十二

 転校初日の夕方、美々子から早速メッセージが届いた。

『初日どうだった!? 大丈夫? 藤乃が独りぼっちにならないように、お願いしておいたから!』


 美々子が誰に何を頼んだのか、翌朝直ぐに分かった。

「おはよう、綾川さん」

 藤乃が登校してくるのを待っていたのは、久城真由だった。

「おはようございます……」

「ああ、驚かせてごめんなさいね。実は親戚から貴方の事を頼まれたのよ」

 親戚、自分と久城家を結ぶ親戚などいないはずだ。これは、何かの罠なのか。

 藤乃の怪訝な様子に真由が気付いた。

「ええっと、ミミちゃん」

「ミミ? ミミと久城さんって親戚だったの?」

 真由の周りの調査は龍也が行ったが、そんな話聞いていない。

「違うの。はとこの彼女がミミちゃんなの」

 彼が出来た。

 ミミはそう言っていた。

 そうか、あの大学生。

「え、じゃぁ、ミミを痴漢から助けたって言うのは……」

「そうそう! はとこの久城雅也なの!」

 まさかそんな所で繋がりが出来ているとは、藤乃は思いもしなかった。しかし、これはチャンスなのかもしれない。

「そうだったのね!」

 思わぬところから、藤乃は真由に接近する事に二日目にしてあっさりと成功してしまった。



「久城雅也は、タレントとしてテレビに出ている久城一馬の二番目の息子ですね」

 龍也がメモ用紙に家系図を書き始めた。

「久城歩美の従兄弟が久城一馬。その一馬の次男が美々子様の彼久城雅也と言う事ですね」

「そう……」

 龍也の書いた家系図を見て藤乃が気付いた。

 そう言えば龍也は自分の家族の話をした事がない。

「楠田の御両親ってどんな方?」

 龍也はそっと後ろから藤乃の肩を抱いた。

「こうして私服でいる時は、龍也と呼んで下さい」

「良いの?」

 実は、何度か名前で呼ぼうとしたが何だか気恥ずかしくて言えないでいたのだ。

「もちろん」

「じゃぁ、龍也の御両親ってどんな方?」

 龍也は藤乃の肩を抱いたまま、耳元で囁くように言った。

「母は五年前に病気で亡くなりました。父は恐らく何処かで生きているんでしょうけど、探す気にもなりません」

 私と同じね。

 藤乃はそう言いかけて、やめた。同じなどではない。

 私は強姦魔の娘……。

「そう……」

 龍也が藤乃の首筋に唇を這わせた。

「たつや……」

 龍也は藤乃を軽々と抱き上げベッドまで運んだ。



 転校して最初の日曜日。

 藤乃は美々子に誘われて、綾川の屋敷の近くにあるファミレスに来ていた。

「初めて来たわ……」

 ファミリーレストラン。

 ファミリーと言えば祖父浩三しかいない藤乃にとっては、縁遠い場所だった。

「本当に箱入りよね、藤乃は」

 藤乃自身もそう思っていた。

 随分と過保護ではあるが大事にされているのだと思っていたが、そうではなかったのだ。

 誘拐強姦された末に産まれた子供。だから世間から隠すように育てられたのだ。

 そして誰も父親の事を話してはくれなかったのだ。

 自分の身体の半分が何か異形な物で出来ている、出生の秘密を知った時から藤乃はそう感じていた。

「そんな事ないわよ」

 藤乃は、ふふふと意味ありげに笑った。

 そんな藤乃を面白そうに美々子は見ていた。


 本当はもっと前、幼い頃に藤乃と仲良くなるつもりだった。

 初等部の三年生になる春。

 両親の話しを聞いてしまったのだ。

「綾川藤乃って、あの綾川浩三の孫か?」

「そうよ」

 父の問いに、母は沈んだで答えた。

「へぇ、大物政治家の孫と同じクラスか、美々子は持ってるな」

「そんな風に言わないで。藤乃ちゃんは可哀そうな子なのよ」

 母の言葉に、父が何かを思いだした。

「母親は自殺だったっけ?」

「そうよ、藤乃ちゃんの目の前で」

「子供の目の前?!」

