十三

 そこは確かに夢の国だった。制服を着ているのも珍しい事ではないようで、違和感なく楽しめた。いや、楽しんでいた筈だった。

「藤乃、どうかした? なんか元気ないよ」

 真由が、藤乃の様子に気が付いた。

「楽しくない?」

 美々子は、心配そうに藤乃の顔を覗き込む。真由と美々子は今日が初対面だっだが、そこは女子高生、直ぐに打ち解けていた。

「え、そんな事ないわよ?」

 確かに一歩踏み入れた時の高揚感。涙が出そうだった。

「お腹が空いた……からかしら」

「確かに、もうお昼近いもんね」

 美々子が腕時計の時間を確認すると、釣られて藤乃と美々子も時計を見た。

「もう少しでレストランの予約時間だし、レストランに向かおう」

 真由が意気揚々とレストランに向かって歩き出した。藤乃と美々子は、真由の後を慌てて追った。

「真由もお腹空いてたんでしょう」

 楽しめていない事を、上手く藤乃は誤魔化した。

「うん」

 真由があっさりと認めたので、美々子が笑い出した。

 たったこれだけの事でも、真由と美々子は楽しくて仕方がない様子だった。

 レストランで食事をしている間、藤乃は一刻も早く屋敷に戻りたいと思っていた。ここへ来ると決めた時の開放感と高揚感は消え失せ、藤乃の中にあるのは不安だけだった。

 どうして私は二人の様に楽しめないんだろう。

 楽しそうに話す美々子と真由を、藤乃はボンヤリと眺めながら考えていた。

 私はどうして屋敷に戻りたいなんて思ってるんだろう。こんなにも私を不安にさせるのは、何なんだろう。

 答えは出なかった。

「藤乃?」

 美々子に突然話しかけられ、ボンヤリとした顔を美々子に向けた。

「次、何処に行く?」

 真由が、園内図を藤乃に見せた。

「私は分からないから、二人に任せるよ」

 一体何時に帰れるのだろう。

「藤乃は、何時まで良いの?」

 美々子の問いに、藤乃は美々子に何か悟られてしまったのではないかと思った。

「ああ、そうか。真由も藤乃もあまり遅くなるとダメよね。じゃぁパレードは今度にしようか」

 美々子は残念そうに言ったが、陽のあるうちに帰れるかと思うと藤乃は少しほっとした。そして、そんな自分が嫌になった。自分には自由がない事を改めて実感した。



 真由が乗りたがっていたアトラクションに並んでいる時、美々子のスマートフォンに雅也からメッセージが届いた。

「雅也、すごく羨ましがってる」

 嬉しそうに報告する美々子に、藤乃はふと龍也の事を思い出した。

 今頃何をしてるんだろう。

 藤乃も龍也と連絡を取ってみようとスマートフォンを取り出すと、龍也の方から既にメッセージが送られていた。

『楽しんでいらっしゃいますか?』

 それはまるで藤乃が楽しめていない事に、気づいているかの様なメッセージだった。

『何だかとても落ち着かない不安な気持ちになるの』

 不安で不安で、今すぐ屋敷に戻って今日一日をやり直したい気分に襲われる。こんな気持ちになるなら、来なければよかった。

『大丈夫です、藤乃様が不安になるような事な何も起きませんから。ゆっくりと楽しんで! 帰りはお迎えに上がりますね』

 龍也からの返事に、藤乃の気持ちが落ち着いた。

 視線を上げると、急に視野が広がったように感じた。少し向こうにホットドックのカートが出ていた。

「ねぇ、私ホットドッグが食べたいわ」

 私だって、心の底から楽しみたい。

「執事さんにオススメでもされたの?」

 美々子が藤乃を冷やかしたのをきっかけに、少女達の話題はお互いの彼の話になった。

「実はね、私、婚約者がいるの」

 真由の告白に、少女達は一気に盛り上がった。



 龍也の運転する車の中は、興奮冷めやらぬ少女達のおしゃべりで賑やかだった。

 二人を家まで送り届け終わる頃には、外はすっかり暗くなってしまっていた。

「楽しかった様ですね」

 藤乃の表情には、笑顔の余韻が残っていた。

「そうね、でも……」

「でも?」

「今度は龍也と二人で行きたいわ」

「是非」

 ミラー越しに見える藤乃は、嬉しそうに微笑んだ。


 その日は夕食後、ほんの少しだけとベッドに横になったまま眠ってしまった。

 寝顔は少し微笑んでいるように見えた。

 友人達とのテーマパークは、それほどに楽しかったのだろう。

 幸せそうなその笑みに、龍也の心が揺れた。

 あの夜から藤乃は変わった。

 いや、今の姿が本当の藤乃の姿なのだろうか。

 自分が変えてしまったのか?

 高校三年での突然の転校。それも、普通なら受け入れないであろう学校側も、何を忖度したのか直ぐに受け入れた。

 藤乃は何をしようとしているのだ。

 それによっては、止めなければこちらの計画がダメになってしまう。

 いや、もういいではないか。

 ここ数日の藤乃との日々を楽しんでいる事も事実だ。

 藤乃の額にかかった髪を、そっと払った時突然母の死を思い出した。

 居たたまれない気持ちになり、龍也は藤乃の部屋から急いで出た。

「きゃ……」

 扉を開けると、そこには家政婦長の和子がいた。

「おっと、申し訳ありません」

 驚いて後ろへ転びそうになった和子を龍也が抱き留めた。

「あ、ありがとう」

 和子は逃げるようにして去っていた。


 

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