20
田村篤史が初めてトビーを体験したのは生後六か月のときだった。田村はトビーを母親の腕よりも気に入り、トビーを外すとヒステリックに泣き喚いた。仕方なく母親は食事と入浴と夜眠る以外の時間は、彼にトビーを与え続けた。そのため、田村は「立っち」の時期が、他の赤ん坊より六か月も遅れた。
この頃、田村は新聞に載ったことがある。それは飛び袋の最初の事故とも言える出来事で、トビーをつけたまま上空五十メートルまで飛ばされ、ヘリコプターで救出されたというものだった。東京に春一番の強風が吹き荒れ、トビーの使用には適さない天候だったが、母親はどうしても赤ん坊の健診に行かねばならなかった。
「風の強い日にトビーを使っちゃいけないって知ってました。でもベビーカーだと篤史は厭がるんですよ。乗せようとしたんですけど、いやいやと駄々って玄関でぎゃんぎゃん泣くもんで、それでついいつものようにトビーで出掛けてしまったんです」と母親は新聞記者に語っている。「安全ロープはぎっちりと握っていたんですけど、風が強くて、コンタクトレンズにごみがついてしまって、それで目に気を取られた一瞬、手からロープが離れてしまって、あっと思ったときにはもう篤史は空へ飛んでいってしまったのです」
そのとき、空の上で赤ん坊の田村は何を見て、何を感じたのか知るよしもないが、彼はトビーを恐れるどころか、自分を風船みたいにしてくれるこのオモチャをますます好きになった。
トビーの新製品は田村の成長に合わせるように発売された。田村はトビーに育てられて大きくなったと言ってもいいだろう。そして十四歳になる年、五十キログラムタイプのスカイスーツが発売されたのだ。
当時の田村の体重は五十三キログラムだった。田村はスカイスーツのために四キログラム近くまで減量した。
スカイスーツを手に入れた田村は、このとき初めて彼の起こした事件の根源とも言える行動に出る。空に、自分の家で飼っていた子猫を、連れて行ったのだ。
「百メートルくらい上がったのかな。猫にも鳥の気分を味わせてあげようと思ったんだよ」と田村は取調室で述べている。「でも、爪を立てて暴れるんだ。スカイスーツに穴が開くかと思って、それで手を離したら、猫が勝手に落ちちゃったんだ」
田村はこのとき初めて、地上に落ちていくものを真上から見た。
「たった今目の前にいた猫がどんどん小さくなるんだ。自分の街がというよりも地球そのものが掃除機になって、猫を吸い込んでいるようだった。そしてごみみたいに見えなくなったときには、地上でもうぐちゃっとなっていたんだ」
田村はこれまでにない不思議な快感を覚えた。
その猫の一件があって以来、田村は「飛ぶ」ということよりも「落とす」ということに取り憑かれた。だが、空からサッカーボールや石ころを落としても、猫を落としたときの快感は得られなかった。
スカイスーツ50の次のタイプはなかなか発売されなかった。二年おきにデザインのモデルチェンジはあったが、制限体重は変わらなかった。
大人になるにつれ、田村は五十キログラム弱の体重を維持するのが難しくなった。
彼は殆ど食べずに過ごした。食べることよりも飛ぶことのほうが楽しかったし、更に飛ぶことよりも落とすことのほうがその何倍も気持ちが良かった。
しかし、もともとは大柄の両親の間に生まれた子供だ。空気を吸っても太るようで、飲まず食わずでも五十キログラムの体重は徐々に増え始めた。
田村はフライング社とトビーに関する記事や本を読み漁った。そして、発明者である木村健一の最初の作品は五十五キログラムタイプで、大学時代に遊びで使っていたものが六十五キログラムタイプであったことを知る。田村はスカイスーツのパワーアップは可能であることが分った。デザインやスリム感を気にしなければ、スカイスーツはもっと体重があるものを空へ運ぶことができるのだ。
田村は交換用のFLY-GをPVから大量に買い入れ、それをもとにスカイスーツを改造することにした。スカイスーツを二着重ねて着ることはできないが、もう一着を背中に縛りつけ、更に、彼が赤ん坊のときから集めてきた歴代のトビーを両腕と両足につけた。すると各タイプの足し算にはならなかったが、十キログラムの鉄アレイを持ったまま宙に浮ぶことができた。
田村はFLY-G入りのスカイスーツに更にFLY-Gを充填してみたり、スカイスーツそのものの素材や形態も研究した。
「美しく快適に飛ぶために」
そんな宣伝文句はどうでもよかった。雪だるまみたいになってもいいから、彼はスカイスーツのパワーを上げたかった。
その結果、彼はフライング社のスカイスーツとは全く異なるデザインのスカイスーツをつくりあげた。改造のポイントはスカイスーツを基本に、背中のところに巨大な膨らみを持たせたことだ。てんとう虫のような形を想像してもらえるといいだろう。
「本当はFLY-Gそのものを改造したかったんだ」と田村は語っている。「名前も決めていたよ。ATSUSHI SUPER DREAM-Gってね。でも、できなかった。もとになったスカイエネルギーは人間がつくったものじゃないからね。空に漲っている自然界のエネルギーで、空の女神が風船旅行を夢見ていた自転車屋の主人とその息子に与えたものだ。この親子はどうして空の女神に微笑まれたのだろう。飛ぶことを夢見て、飛ぶための研究に努めていたから空の女神に認められたというのなら、僕にもスカイエネルギーをもらえる権利はあるはずだ。僕は雲を目で追い、風の声を聞きながら、何度も何度も空の女神を捜したよ。だけど、彼女は僕の前に姿を見せなかった。女神様も、僕に空から落とされると思ったんだろうな」
