして睨みつけた。
その視線の先には東條が震える手で銃を握っていた。
『東條さん!』
玲と裕太はこんな時にも声をシンクロさせた。
「直接…光を浴びずに済んだおかげでなんとか…死ぬ一歩手前でここまで来ることができた…」
東條は身体の節々からガスを吹き出しながら悲しそうにひよりをみつめる。
「ここに戻ってきた時会話が聞こえた。どうやら俺たちが必死こいて探してたオルタナが俺の親父ではなく、ひよりに変わってたなんてな…俺はひよりを愛していた。信じていたのに…」
憐れな物を見るような目でひよりが東條をみる。
「そちらが勝手に私を愛していただけでしょう?それをまるで裏切られたみたいに被害者面ですか…?気持ち悪い…」
「ひより…もう、やめてく」
バンッ
「気持ち悪い…」
東條の言葉を遮るようにひよりは東條を撃ち殺した。
それはまるで家に出た害虫を殺すように苦悶の表情を浮かべていた。
「きゃああぁ!」玲は思わず叫んだ。その叫び声を再び銃声がかき消した。
バンッ
その銃声に二人は一瞬身を屈めたが自分が撃たれたのではない事がわかり、同時に玲は裕太を、裕太は玲をみた。
しかしどちらとも撃たれて無いことに気付いた二人はひよりの方に目を向ける。
するとひよりが倒れていた。
その銃声はひよりの後ろ側からのものだったのだ。
真鍋教授が朦朧とする意識の中自身の車椅子に忍ばせていた拳銃でひよりを撃ったのだ。
「…まぁ…これでこの計画を止めたつもりなの…?お父さん…。私を殺しても無駄なのに…」
ひよりは心臓から流れる血を指ですくい唇に塗った。
「だって私の身に何が起きても9時になれば自動的にガスを流すように言ってあるんですもの…今頃きっと素晴らしい景色が広がっていますよ…」
唇についた血が口紅のように色を付け妖艶な表情で微笑んだ。
「良かった…これから皆も一緒にこうして苦しみながら死ねるのですね…あぁ…今こうして…大好きな…地球と一つになれる…」
ひよりは安堵の表情を浮かべ静かに目を閉じた。
「なにが…起きてるの…」
玲は世界がひっくり返ってしまったような気がした。正しい心とか大切な友情だとか平和で楽しい思い出だとか、そういうことが全て覆ってしまったようなそんな気がしていた。
そして両膝を地面につき、ただただ狼狽するしかなかった。
裕太は腕の時計を見て9時を過ぎている事に気がついた。
ひよりの言ってた通りなら今頃地上が大変な事になっている。
「真鍋教授…!結局奴らの計画を止めることはできなかった…。これからどうすれば…」
裕太は悔しさを滲ませ下唇を噛み涙を零した。
真鍋教授はひよりを横目に見つめた。
「…家族を…守りたいと…固く誓って今まで生きていたのに…自らの手で娘を…ひよりを殺す事になるなんて…皮肉なものだな」
真鍋教授は今にも息絶えそうな、か細い声で最後の力を振り絞り二人の方に目をやった。
「一つだけ…助かる方法がある…」
その言葉に驚く二人を前に話を続けた。
「この地下室には更に地下がある。…そこには人工冬眠装置がある。それを使い、いつかの未来…ガスの汚染が無くなる世界までスリープするんだ…」
「そんな発明を…?」
「元々ヌエボウイルスの原型、ヌエボガスはこの装置を作るための発明だった…。いわば希望の発明だったんだ…ぐはっ…」
教授は口から血を吐き出した。
「教授…!」
「私はもう…長くはない…。とにかく彼女と君とで私をこの地下へ連れて行ってくれないか…その装置は私でないと起動できない…」
裕太はコクリと頷き教授を抱えた。
「玲!ついて来い!」
裕太が声をかけると玲はその声だけに反応するようにフラフラと裕太の後を追い地下へ降りた。
地下室のさらに地下には薄暗い空洞のなかに青く光る装置がポツンと置いてあった。
「これが…人工冬眠装置…」
ロボットアニメでしか見たことないような巨大な機械には透明のガラスのポッドが設置されており、そこに数百のチューブが繋がれていた。
「…ハァ…ハァ…このスイッチを押せば装置が作動する…。さぁ二人共急げ。ポッドの中に入るんだ…」
「教授は…!」
裕太が訊くと教授は答えた。
「なぁに、私の心配はいらない…。それに、こうして若者たちに未来を託せたんだ…。研究し続けた甲斐があるというものだな」
真鍋教授は精一杯の笑顔をみせた。
「さぁ、ポッド内へ…」
真鍋教授は装置の元へ向かい二人はゆっくりとポッドへと歩いた。
「いいんだな玲」
「…わかったわよ。そ、そのかわり変なことしたら許さないからね!!」
「では…いくぞ…」
真鍋教授はプログラムを起動させた。
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