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 その異様なスカイスーツを最初にはっきりと目にしたのは、目黒区に住む十九歳のコンビニ店員だった。彼女は十三番目の犠牲者になった

「買物をしているうちに、顔見知りになったんだ。知り合いといっても、こんにちはって挨拶をするぐらいの仲だ。ずんぐりした、ちょっと太った女で、可愛くもなんともないし、彼女目当てに買物をするっていうことはなかった。それがデートをすることになったのは、僕が着ていたスノーウエアのせいだ。スカイスーツの何かのキャンペーンでもらったやつで、彼女、僕のウエアをかっこいいと言い、それから自分は太ってしまったので次のタイプが出るまで空を飛べないって言うんだ、レジのところでね。それでデートに誘ったんだ。僕のスカイスーツなら二人で飛べると言ってね」

 女は「そのうちに」と言ったが、田村は家に帰り、すぐにスカイスーツを身につけた。


 田村は空に浮かんで女を待った。女は深夜十一時に男の店員と交代し、店から出てきた。田村は後をつけた。女は人通りのない住宅地に入った。田村は電線より少し高い空間から急降下し、獲物を攫った。

 女は悲鳴を上げたが、顔見知りの田村であることが分るとホッとし、叫ぶのをやめ、二人で空を飛んでいる現実に表情を輝かせた。

「凄いわ、これ、どうしたの?」乗り物のようなスカイスーツに女は興味を示した。

「つくったんだ」

「二人乗りのスポーツカーよりもかっこいいわ」

「これを早く見せたくて、君を待っていたんだ」

「これなら、毎日誘ってくれてもいいわ」

「君はスカイスーツが好きなんだね」

「あなたも好きになるかもしれないわ」女は可愛くもない顔で言った。

「本当に?」

「うん」

「初めてだよ」

「何が?」

「人に好かれたのが。スカイスーツさまさまだよ」


 田村は高度五百メートルを目指したが、三百メートルそこそこまでしか上がらなかった。女が鉄アレイ五本分よりも重かったせいだ。

「鉄アレイよりも何倍も疲れたよ。五十キロを超す女を攫ったのは初めてだったからね。水平にびゅーんというわけにはいかなかった。クラゲみたいに浮き沈みながら、斜め飛行で上昇したんだ」  

 田村は歴史の置き土産のようにところどころに聳えるオフィス専用の高層ビルにぶつからないように飛行した。一つの腕を腰の方に回し、もう一つの腕を背中の方へ伸ばして。

「その時に気づいたんだ。両手が彼女の背中まで伸ばせないなって。小柄な女の子たちとは違って、ホールドがうまくできなかった。これは着ぐるみのような僕のスカイスーツのせいだ。腕の部分もぶくぶくしていたので、肉厚の彼女の背中にまで手が届かなかったんだ。だから余計疲れちゃって」


 女は田村の両肩の上から首の後ろへ左右の手を回していた。

「これから、どこへ連れて行ってくれるの?」女が聞いた。

「ネバーランド」

「何よそれ」

「子供だけの島だ」

「どこにあるの」

「この下にある」

「東京じゃないの」

「そうだよ。ここにいれば、みんな子供みたいに夢を見ることができる。ナスカよりも、僕は好きだな」

「ナスカよりずっといいわ。あそこはただきれいなだけで、おじさんの街っていう感じだし」


 女が重くて、腕がしびれてきた。それに腿も。女はジーンズの両足を田村の片方の腿にがっちりと絡めていた。乳房の重い大人の女を空中で抱えるのは、やはり大変だった。田村は早く落として、腕や腿を揉みほぐしたかった。

「君も東京が好きなんだ」

「うん、大きな街だもの」

「この街は人の夢をたくさん食べながら大きくなったのさ。君も、東京に食べられたい?」

「うん」

「じゃあ、食べられなよ」と言って、田村は膝を振った。二本の足が腿から外れ、女の体が下へずり落ちた。女は悲鳴を漏らし、田村の顎の下で怒った。

「ちょっと、冗談はよしてよ!」

 女のスニーカーの遥か下には、一方通行の環状線が渓谷の激流のようにヘッドライトをつけた車を流していた。その道路とクロスする高架線路の上を私鉄の電車が猛烈な速度で通り過ぎていった。