スカイスーツをパワーアップさせるには、巨大化という方法を選択するしかなかった。
「だけど、動力だけは自慢できるんだ。フライング社のものよりは百倍は性能はいいよ。スカイシューズの動力がスカイスーツのパワーに対応できるものでなければ、下手をすると僕自身降りてこれなくなってしまうからね。僕のはロケットみたいに噴射するんだ。炎をだしてね。FLY-Gのパワー不足も補えるし、最高の発明品だよ。飛び袋の安全使用上の注意事項に、マジックガスは火に弱く爆発の恐れがあるので、飛びながら花火をするなって書いてあるけど、炎を出す噴射式はどうなんだろうな。やっぱり危険なのかな。でも、何かををつくっているときは危険だなんて考えないものさ」
田村は生まれてまもない頃から大人になるまで、多くの時間をトビーまたはスカイスーツで過ごしてきた。そのため、彼は普通の一般の成人に比べて足腰の力が非常に劣っていた。彼は電子ビジネスネットワークに企業登録し、そこで世界を相手に商売をしていた。彼が売っていたのはテスター審査に合格していない幼稚なゲームソフトやアダルトゲームソフトの類だったが、トビーやスカイスーツの改造品も売っていた。
田村が在宅型の電子ビジネスを選んだのは、足腰の弱さと関連がある。
「とにかく、歩くのが面倒臭かったもので」と田村は警察の取り調べに答えている。更にこの言葉の後にこうつけ加えた。
「人並みに歩くことができて、歩くことを苦にしなかったら、僕はフライング社に入りたかったよ」
最初の事件を起こした二十三歳の年までに、田村は百キログラムタイプのスカイスーツを完成させた。そのときの田村の体重は捕まったときと変わらない六十キログラムだった。
田村は四十キログラムのものを空へ運び、落とせるようになったわけだ。
田村はわくわくしながら、身の回りにあるもので落としがいのあるものを探したが、
「可笑しな話だけど、どれが四十キログラムで、どれがそれ以上かって分らないんだよ。公園のベンチが何キロ、ゴミ箱が何キロとか、そんなことをいちいち書いてないからね。ものには名前をつけましょうじゃないけれど、ものには重さを書いておいて欲しいな。で、とりあえず、十キロの鉄アレイを四本空へ運んで落としたよ。家の屋根が壊れたって、新聞に書いてあったようだけど、全く運がない家だ」
田村が人を落とそうと思ったきっかけは、実に単純だった。
田村が母親に、
「四十キログラムのものって、真っ先に何が浮かぶ?」と聞いたところ、母親は即座にこう答えたそうだ。
「女の子とか子供じゃない」
それで田村は子供を落とすことにした。最初は軽めの子供を選んだ。初めて落とした少女は野球場の光の中へ泣きながら落ちていった。田村がその少女を攫ったのは昼間で、夜になるまで車のトランクに入れておいた。
「夜になれば、通りを歩いている子供はいないからね。最初は夜中にスカイスーツで飛び回って、手頃な子供を捜していたんだ。そこらのマンションの窓を覗き込んでね、でも、鍵が掛かっているし、窓を割る勇気もないし、二、三日でやめちゃったよ。それで昼間に行動することにしたんだ。子供はそこらの公園にいっぱいいるからね。最初の女の子も公園で遊んでいたんだ。親とか友達が近くにいたのかどうかは分んないけど、攫ったときは一人でいた。女の子には何もしなかったよ、落とすのが目的だったし。男の子でも良かったんだけど、男の子よりも女の子のほうが可愛いからね」
それから田村は女の子ばかりを何人か落とした。女の子を連れて夜の空を飛んでいると、田村はネバーランドへ向かうピーターパンになったような気がした。だけど、新聞にはそうは書いてはいなかった。
〈満月にあらわれる、蝙蝠男の恐怖〉
満月というロマンチックなでたらめは許せても、蝙蝠男はないだろう。田村は新聞社に一度だけ抗議の電話を掛けた。「僕はピーターパンなんだ。蝙蝠男って書かないでくれ」と。
そのうち、田村は子供を落とすのにも飽きてきた。子供はすぐ泣くし、胸も軽い。田村はもっと重い乳房を持った人間を落としたくなってきた。
それで、スカイスーツ100を改良し、更にパワーアップさせた。
新しいスカイスーツはてんとう虫タイプではない。背中の膨らみを極力押え、その分全体のサイズをできるだけ大きくした。田村は身長百七十五センチメートルだったが、それを着用すると二百五十センチメートルにもなった。「着る」と言うよりも「入る」感じに近く、足の下の高性能の噴射装置は、リモートコントローラーのスイッチで自由に操作できるようになっていた。
このスカイスーツはまるでロボットだった。
田村はこれを二〇三七年の一月までに完成させている。
「最初のテストに成功したのは、完成の何週間か前だったと思う。その夜はクリスマスイブで、空はスカイスーツを身につけたカップルでいっぱいだった。ただ浮かびながら、東京の夜景を眺めているんだ。僕のビッグサイズのスカイスーツを見てびっくりしたやつも何人かいたと思うけど、みんなたいして気にする様子はなかった。サンタクロースみたいな格好で飛んでいるやつもいたからね。でも、そのときの僕はクリスマスイブ以上の喜びを密かに味わっていたんだ。十キロの鉄アレイが五つも入っている袋を持ったまま、空を飛ぶことができたのだから。これで大人の女も落とせることになったわけだ。僕はメリークリスマスって叫び、鉄アレイのプレゼントを袋ごと地上に落としてやったよ」
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