第17話 優心

 なんだか景色が白い。全体的に色がついてないように感じる。いや、よく見ればわかるのだけれど、なんというか色が薄い。

 前が見れない。頭を持ち上げるのが辛い。胃がむかついて、いまにも何かが出てきそう。……そんな気がしているだけなのだろうけれど。多分本当は私は健康なのだろう。ただしんどいって伝えたいだけなのかな。


 心配されたい。優しくされたい。寂しい。慰めてほしい。そんなことばかりが頭を支配し始める。人を傷つけて、誰かの害になって、そんなことばかりしてきたのに、未だに誰かの温もりを求めてしまう。


「……戻りたくない」


 キュニーのところに戻るのが異様に億劫に思えてしまう。杖の解除ができないってことを説明するのが嫌でたまらない。わざわざキュニーに付き合ってもらって、成果が何もないだなんて。

 いや、それよりひどい。成果がないどころか、できないことを見つけてしまった。私から解放されるかもしれないという希望を奪ってしまうことになる。


 通路でうずくまる。なんだか疲れた。最近思考が走りすぎて疲れる。全て捨てたい。しんどい。死んでしまいたい。


 ただ地面を見つめる。白一色の通路が、回転しているように感じる。上下が逆になっているような。

 目を閉じる。目を開けたくない。何かを見たい気分ではない。網膜の裏を見ている。無駄に魔球を作り出す。目の前にぽわぽわと浮かんでいるのを感じる。


 何をしているのかな。私は何をしているのかな。……アルナは何してるのかな。Dの、組織のみんなは何をしているだろうか。ミリニルアは……


「う」


 心が痛む。思い出すんじゃなかった。考えるんじゃなかった。思考がぐるぐるする。頭が絞られる。呼吸がしにくい。苦しい。


「あぁ」


 天井を見る。天井がすごく近く感じる。なぜこんなところにいるのかな。一体何のためにこんな場所にいるのかな。なんでこんな悲しい気持ちになってしまうのかな。


 ……どうして私は。私なんか。私だって。私より。私だけ。私を。私ばかり。私みたい。私、私、私が多い。

 本当の私はどれなのかな。どの私を基本にして行動すればいいのかな。どうして、こんなに決断力がないのかな。


 首から吊るされた杖を掴む。爪が皮膚に食い込んで痛い。けれど、そんな痛みも少し心地良くて。罰を受けた気分になれるからかな……けれど手首を切ることはしない。そこまでの罰は見合わないと思っているのかな。


「行かなきゃ」


 重く、軋む身体を持ち上げる。全身が動くことを拒否しているかのように重たくて、苦しい。しんどい。けれど、キュニーには伝えなくては。

 優しいキュニーだから許してくれるかもしれない?みたいな甘い算段がある。そう思ってないと言えない。昔もそうだった。


 昔、まだ私が家に、生まれ育った家にいた頃。

 私にとって都合の悪いことを伝えることができなかった。しなかった。伝えれば親の期待を裏切り、怒らせてしまうから。怒られるのが怖くて、嫌なことを伝えれなかった。そして、隠していることがバレて、余計に怒られる。


 だからかな……期待されるのが怖い。期待に応えれたことがないから。期待に応えれないと不快にさせてしまうから。期待されるのが怖い。キュニーは私に期待しているのかな。私が何かしらの情報を持ってくると期待しているのかな。


「ルミ!大丈夫?」

「……うん」


 ドアを潜り戻ると、キュニーが少し慌てた様子で近づいてくる。何かあったと思ったのかな……


「ルミがなんだか苦しんでいる気がして……ほんとに大丈夫?」


 杖を介した感情の読み取り。そういうことか。だから昨日も優しくしてくれたのかな。私が優しくしてほしいって思っていることを読み取ったから優しくしてくれたのかな。


「……わからない」


 わからない。何もわからない。私がどんな状態かなんて。今がどんな状況かなんて。何もわからない。周りが全方位暗闇みたい。


「……それより、杖……その、どうにもならないんだって」

「そっか。それは、残念だったね」


 残念。やはり残念なのか。ごめん。ごめんなさい。って言葉が、口から出ようとして、喉で止まる。言葉にならず口が開いて閉じる。喉が枯れる。


「まあ、これからも私といてよ。ルミは嫌かもしれないけれど」

「え……?いや、その……」


 そこで声が出なくなる。キュニーは何も言わなかった。ただ待っていた。次の言葉を。無言で。隣で。

 暗い心の中に期待が投げ込まれる。この期待にすがっていいのかな。すがってしまっていいのかな。すがってより深い絶望だったりしないのかな。


「キュニーは嫌だと思って」


 その言葉を振り絞るのに、どれぐらいの時間を要しただろう。脳が押さえつけられ小さくなった気分になる。恐怖で心臓が、手が、心が、全身が震えだす。


「どうして?」

「……わ、私みたいな弱くて、何もできない人と一緒にいなくちゃいけないとか……竜なのに人に縛られるなんて、嫌だと思って」


 息が吸えない。全身が空気に押しつぶされそうになる。キュニーに方を見れない。地面を見て、暗闇を見つめている。

 なんでこんなことを言ってるのかな。否定してほしいのかな。言っても何も意味がないって知ってるはずなのに言ってしまう。


 昔、親に同じようなことを話しても、状況が良くなることはなかった。ただ悪化した。今回もどうせそうなる。そうわかってる。わかってるはずなのに。なのに、どうして話してしまったのかな。


「……ルミ。私はルミと一緒にいるのが嫌だなんて思ったことはないよ。ルミは私を起こしてくれてた。私と一緒にいてくれている」

「そんなの……」


 そんなの当然……私がいなくては死んでしまうというから。優しいのに、私のようなクズが原因で死んで欲しくはないから。


「ルミ。私はルミがいなくちゃ生きていけない」


 そういう効果だから。そういう杖の効果だから。そんな杖を起動してしまったクズのせいでそうなってしまった。


「私はいろんなところに行ってみたい。今は一緒に来てくれるだけでいいの。こんなふうに思えるのも、ルミが私を起こしてくれたからだよ」

「……」

「だから、だからね。そんなに自分を責めないで?」

「……ぅ」


 顔を上げる。キュニーの顔が目に入る。竜の大きな顔をを見つめる。その眼は真摯に、純粋に私を見ていた。

 目が熱い。涙が溢れ出てくる。どうして泣いてるのかもわからずに涙が。


 頭が何かに撫でられる。キュニーが尻尾を器用に使って、撫でてくれている。嗚咽が止まらない。身体が熱い。心がわからない。悲しいのか嬉しいのか。苦しいのか喜んでいるのか。


 いや、多分。多分だけれど、ただ嬉しかったのだと思う。失敗しても責められなかったことが。私を気遣ってくれたことが。私を褒めてくれたことが。嬉しくて、嬉しくてたまらなくて、涙が止まらない。


 身体に血流が走っている。暖かい。熱い。温もりを感じる。安心感がある。涙で視界はぼやけているのに、これまでのどの時よりなんでも見えている気がする。景色がカラフルに見える。世界が綺麗に見える。


 ただいつまでもそうしていたい。ただいつまでもこうやって撫でられていたい。泣いていたい。この瞬間の気持ちでずっといれればいいのに。未来に進まないで。ただ今はここにいたい。そんなふうに思えてる。満たされている感覚がする。嬉しさが全身を包んでいる。


 今は、今だけは生きていてもいいって思えた。思えた気がした。

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