スカイスーツと日常生活
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二〇四〇年のスカイスーツ58、二〇四二年のスカイスーツ65の登場は、日頃機械と睨みあい、世界を相手に取り引きをしているビジネスエリートたちの間でも大きな話題になった。彼らがそれを身につけたときに、スカイスーツは初めて市民権を得たと言ってもいいだろう。それと同時に、スカイスーツは日常の生活に欠かせない道具になり、個々の暮らしや生き方に様々な変化をもたらし始めた。そのいくつかのシーンを紹介しよう。
通勤
高田勇三はナスカの南地区一番街の証券会社に勤めている。オフィス勤務の四十五歳のビジネスマンだ。高田はスカイスーツ65を購入した六か月後に、南地区の住宅街からオフィスまでの地下鉄通勤をやめた。運動のためというのが表向きの理由だったが、地下鉄の規則正しい時刻表に縛られる生活にいささか疲れてきたというのが一番の理由だった。テレビはとうの昔に番組欄がなくなり、見たいときに見たい番組をいつでも選択できるようになったが、通勤時間に縛られる生活は在宅型の企業にでも入らない限りなくなりはしない。
高田が通勤型のオフィス勤務を志望したのは、動き回り、人に会うことで、毎日の生活に少しでも変化を持たせようと思ったからだ。仕事に満足しているし、年収も悪くはないのだが、毎日の通勤にはどうしようもないほどのマンネリを感じるようになってきた。そんなときにスカイスーツ65が発売されたのだ。
高田は最初から通勤に使う目的でスカイスーツを購入した。一カ月半に及ぶ講習会でスピーディーな飛び方をマスターしたのち、地下鉄からスカイスーツへ通勤のスタイルを切り替えた。
高田は朝七時三十分に家を出る。妻と二人の子供に見送られながら三階のバルコニーから飛び立つと、時速十五キロのゆっくりとしたスピードで高度三百メートルの上空を北へ進む。所要時間は約四十分。地下鉄通勤よりも時間は掛かるが、地下鉄で通っていたときには得られなかった、素晴らしいひとときを満喫できる。名も知らぬ鳥と擦れ違ったり、風の声を聞いたり、地上では分らぬ車や人や暮らしの動きを不思議な気持ちで眺めたりと、空の道ならではの出会いや体験がある。それに何よりもスポーツ新聞の縁を鼻先に押しつけられたり、ハイヒールの細い踵で足を踏まれたり、死人のような顔で吊り革にぶら下がったりすることもなく、ただひたすら開放感に浸りながら雲のような大らかな気持ちで通えるのがいい。そうして高田はファーストアベニューの二十階建のビルの屋上に「バードマン」のように舞い降りるのだ。
木村健一社長も松本幸介と同じように、ショールーム的な体験スペースやネットCM、テレビCM、イベント、街頭宣伝に資金を注いだ。映画も一度だけプロデュースし、空飛ぶ未来人「スカイマン」をつくった。興業的には大成功と言えなかったが、テレビや映画の製作に影響を与え、特撮技術を駆使して映画をつくっていたハリウッドにもショックを与えた。生身の人間が空を飛んでいる映像が非常にシンプルで新鮮だったからだ。全世界で興行収入の歴代ナンバーワンの記録を作った「バードマン」は、この「スカイマン」をヒントにして製作されたものだ。鳥に育てられた主人公がバードマンとなって森林破壊王ケビンと戦う勧善懲悪の映画で、アカデミー賞の監督賞、作品賞、撮影賞、脚本賞を獲得している。
「よくみんなからバードマンみたいだって言われるんですが、実際はそんなに格好のいいもんじゃないんですよ」と高田は語る。「バードマンみたいに森の茂みをくぐりぬけた瞬間に変身できるといいんですが、私はスカイスーツをトイレの個室で脱いで、オフィスに置いてあるスーツに着替えるんです。雨の日も風の強い日もスカイスーツで通っていますので、髪の毛はびしょびしょかぼさぼさ状態ですし、寒い日は鼻水がだらっと垂れて、とても見られたもんじゃありません。でも、見てくれはどうであれ、私は地下鉄通勤にはもう絶対に戻りたくはありませんね。空を飛んで通うことの素晴らしさを知ってしまったからです。私はトビー世代でもありませんし、スカイスーツ50や55にも体重オーバーで着用できないこともあって全く興味を持ちませんでした。むしろ、フライング社の製品に対して反感を持っていたと言ってもいいでしょう。人間は歩くようにできているのであり、それを鳥みたいに飛べるようにするというのは人間らしさを奪うことであり、神への反逆行為になるのではないかという考えが私の中にありました。しかし、スカイスーツで通勤をしてみて分ったのです。私の考えが間違っていたことを。スカイスーツは人間らしさを取り戻すためにあるものであり、機械漬けにされている我々を救済する、神様が授けた道具であったのです。私は二十一世紀を人が自由に空を飛べる世の中にしたいと考え、フライング社という企業を築いた松本幸介を、いまとっても尊敬しています」
