蝙蝠男の恐怖
19
二〇三五年から二〇三八年にかけて、東京で若い女性(少女を含む)が空から落ちてくるというショッキングな事件が起きた。四年間で二十三名が犠牲になっている。
被害者の最年少は五歳の園児で、その少女は最初の犠牲者でもあった。
二〇三五年は六月から十二月まで五名。二〇三六年は七名。二〇三七年は八名。二〇三八年は五月まで三名が犠牲になっている。最初の二年間は十二歳以下の少女ばかりが狙われたが、後の二年間は十五歳から二十五歳までの女性が被害に遭い、死亡している。
二〇一〇年代と二〇年代の活気に満ちた時代は過ぎ去り、社会全体が倦怠期に陥ったような弛んだ時代の最中の事件だった。
犯人は田村篤史という二十六歳の電子商人だった。
田村が生れたのは二〇一二年五月。同年同月にトビーが発売されている。田村篤史は典型的な「トビーエイジ」だった。
警察の取り調べに対して、田村は犯行の理由をこう述べている。
「ピーターパンになりたかったからさ」
満月の夜に起きたこのドラマチックで残忍な事件は国民の注目を集め、マスコミは犯人を「恐怖の蝙蝠男」と呼び、事件の話題は新聞の社説でも数多く取り上げられた。
が、満月の夜の犯行は、必ずしも田村篤史の美学ではなかった。実際に満月でない夜も女性を落としたし、満月であっても気が乗らない日は事件を起こしていない。満月の夜にこだわったのはむしろマスコミのほうだった。
田村が逮捕される前、満月の夜になると東京上空にヘリコプターが飛び回り、体重五十五キログラム前後の警察官がスカイスーツに身を包んで月と星の世界を用心深く巡回した。また警察のスポークスマンは新聞やテレビを通して、一般のスカイスーツ使用者に対して夜間の使用を自粛するように要請した。
松本幸介は最初の事件、つまり五歳の少女が神宮球場(プロ野球のチームがフランチャイズにしている球場の中で唯一の屋根なしボールパーク)の二塁ベース付近に、空から爆弾のように降ってきたというニュースを知ったときから、この事件に関心を寄せていた。
少女は小型飛行機やヘリコプターから落とされたのではなかった。その時間、神宮球場の上空には小型飛行機もヘリコプターも飛んでいなかった。少女を落としたのは空を飛んでいた人間で、犯人はスカイスーツのようなものを明らかに着用していた。
松本幸介はフライング社の商品が断じて犯罪に使われてはいけないと願っていたが、その時点でスカイスーツのようなものは、まだフライング社以外のどこの会社もつくっていなかった。
ナスカの勉強会で話題になった「スカイスーツの暗い未来」というものが、松本の頭をよぎった。
木村健一社長も事件の情報収集チームを社内につくり、各方面からの情報を松本に逐一報告した。まず、犯罪そのものに使われたスーツはフライング社の商品ではないことが分った。
「それは確かですか」
「はい。しかし、犯人はスカイスーツで空を飛んでいます」
健一の言葉に、松本幸介は不思議そうに聞き返した。
「うちの商品ではないと言いながら、スカイスーツで飛んでいると言う。それは、どういうことでしょう」
「わが社のスカイスーツを改造したものと思われます」
「それじゃあ、うちの商品が犯行に使われたようなものですね」松本幸介は憂鬱そうな険しい表情になった。「ところで、どうして改造したと言い切れるのですか。目撃者がいるのですか」
「いいえ、目撃者はおりません。改造と断言できるのは、当社の商品の性能を遥かに超えているからです」
「と言いますと」
「これまで四人の少女が犠牲になっています。一番軽いのは五歳の女の子で十八キロです。一番重いのは六年生の十二歳の女の子で、体重は四十キロありました」
「それで」
「犯行時、スカイスーツは犯人しか着用していないのです。つまり犯人の体重がスカイスーツ55を着用できる五十五キロ前後とします。六年生の女の子は四十キロです。二人合わせると九十五キロはあるのです」
「九十五キロですって!」松本は確認するように声を上げた。
「犯人の体重に関しては推測の域を出ていませんので、実際はもっとタイプが上になるもかもしれません」