「腿が痺れたんだ」

「落ちるかと思ったわ」

「君の夢は何だい?」

「早く、足を絡めさせてよ」

 女は宙ぶらりんの足を田村の腿に掛けようとしている。

「君の夢は、何だって聞いてるんだ!」

「ダイエットをして、もう一度スカイスーツを着ることよ!」

「まずそうな夢だ。でも、東京の腹の足しにはなるな」


 田村は女の足が自分の腿に再び巻きつく前に、背中と腰の方に回していた手を女の体から離した。すると、田村の首のところに掛かっていた女の腕は簡単に外れた。女は右腕を伸ばし、拳を開閉し、指で何かをつかもうとしたが、空中には何もなかった。女は二本の足をバタバタさせ、溺れるよう落ちていった。

「彼女もそうだけど、みんな最初は悲鳴を上げて暴れるんだ。でも、上昇すると、暴れるのをぴたっと止め、逆にしがみついてくるんだ。膨らんだ胸を僕の体にぎゅっと密着させてね。足まで僕の腿に絡めてくるんだよ。腿と腿で挟みつけるっていう感じでね、もう最高だったよ。でも、その後にもっと最高なことが待っているんだ」


 逮捕のきっかけは、十二歳の少女のお手柄だった。

 彼女はスカイスーツで遊ぶ「フライングジュニアクラブ」のメンバーだった。小学六年生で身長は百六十五センチメートル、体重は五十キログラムだった。

 田村が成人の女性と見間違えたのか、それとも、再び少女を襲おうと企んだのかは定かではないが、夜の九時前、田村は東京世田谷区の路地を歩いている女の子の前に空から現れた。

「一緒にネバーランドへ行こうよ」田村は陽気な声で誘った。

「へんなの」

 少女は黒い熊のような変態男を無視し、そのまま素通りをしたが、田村は獲物を逃さなかった。少女を羽交い締めにすると、悲鳴を上げさせる時間も与えず、すぐに空へ飛び立った。


 少女は腕の中で暴れ続けた。

 この女の子は非常識だと田村は思った。今までの獲物は高度二十メートルも上がれば暴れなくなる。むしろしがみついてくる。足も、手も、蛇のようにして巻きつけてくる。しかし、こいつは百メートルまで上昇しても、まだ腕を振り払おうとしている。胸が軽い子供だから非常識なんだと田村は思った。田村は少女に注意してやった。

「そんなに暴れると落ちてしまうよ。落ちてしまったら胸や膝から骨が飛び出して、脳味噌がぐっちゃり散らばって、死んじゃうんだよ」

 少女は田村の話を無視して、「息が臭いのよ」と言った。

 田村は少女にわざと顔を近づけ、ハァーっと臭い息をぶつけた。「僕と一緒に子供だけの島で暮らそう」

「九時までに家に帰らないとママに叱られるの。帰してよ。手を離してよ!」

 少女はクラブのトレーニングを終えて、ジムから家に帰るところだった。

「手を離したら、落ちちゃうんだよ。子供でも、そのくらいは分るだろう」

 田村が気持ち悪い笑いを浮かべて言うと、

「いいから、私にさわらないで! 変態!」

 少女は田村のほっぺたに噛みついた。

 痛みに、田村の両腕が飛び上がった。

 少女は田村の目の前から消え、東京にゆっくりと吸い込まれていった。


 自分が落としたわけではないので、田村は何の快感も得られなかった。歯形がついた頬をさすりながら、田村は勝手に落ちていった少女を恨んだ。

 それにしても、このメスガキは落ちるスピードがのろかった。落ちるのに、どうしてそんなにモタモタしているのだ! 田村は暗闇の空中を落下する少女をイライラしながら睨んだ。

 睨んで、睨んで、睨んでいるうちに、田村はモタモタの理由を理解した。

 少女は落ちてはいなかった。地上を目指して、飛んでいたのだ。


 少女は服の下にスカイスーツを着ていた。フライングクラブの友達と空で遊んだあと、彼女はいつも着替えないでトレーニングを続け、そのまま家に帰る。

「スカイスーツに慣れる一番の方法は、スカイスーツをいつも着ていることだって、クラブのインストラクターが教えてくれたの。それで助かったんだわ」と少女は語っている。


 田村はピーターパンの正体を永遠に明かしたくはなかった。

「夢を壊したくなかったからね」と田村。

 田村は少女をもう一度攫うために、ジェット噴射で急降下した。すぐに追いついたが、少女は間一髪のところで強烈な眩しい光に助けられた。雑居ビルの屋上から田村に向かってサーチライトが照らされたのだ。

 田村はびっくりした。慌てて空へ逃げようとしたが、スカイスーツに身を包んだ巡回中の警官が一斉に屋上から飛び立ち、田村を取り囲んだ。

「スカイスーツも動力も警察のより遥かに性能がいいし、逃げられないことはなかったんだけど、警官が持っている銃が怖かったんだ。弾のスピードには、勝てないからね」

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