第28話 百合のテノールの人

 黒の楽団員が演奏の準備をしている。

 『への一番』……聴いてみたい……


「もういい! 離婚だ離婚! オレ達は終わりだ!」


「そんな……ご無体な……」


 修羅場だ、凄い修羅場の現場を見た!


「ここで離婚したら子供はどうするのですか⁉︎」


 お子さんがいらっしゃるの?


「子供など、いないではないか‼︎」


 ゴスロリ女の妄想?


「ワタクシ達……政略結婚で両家の子供を作って、今の幼い王子に嫁がせて国を牛耳ろうという計画はどうなるのですか⁉︎」


 とんだスクープだ! 国を、ペロリア国を乗っ取ろうとするとんでもないスキャンダル! スキャンダラスな人達です!


「なにを言っている! 彼らが聞いているではないか!」


 男は慌てて楽団員を指差して叫んだ。

 もう遅いです。

 悪い噂はすぐに広がるでしょう。

 私なら噂を三倍に膨らませてネットに上げます。


「もう、どうでもイイわ!」

 

 リュドミアは自暴自棄になってる。


「だいたい……肝心な子供が産まれないではないか」


 男は悔しそうに嘆いた。

 本当の離婚の原因は子供が産まれなかったせい? 


 リュドミアは両手で顔を覆い縮こまった。


「ウッ、ウッ……」


「もう、終わりだ」


 男は捨て台詞を吐きながら部屋を出ようとした所で映像は止まった。


 え〜、ここで終わっちゃうの〜! めっちゃどきどきしたんですけどぉ! 続きを録画予約しなくっちゃ!


 実体のリュドミアを見ると、彼女も両手で顔を隠して縮こまっていた。


 まあ、そうだよねぇ……私は彼女を少し不憫に思えた……その時!


「♪ざまぁ〜!」


 映像の世界の楽団員の中から素敵な歌声が聞こえて来た。

 十五人ほどの楽団員のうしろの方から楽器を持たない男性が喉を震わせながら低音を大きな声量でビブラートを響かせていた。

 この声はバスだ。

 次に隣の男性がお腹に手を当て素敵な歌声を響かせた。


「♪ざまぁ〜!」


 彼もまた素晴らしいビブラートだ。

 今度の声域はバリトンだ。

 彼らは楽団のコーラス隊なのか。


 次になんと弦楽器のコントラバスを持った男性が立ち上がり口を大きく開けた。


「♪ざまあ〜〜ぁ!」


 声域はテノールでも音程が乱れて……ビブラートも安定していない。

 いわゆる音痴というヤツだ。

 テノールの人がいなかったのだろう……無理矢理歌わされたみたいで可愛そう……ほら、だって顔が見る見る赤くなって行くし……

 彼はきょろきょしながら申し訳なさそうに席に座った。

 残念だ。


 これで終わり?


 部屋を出ようとした黒服の旦那が振り返って実体のリュドミアを見つめた。

 目と目が合った二人……旦那は姿勢を正してお腹に手を当て、口を開いた。


「♪僕たちはぁ〜はぁ〜政略結婚だけどお〜ぅ〜、ホントは〜はぁ〜〜〜、はぁ〜〜初めてえ〜〜会ったとぉ〜き、君の事、好きになったんだ、よおぉおねぇ〜〜〜〜‼︎」


 大熱唱だ。

 なかなかの美声でびっくり。

 歌い終わった旦那は両手を広げて天井を眺めていた。

 でも見えているのは屋敷の天井ではなく、大劇場の大ホールの観客たちだ。

 彼には大ホールの舞台に立ちスポットライトを浴び、大絶賛の嵐に包まれる……そんな気分に浸っているように見えた。


「そんな……ワタクシも初めて会った時、アナタを好きになったのに……もっと早く言ってくだされば…….いえ、ワタクシがお伝えすれば……もっと、♪もっと愛しあえたのに〜いぃ〜〜!」


 実体のリュドミアは目を潤ませながら、かつての伴侶である黒服の旦那の姿を愛おしく見つめた。

 最後には右手を旦那に差し伸べて未練を身体で表現した。

 リュドミアの想いの言葉は最後、ミュージカル風の歌になって滑稽だったけど……


 悲劇、そうこれは悲劇! お互い政略結婚だと割り切っていたのに……実は双方、愛し合っていた……もし、どちらかが胸の内を伝えていれば……ああ、でもこれが現実!