この時点での犠牲者は、小学生ばかりだった。もっと体重のある大人の女性は、まだ狙われていない。
「フライング社ではどこまで開発しているのですか」
「商品化に関しては、いま五十八キログラムタイプの最終テストの段階に入っているところです」
「安全面やデザイン性を考慮しないとどうですか。君たちの遊び用のスカイスーツでも結構です」
「それでも今の形態ですと、八十五キログラムタイプが限界です」
「今の形態ですと、と言うのは」
「形態を巨大化して、動力を噴射式に変えれば、今の倍ぐらいにはパワーアップさせることは可能です」
「そうですか。でも、現時点では形はどうであれ、犯人はフライング社よりも十キロも先を行っているというわけですね」
松本幸介はふうーっと息を吐き出し、戸惑った表情を見せた。その巨体は九十キログラム台をさまよってはいたが、もう昔のようなエネルギッシュな塊ではなくなった。だが、ここにいるのは松本幸介なのである。重たげな目が急に鋭くなって、
「健一君」松本は怖いほどぎろっとした視線を健一に向けた。
「はい」
「フライング社はトップを走っている会社です。飛び袋の類似品は出回るようになりましたが、うちの会社にはまだライバルと呼べるような会社はありません。君や君のお父さんのような優れた発明家が、他の会社にはいないからです。しかし、これからはいつまでもフライング社がトップを走れるという保証はありません。どこの会社でも、フライング社の商品を模倣し、研究しています。いつか飛び袋やスカイスーツを超えるような商品も出てくるでしょう。この犯人にしても九十五キログラムタイプのスカイスーツをつくりました。犯人が我々の業界の関係者であるのか、そうではないのか、今のところまだ分りませんが、どこかの会社の連中が警察よりも早く捕まえ、九十五キログラムタイプのつくり方を聞き出すかもしれないのです。競争の原理から言うとそれはそれで良いことで生活者のためにもなりますが、フライング社という会社をつくったものとして言うならば、やはりうちが一番であり続けて欲しいと思います。私の願いを汲んで、これからも油断なく頑張ってください」
松本幸介は犯人が男でも女でも、年寄りでも若いやつでもどうでも良いと思った。ただ、犯人がどこで働いているのか、その一点だけを非常に気に掛けた。
犯人の田村篤史は二〇三八年五月二十三日に逮捕された。田村は業界の関係者ではなかった。松本幸介は安堵したが、犯人と犠牲者の体重を聞いて驚かずにはいられなかった。
田村の体重は六十キログラムだった。犠牲となった二十三名の女性の中で一番重かったのは二十五歳の英会話教師の五十六キログラムだった。つまり田村が着用していたスカイスーツは百十六キログラムの人間を空に運んだことになる。フライング社のスカイスーツとは全く異なる形態のものであることは想像がついたが、松本幸介はその事実に、もういても立ってもいられなくなり、上京した。
松本幸介は拘留中の田村への面会を警察に申し込んだ。どうやってつくったのか、どうしても田村から聞き出したかった。テスター審査に合格できないような異様な形態の改造品であっても、フライング社の商品よりも遥かにパワーが上なのだ。犯人が教えてくれないのなら、せめてその秘法を第三者に売らないで欲しいと頼むつもりだった。だが、松本幸介の面会の申し出は警察に断わられた。
木村健一社長は社内の情報収集チームを解散させずに、田村のアパートやポケットにスカイスーツ116のつくり方を書いた紙があったかどうかを調べさせた。大事件の犯人だけに警察のガードは固く、情報集めは警視庁の奥までは入り込めなかった。
松本幸介は当時の首相和泉康夫をあからさまに利用した。スカイスーツ116の情報を絶対にマスコミに公表しないでくれと言うものだった。
一国の首相を動かしてまでも、フライング社の未来を守ろうとした。それが松本幸介の最後の仕事だった。
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