藤乃はそれから数日、食べる事もせず学校にも行けずただぼんやりと過ごした。

 山岡は、冬子の様に藤乃が心を病んでしまうのではないかと、気が気でなかった。

 あんな話、やはりするべきではなかったのだ。

 

 龍也は、つきっきりで看病をした。

 藤乃は朦朧とする頭で、必死に何かを考えているつもりだったが、考えているのか夢を見ているのか分からない状態が続いた。

  自らの出生の秘密を知ってしまった時、全てから遠ざかって行くような感覚に陥った。今まで生きてきた時間が、虚ろに思えた。

 どうしてこんな事に。

 そう思った瞬間に突然

「何故久城家は、誘拐犯の要求を飲まなかったのか」

 と言う思いにたどり着いた。

 本当にそれは突然だった。

 もし要求を飲んで収賄事件の追求をやめていれば、母は無事だったのではないか。強姦犯の娘として自分が生まれなかったのではないか。そうすれば、母は今も生きていた。

 そして今、自分がこんな風になっている事の始まりは久城家だ。

 自分が何をすべきか、藤乃は気付いた。

 窓の外は真っ暗で屋敷の中もしんとしていた。

 そうか、今は夜中なのか。

 藤乃に全ての感覚が戻り始めた。

 よく見ると、ずっとそばに居たのか薄明かりの中で龍也がソファに座っていた。ああそうだ、朦朧とする意識の中に時々龍也の声が聞こえていた。

 眠っているのか、藤乃が起き上がっても気付く様子はない。

 あんな所で眠ったら風邪を引いてしまうわ。

「楠田?」

 藤乃の声に、龍也は飛び起きた。

「どうされました?」

「そんな所で寝たら風邪を引いてしまうわよ」

「申し訳ございません!」

 あまりにも龍也が慌てたので、藤乃は可笑しくなってクスリと笑った。

「怒ってなんかないわよ。風邪をひかないか心配しただけよ」

 龍也は、藤乃に駆け寄りを抱きしめた。

「具合は如何ですか?」

「もう、大丈夫よ。でも、物凄くお腹が空いた……」

「粥でも作ってきましょう」

 龍也は台所へと向かった。

 


 龍也の作った粥はとても美味しかった。

 口から食道、そして胃へと広がる暖かさが龍也の優しさに思えた。

「料理もできるのね。知らなかった」

「こんなのは料理とは言いませんよ」

 龍也が嬉しそうに笑った。

「ずっと側に居てくれたのね。ありがとう」

「何かして欲しい事はありますか?」

 龍也は藤乃が元気になった事が本当に嬉しかった。



「このまま正気を取り戻さないかも知れないわよ」

 藤乃が倒れた時、和子がしたり顔でポツリと言ったのだ。

「どう言う事です」

 そんな事、あっては困る。計画が頓挫するから困るのか、本当に藤乃の事が心配なのか自分でも分からないが、困る。

 ついムキになってしまい語気が強くなってしまい、和子がたじろいだ。

「冬子様は、事件が原因で心を失ってしまわれたから……」

 親子だから、同じ事が起きるかも知れない、と言う事だ。


 本当に良かった。

 少なくとも、今の藤乃は正気だ。



「そうね、お風呂に入りたいわ。シャワーだけでも構わないんだけど」

 倒れた日から数日、汗を流せて居ないのが気になって居た。


 この数日で体力が落ちてしまったのか、シャワーを浴びるだけでも酷く疲れた。

 さっぱりとした藤乃が部屋へ戻ると、龍也がベッドのシーツを替えていた。

「ありがとう」

 藤乃は、龍也の背中に抱きついた。

 背中から伝わる藤乃の身体は、この数日で少し線が細くなったようだ。

「藤乃様!?」

「こうしてると落ち着くわ」

 龍也は、背中で藤乃を感じていた。

「良かった、お元気になられて」

「キスして……」

 背中に顔を埋めた藤乃がささやいた。

 その声は、背中から身体中にゆっくりとめぐった。

 龍也はゆっくりと背中から藤乃を放すと、そのまま腕で藤乃を包み込んだ。

 やはり、少し小さくなったな……。

 龍也の胸に顔を埋めた藤乃が、顔を上げた。

「ね、キス……」

 龍也は言葉を遮る様に、藤乃の唇をふさいだ。

 二人の唇が離れると、藤乃が微笑みかけた。

「心配かけてごめんなさい」

「藤乃様の心配をするのが私の仕事です。さ、今夜はこのままお休みくだ……」

 今度は藤乃の唇がが龍也の言葉を遮った。

「藤乃…さま?」

 藤乃は龍也の手を掴むと、自分の胸のふくらみへと導いた。

「お願い、私に勇気を頂戴」

 手から伝わるその膨らみと、潤んだ藤乃の瞳、上気して紅くなっている頬全てが龍也の理性を吹き飛ばしてしまった。


 いつの間に眠ってしまったのだろうか。

 窓から入る陽の光の眩しさに目が覚めた。

 ベッドから出ようと身体を動かすと、昨夜龍也を受け入れた余韻が身体の痛みとして残っていた。

 この痛みは龍也が藤乃を愛した証拠なのだ。

 私は龍也に愛されている。

 そう思うだけで、心がいっぱいに満たされ勇気が出る。


 ベッドから出て窓を開けると、気持ちの良い風が入って来た。

 今日から新しい私に生まれ変わるの。

 うーん、と伸びをすると身体中に外の新鮮な空気が浸透していった。


 綺麗になられたわね。

 窓際で気持ちよさそうに伸びをする藤乃を家政婦長の和子が目撃していた。

 女の子が綺麗になる瞬間。これまで何度も目撃してきた。

 藤乃様の相手は、間違いなく龍也だ。藤乃の様子がおかしくなってから、昼夜問わず側で世話を焼いていたのだから。

 やるわね、あの子。

 そう思う反面、藤乃への嫉妬心もおさえられない自分に苛立った。

 



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