スポーツ
スポーツチャンネル(SCH)のキャスターを務める八木仁美は、二〇三六年のオリンピックハノイ大会のアースクイーンレースで金メダルを獲った。
アースクイーンレースは、トライアスロンの自転車競技の代わりにスカイスーツによる飛行競技を加えたもので、海(泳ぐ)・空(飛ぶ)・陸(走る)の過酷なレースにより、文字通り地球の女王を決めるものだ。
スカイスーツ50が発売された年の二年後の二〇二八年に、日本で第一回のアースクイーンレースが行われている。外国の招待選手を含めて、三十五名が参加した。選手の殆どはトライアスロン競技の経験者だった。このレースを仕掛けたのは、フライング社の木村健一社長で、木村はレースの実績を築きながらIOCに働きかけ、ハノイ大会で初めて公開競技として登場した。
八木は当時二十六歳の主婦で、正式種目となる二〇四〇年のロンドン大会での優勝も期待されたのだが、彼女は突然引退を表明した。二〇三七年に子供を産み、体重が十キログラムも増えてしまったからだ。
当時スカイスーツは五十・五十五キログラムタイプしかありえず、産後の減量に失敗し、体重が六十キログラムより減らない八木はレースの出場を断念せざるをえなかった。
これによりアースクイーンレースは沢井香織と福島恵理子の時代になった。沢井は二〇三七年、二〇三八年、二〇三九年の日本選手権三連覇を果たし、海外に強い福島は二〇三八年の世界選手権で優勝し、二〇四〇年のオリンピックロンドン大会では金メダルを獲っている。そして二〇四一年の日本選手権を沖縄で迎えることになった。
国内外の招待選手を含めて百十九名が参加したが、優勝候補は沢井と福島の二人だった。オリンピックのため二〇四〇年の日本選手権は開催されなかったので、この大会は沢井の四連覇がかかっていた。四連覇は過去に八木しか達成しておらず、大会前から注目が集まっていたが、この大会にはもう一つ話題があった。かつての地球の女王八木仁美も一般の個人でエントリーをしていたのだ。
レース前、八木はスポーツ記者の取材に「気楽にやらせてもらうわ」と答えている。
しかし、競技から五年も離れていても女王のレース魂は健在だった。水泳の一・五キロこそ八木は集団の中にいたが、続く七十キロの飛行競技であっという間に先頭の福島を抜き、トップに躍り出たのだ。両腕を頭の前に伸ばして手を合わせ、足を逆Vの字にしたロケット飛行は彼女独特のもので、以前のレースより体重が増えた分、よりパワフルな飛行になった。八木は続くマラソンで三十五キロ地点までトップをキープしていたが、三十七キロ地点で沢井に抜かれ、結局二位になった。
このとき、八木をゴールで待ち受けていたのは夫の克己だった。克己は笑顔で迎え、八木も汗が混じった爽やかな表情で夫の腕に飛び込んだ。
この八木を復活させたのは克己の力が大きかった。克己は通信会社のエンジニアで、八木の一番のファンを自認している。スカイスーツ58が発売されたときに、克己は地球の女王のカムバックを計画した。
「計画したと言ってもすぐに思い立ったわけじゃないんですよ、ずいぶんと悩みましたからね。男のずるい考えとしては、そりゃ育児に専念をしてくれるほうが、こっちも楽でいいですよ。でもね、私は彼女の心が母親になってからもレースを求めていることを知っていましたし、私自身、アースクイーンレースに出ていた彼女にひかれたのであって、育児をしている彼女に恋をしたわけじゃないんです。悩んだ末、もう一度彼女のロケット飛行を見てみたいという気持ちの方が勝りました。私はスカイスーツ58が発売されてから何か月か後に、彼女にまたレースに出てみないかと言いました。そのときは笑って取り合ってくれませんでしたがね。その後、私があんまりしつこく言うもんだから、彼女は怒っちゃって、喧嘩になったこともありました。私はレースを引退したのが太ったという単純な理由なんだから、戻る理由も単純でいいのではないか。別に悩まず、気楽に考えてやればいいじゃないかと言いました。結局彼女は了承し、レースに出ることになったわけですが、この半年間の彼女の練習を見ていると、安易に提案してすまなかったと思っています。すっごい練習をしていましたからね。特に減量には苦労したと思いますよ。子供を産んだ直後よりはスリムになっていましたけど、五十八キログラムよりは体重がありましたからね。二位という成績に彼女が満足しているかどうかは分りませんが、私は何位でも素晴らしい結果であると思っています。次のオリンピックハバナ大会にもぜひ出場して欲しいですね」
八木は優勝者の沢井よりも多くの記者たちに囲まれた。突きつけられたマイクに向かって八木は言った。