 幼い美々子にも、藤乃の身に起きた事は理解できた。

 可哀そうな藤乃に何度か接触を試みたが、藤乃は自ら人と関わる事を避けているようで壁は分厚く高かった。

 そしてあの日、自分にラストチャンスと言い聞かせて藤乃の後を追い、話しかけ続けたのだ。

 仲良くなれて、本当に良かった。



「で、ミミの彼の話を聞かせてよ。キスくらいしたの?」

「やだ、急に何を言い出すのよ。転校してキャラまで変わっちゃった?」

 美々子が顔を真っ赤にして拗ねた。

「ふふ、冗談よ」

 悪戯っぽく微笑む藤乃に、美々子は違和感を覚えた。


 藤乃自身も、自分で何かが変わったと実感していた。自ら決めた進むべき道が目の前にあり、これまで暗く閉じられていた世界が明るく広がっている様に感じられた。

 昼休みには真由と二人、今の政局について話し合った。自分がそんな風になるとは、夢にも思っていなかった。時には真由の話が理解出来ないこともあり、浩三や山岡を質問責めにして驚かせた。

「一体どうしたんだ。今までそんな事に興味を示した事もなかったのに」

 浩三が自宅に帰る日が増え、時には嬉しそうに藤乃と遅くまで話し込んだりした。


 これだ、私の求めていた家族はこれなんだ。

 藤乃の変化を心の底から喜んだ。信じられるのは家族だけ。なのに、妻も娘も政治には一切興味を持たなかった。

 浩三は綾川家の婿養子だった。妻は産後寝込む事が多くなり、娘が一歳になる前に他界してしまった。義父は、何百年と続いた綾川以外の血が混じる事を嫌い、浩三の再婚を認めなかった。もし再婚するなら、娘冬子を置いて綾川の家から出ていけ。それが義父の考えだった。

 綾川の家を出るなど、とんでもない。そんな事になれば、浩三は完全に蚊帳の外になり、早い時期の政界引退を迫られるに決まっている。

 政治家と言う職業は、自分にとって天職だと浩三は思っていた。名前だけだった綾川家を、ここまで持ち上げてきたのは自分だと自負していた。だからこそ、何としても自分の血を分けた者を後継者にするのが夢だったのだ。

 藤乃の事は、大人しく何も理解していないと思っていたが、思慮深く周りを冷静に見る事が出来る子だとやっと気付いた。公私ともに心を許せる家族ができた。

 若い娘が政治の世界に飛び込むには、何かセンセーショナルな背景が欲しい。

 浩三の頭の中は既に藤乃を政界に送り出す計画を練り始めていた。



 桃美学園では隠れる様に過ごしていた藤乃が、聖女学院では颯爽と風を切り黒く長い艶やかな髪をなびかせて歩き、すれ違う生徒達を振り返らせていた。

「ねぇ、うちのママ明日から大阪に遊説だって」

 夏休みの少し前、真由が不満気に口を尖らせた。

「あらご一緒すれば良いのに。ずっと大阪に行きたいって仰ってたじゃない」

 藤乃は、真由が以前から大阪にあるUSJに行きたがっているのを知っていた。

「連れて行ってくれる訳ないじゃない。遊びに連れて行ってもらったのって、小学生の頃にディズニーランドに行ったっきりよ」

「あら、私なんてディズニーランドすら行った事が無いわ」

 本当だった。

「じゃ、今度の日曜に一緒に行こう!」

 名案を思い付いた真由が、藤乃の腕を握って言った。

「え……」

 幼い頃の夢が、今突然叶おうとしている。

 藤乃は軽い目まいを覚えた。

「制服で行くのよ! 制服ディズニー!」

 一瞬浩三の顔が浮かんだが、きっと今の浩三なら許してくれる。いや、許し何ていらない。何を怖がる事があるのだ。

「行く!」

 それに真由と行けば、楽しいに違いない。

「そうだ、ミミちゃんも誘おうよ!」

「そうね!」

 この瞬間、藤乃は、何か体中をがんじがらめにしていた物から解き放たれた気分になった。

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