 楽団員全員が立ち上がり、実体のリュドミアの方に向いた。

 旦那も実体のリュドミアに向けて気をつけをした。

 そして……


「♪ざまぁ〜〜〜ぁ〜!!!!!!」


 フルオーケストラによる大合唱だ。

 打楽器を持った楽団員が大合唱に合わせて鳴らした。

 ドラムのロール演奏、連続打ちから始まり、シンバルも小さい音から徐々に大きくなって、その場を盛り上げる。

 そして最後に大きな一発を叩いてコンサートを締めくくった。


「イヤ、♪イッヤァ〜〜‼︎」


 悲鳴の大熱唱を上げるリュドミアの上空から“薔薇の棘”が落ちて来る。


「イヤ、まだアナタを観ていたいの、♪終わらないっで〜ぇ〜〜‼︎」

 

 アンコールを求めたリュドミアに容赦なく“薔薇の棘”が刺さる。


「ワタクシの大切な想い出のメロディーが聴こえなくなる、アアア〜ン!」


 …………


 カラーン! カラーン! カラーン!


 …………

 …………


 リュドミアの映像の世界が終わり、我が家の裏庭に戻った。

 リュドミアはひとり芝生の上で気を失っている。


「お嬢様! リュドミアお嬢様!」


 執事の初老ダンディーが老体に鞭打って足早に彼女の元に駆け寄った。

 辺りは日が落ち始め、夕暮れになっていた。



   ***



 リュドミアを乗せた馬車がノットリダーム村を出て寂しい荒野に来た頃には辺りはもう暗闇に包まれていた。

 馬車には二人の御者が操っている。

 御者兼護衛の二人だ。

 次の村にある宿屋までの一本道は、昼間なら見通しは良く安全であったが、夜なので馬車に付けられたランプの灯りと馬の能力に頼るしかない移動は不安しかない。


「お嬢様、大丈夫ですか?」


 馬車の中では執事の初老ダンディーがリュドミアを心配して気遣っている。

 ざまぁの後遺症でまだふらついていた。


「大丈夫です……久しぶりに“ざまぁ”を喰らいましたが……気持ちはスッキリしています。

 これが“ざまぁ”対戦に負けた結果なのですね……不思議な気分です……負けた方が心地イイなんて……」


 リュドミアはにこやかな表情で応えた。

 執事の初老ダンディーとはリュドミアが赤子の頃からの関係だ。


「アッ!」

「どうしました、お嬢様⁉︎」


 リュドミアの驚きに執事の初老ダンディーは老体にもかかわらず素早く反応した。

 リュドミアは荷物袋を漁ってなにかを取り出した。

 一冊の装丁が豪華な本だ。

 表紙には『私の予言書』と書かれてあった。


「ソウです! ワタクシがここに来た真の目的です!」


 リュドミアはその本を大事そうに胸に抱きしめた。


「ワタクシの愛読書『私の預言書』の著者の大預言者、ノセタラ・ダマスの末裔のマアガレット・リボンヌにサインをおねだりするのが本来の目的だったわ!

 モウ、一番大切な事を忘れてしまうなんて……これから引き返す事は……ダメよね……」


 上目使いで執事の初老ダンディーを見つめて懇願した。

 

「お嬢様……」


 三十代であったがフリフリの可愛いゴスロリファッションのリュドミアの姿は、初老のダンディーには昔の幼い少女そのままに見えた。


 “ヒヒーン!”