「今日という日を私にプレゼントしてくれた主人に感謝しているわ。主人はどう考えているのか知らないけれど、これで最後よ。本当に楽しかったわ。練習を積めば次は勝てるかもしれないけれど、勝つことだけがもう私の人生じゃないもの」
沢井は優勝インタビューでこう答えている。
「四連覇はとてもうれしいわ、もう最高よ。でも、それ以上にうれしくて興奮したのは、八木さんと一緒のレースに出られたことよ。だって私、八木さんのレースを見てこの競技を始めたんだから。でも、今日の大会をテレビで見ていたら、私、アースクイーンレースの選手になるのを諦めてスカイダンスへ行こうかなって思ったかもしれない。だって、もう私みたいに痩せぽっちの人間は絶対に勝てないもの。八木さんをはじめスカイスーツ58を着て参加した人とのパワーの差は、はっきりしているもの。泳ぐことも走ることもそうだけど、特に飛び方よ。八木さんの飛び方って、ロケット飛行とかじゃなくてロケットそのものだったわ。私の横をグォーンと飛んでいったとき、まるで踵から火を噴いているみたいだったわ」
沢井が言ったように、スカイスーツ58・65の登場により、スカイスーツ50を着用している沢井や福島のようなスレンダーなほっそりとしたタイプの選手は、勝てない時代がやって来た。アースクイーンレースはより肉感的なパワフルな女性たちに優勝を攫われるようになった。
二〇四二年の世界選手権ではドイツのマルチナ・サイツィンガーという五十八キログラムクラスの選手が優勝し、二〇四四年のオリンピックハバナ大会では六十五キログラムクラスのアメリカのドロシー・バッハーが女王になった。日本のお家芸と言われたアースクイーンレースだが、皮肉にも、日本が生んだ偉大な発明品スカイスーツのパワーアップにより、日本人の栄光の時代は終ったのだ。
スカイスーツ65の登場により、アースキングレースの開催も望まれているが、これに対して木村健一社長は、
「男子の場合は、まだまだ時期尚早のように思えます。それはスカイスーツに体重制限があるからです。六十五キログラムタイプ程度では、世界中にいる多くの有力選手が参加できないでしょう。それでは真に地球の王様を決めるレースにはなりません」と語っている。
休日
スカイスーツ58・65が発売されて以来、休日の公園で親子が飛行遊びをする風景が見られるようになった。北野次郎はスカイスーツ65のおかげで、子供とのコミュニケーションを取り戻したという。
北野は在宅型の出版社の編集マンだった。もともとは休みたいときに自由に休めるという理由で在宅型の仕事を選んだのだが、実状は日曜日や祝祭日もだらだらと仕事を続けてしまい、休日というものがまるでなくなってしまっている。
家にいるから子供とは毎日顔を合わせているが、パソコンのほうに顔を向けている時間のほうが断然長く、会話もついつい疎遠になっていた。これではいけないと思っていたときに、スカイスーツ65が発売されたのだ。
スカイスーツ65を購入してから、北野は子供の休日に合わせて仕事を完全に休むようにした。
休日、北野は小学校二年生の息子と近所の公園へ行く。北野はスカイスーツ65を着用し、息子の純はスカイブルーのトビーをつけている。
スカイスーツは五十キログラムタイプ未満だと、47・45・43が発売されているが、体重が軽い子供用はターゲットがまだ運動力も判断力も未熟という理由で、テスター審査にパスしていない。
北野は公園で純にトビーの飛び方を教えたり、ときには安全ロープを引っ張り、純を連れて高度百メートルまで上がることもある。
野球やサッカー以来、父親と子供がスポーツや遊びを通して一つになるようなものは久しくなかったが、スカイスーツは親子の新しいコミュニケーションシーンを創出しようとしていた。
「私はトビー世代で、小さなころはトビーで育ち、スカイスーツ50で遊んだこともあります。私の両親はそういうもので遊んだ経験がないものだから、とにかく安全というものだけに気をつけ、こうしちゃいけない、それは危ないとか言ってやかましい監視役に徹していました。しかし、私は遊んだ経験があるのです。監視役ではなく飛び方も教えてあげられるし、子供に尊敬されるようなテクニックも披露できるのです。それだけでも子供とのコミュニケーションの糸口になるように思えるのです」と北野は言う。「二十一世紀の機械文明は余りにも便利になって、一日の時間や一週間の曜日という概念すら変えようとしています。それをいいほうに利用すれば時間も休日もたっぷりと得られるのでしょうが、私のようにメリハリなく仕事をしていると、昼も夜も休みもそうでない日も全部一色単になってしまうのです。スカイスーツ65は、きちんと休日をとることとか子供と遊ぶこととか、そういった暮らしの基本的なことを思い出させてくれました」
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