 馬がなにかに反応して進行を止めた。


「何事ですか⁉︎」


 執事の初老ダンディーが馬車の小窓を開けて、御者に向かって叫んだ。


「分かりません! いや、前になにか⁉︎」


 リュドミアも反対側の小窓を開けて前方を見渡した。

 道の先の方に確かに違和感が……

 いや、違和感しかない、直径二メートルくらいの丸い円形の空間が渦を巻いてそこに存在している。

 暗闇なのに黒い渦がハッキリと見えるのもおかしい。


「な、なんですの?」


 リュドミアが馬車のドアを開こうとした。


「お嬢様! おやめください、ワタシ共が様子を見て参ります。

 お嬢様はお隠れになってください」


 そう言ってリュドミアに毛布をかけた。


「二人とも、様子を探ってくれ!」


 執事の初老ダンディーは御者兼護衛の二人に調べるよう指図した。


 馬車から降りた二人は剣を身構えて違和感のある空間に近付いた。


「……ざまあ、ざまぁ」


 空間の奥から女性の声で聞いたことのある台詞が流れてきた。


「ギャッ!」

「グワッ!」


 二人の護衛の苦痛の声と共に鐘の音、チャームの鳴り響く音が聞こえた。


「これは、ざまぁ!」


 執事の初老ダンディーが確認するために馬車から降りた。

 御者兼護衛の二人のざまぁな世界に興味があるのではなく、相手のざまぁの力を見極めようと近付いたのだ。


 今まで聞いた事のない事例だった。

 ひとりの人間が二人のざまぁを同時に出現させる事など、彼は聞いた事がない。

 二人のざまぁの世界が始まるのか、二人それぞれの近くが明るくなり、それぞれの世界が形作られていく。


 それと同時に黒い渦の空間から女性の両腕が現れ、両手の手のひらでなにかを握り潰すポーズをした。

 その瞬間、二人のざまぁの世界が消え、夜の暗闇に戻った。

 御者兼護衛の二人はその場で倒れた。


「なんてこったい!」


 二人のざまぁの世界が消された⁉︎

 執事の初老ダンディーは初めて見るケースで狼狽したが、初老ゆえ推測できた。

 あの手で二人のざまぁの世界を握り潰したと。

 この技も見た事も聞いた事もない。


 黒い渦から伸ばしていた両腕は、さらに伸びて本体、身体が現れはじめた。

 それは全身黒いローブで覆い隠されていたが、ウエストの細さやチラリと見せる脚部から、やはり女性であるのは間違いない。

 そして夜なのに姿形や色の黒さがハッキリ分かる。


「アナタ、何者ですか?」


 いつの間にかリュドミアが馬車から降りて、初老ダンディーの隣に来ていた。


「き、危険です、リュドミア様!」


 リュドミアは初老ダンディーが自分を庇うのを制して、さらに黒いローブの女性に近付いた。


「……リュドミア・ゴスロリスキー……アナタの技……“爽やか風だわ”……大変気に入りました。

 ざまぁの心の力をほとんど使わず……何度も使用可能な所は素晴らしいです……」


 そう言いながら黒いローブの女性は右手をリュドミアに向けて、例の言葉を吐いた。


「ざまぁ」


 いきなりの“ざまぁ”に驚きはしたが戦闘態勢のリュドミアはすぐ回避する技を使う事が出来た。


「爽やかな風だわ」


 あいもかわらず髪をかき上げる姿はとても爽やかなリュドミア。


「……見ました……アナタの技……」


 黒いローブの女性は両腕をリュドミアに向けた。


「……“先刻次第のざまぁ”……“時を駆けるざまぁ”……」


「ナッ⁉︎」

「ナントー⁉︎」


 リュドミアと初老ダンディーは驚きの声を隠せない。

 間を置かず同時に二つの技を使用するのも初めて見た。

 いや、それ以上の……二つのざまぁの技を掛け合わしたのだ。

 技の研究をして、多くの技を知っている二人にとってすべてが非常識なざまぁの技だ。


「イ、イヤッ!」

「ナントー!」


 なんと、その二つのざまぁの技を黒いローブの女性は自分に向けて掛けたのだ。

 彼女の両腕が見る見る老けてシワシワでカサカサの乾燥状態に、終いには皮膚が黒くなり朽ち果てようと剥がれ始めているではないか。

 死臭が漂うのではないかと思われたその手前で進行が止まった。


「……思いの外……時が進みましたね……ワタシには結婚も離婚も……経験がありませんから……理解するのに……時間が掛かりました……

 アナタのざまぁの心をワタシのざまぁの心に理解させないと……他人の技は使えませんので」


 説明をしている間に彼女の皮膚は元に戻って行き、若く張りのある皮膚まで戻った。


「アナタの“爽やかな風だわ”……いただきました」


「なんですって!」


 ゴスロリスキー一族が何年にも渡って編み出した技が、一分足らずでコピーされた?

 そんな事はありえない!

 リュドミアの額から大粒の汗が流れた。


「サア、ワタシに“ざまぁ”で攻撃してください……

 さもしないとワタシが“ざまぁ”でアナタの秘密をバラしてしまいますよ」


 黒いローブの女性はリュドミアに向かって挑発を仕掛けた。

 彼女の肌は初めに見た時よりも若返って見える。

 たどたどしかった言葉も普通になって来てる。


「クッ!」


 簡単に挑発には乗れない、相手がどんな技を使うのか分からないのだから。 

 リュドミアは相手がかなり危険であるか、肌で感じ取っていた。

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