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 テスター制度というのは、生活者の代表(テスター)が企業の新製品の販売やその商品の価格の設定を審査する制度である。これにより俗悪な商品や高額な商品は世の中に出にくくなった。審査は生活用品、玩具、菓子、スポーツ・レジャー用品、家電、車など二十四部門に分かれ、各々の部門のテスターがその商品を使ってみたり、あるいは食べたりして、販売や価格が適切であるか否かを判断する。


 テスターは経済産業省テスター課のコンピューターにより全国から無作為に選ばれ、一年おきに入れ替わる。テスターになることに応じたものは秘密厳守で、その一年間をほぼ隔離状態で商品の審査に携わる。その期間の報酬は保証され、特別ボーナスも出る。テスターになりたいと希望するものは多いが、テスター課によると、選ばれるものは生活、体格、学歴などにおいて極めて平均的な人物であるそうだ。


 テスター審査制度はPVと並んで生活者時代の象徴と言えるものだが、この制度が生れた背景には、二〇〇九年から二〇一〇 年にかけてテレビで放映されたコングマンシリーズがある。

 視聴率四十パーセントを稼いだ近未来のSFドラマで、コングマンの七つ道具といわれる武器がJ社から発売されると、これも大ヒットした。「大人の遊具」という売り文句であったが、言い換えれば、子供が扱うには余りにも危険に満ちていた。中でもコングアロー(&ボウ)といわれる武器は、公園の鳩を、あるいはそこらの塀の上を歩いている猫を射抜く力が十分にあった。

 生活者の団体は回収と販売中止を申し入れたが、テレビ局と玩具会社は無視を決め込んだ。一方は視聴率のために、もう一方は儲けるために。その最中、痛ましい事件が起きた。


 二〇一〇年の八月、四歳の男の子が隣に住む六歳の男の子に殺されたのだ。凶器は六歳の男の子の父親が持っていたコングアローで、六歳の男の子は心臓に矢を放てば相手が死ぬのは最初から分っていた。

「コングマンを見ているからそのくらい分ってるよ。いつも悪いやつをコングアローでやっつけているからね」と取り調べにも平然と答えていたという。


 この事件によって、コングマンシリーズは打ち切りとなり、玩具会社もキャラクター商品の販売を取りやめたが、すでに生活者の味方を自認する議員たちは、俗悪な玩具を販売させないための法案を練っていた。それがテスター制度の原形となるものだった。議員たちはここまでの制度に発展させるつもりはなかったようだが、企業の時代の終焉と生活者時代の到来という世の中の流れが今日のテスター制度を生んだのだ。

 そのテスター制度の原案をつくった議員の一人が和泉だった。和泉は後に四十六歳で総理大臣になる。


 この和泉に、スカイスーツがテスター審査に合格できるよう働きかけた。というのが、事実であるかどうか定かではないが、クリスタルホテルで和泉と会った二か月後の二〇二五年の二月、忙しいからという理由で出席を拒み続けていた「勉強会」に、松本幸介は秘書の河島とともに出席している。菊地ひな子と木村春彦も出席を求められたが、松本幸介はこれを断わり、二人でナスカまで出向いた。


 行政施設の窓のない会議室で、松本は社会的な犯罪を起こした被告のようにテーブル付きの固い椅子に座らされた。松本を取り囲んだメンバーは法務省、防衛庁や警察庁の関係者といった国の安全を担当しているものたちだった。

 勉強会は、彼らの代表である前頭部が禿げ上がった男の「ばかばかしい質問」に、松本幸介が答える形式で進められた。

「トビーをご存じですか?」

 それが最初の質問だった。

「もちろん知っています。当社の製品です」

「当社というのは?」

「フライング社のことです」

「飛び袋とも言っているようですが」

「ええ、ずっと私は飛び袋と言っています」

「どうして飛び袋と言っているのですか?」

「海の浮き袋に対する言葉として、空の飛び袋という言葉が浮んだからだと思います」

「じゃあ私も飛び袋と言いましょう」

「お好きなように」

「飛び袋とは何ですか?」

「生活や、育児や、遊びの必需品です」

「仕組みは?」

「マジックガス、FLY-Gです」

「FLY-Gとは?」

「木村春彦という天才が発明したものです」

「そのFLY-Gは、どうして重さのあるものを空中に浮かばせることができるのですか?」

「それは空の女神の贈り物だからです」

「よく分りませんね」

「分らなくて結構です」

「そんなわけの分らないものを、フライング社は十数年に渡って世の中に送り出しているわけですね」

「飛ぶという、夢のような現実を提供しているのです」

「飛ぶというのは、誰の夢ですか?」

「人類の夢であると思います」

「人類とは?」

「この地球に住む八十億の総べての人です」

「ところで飛び袋は乗り物ですか、玩具ですか?」

「生活用品です」

「屋外での使用も、生活の中に含むのですか?」

「そうです」

「飛び袋は大人でも使えますか?」

「四十キログラムタイプまでしか販売していませんので、四十キログラム前後の方でしたら使用が可能です。それ以下の体重の方でも使用できるのですが、余り軽すぎると、浮き上がる力のほうが勝る恐れもあり、各々のタイプ別に体重制限を設け、それを商品の箱に明記しております。もちろん取扱説明書、安全使用上の注意書もつけてあります」

「何キログラムタイプまでの開発をお考えですか?」

「飛び袋に関して言えば、四十キログラムタイプ以上のものは出す予定はありません」

「では飛び袋以外の商品の予定はあるのですか?」

「はい、ございます」

「どんなものですか?」

「例えば、全身をすっぽり覆うスーツタイプのものです」

「それはもう完成していますか?」

「はい、完成しております」

「と言うことは、本年度のテスター審査にかけるということですか?」

「そうです」

「そのスーツタイプのものは、何キログラムタイプのものですか?」

「五十キログラムタイプのものです」

「将来、何キログラムタイプまでの開発をお考えですか?」

「スカイスーツに関して私はもう開発を命令する立場にありませんので、それについてはお答えしかねます」

「じゃあ何キログラムタイプまでなら開発できると思いますか?」

「開発の時間に制限がなければ、何キログラムタイプでも可能であると思います」

「フライング社はそれを実現できると思いますか?」

「はい」

「その実現の目的は何ですか?」

「総べての人に飛ぶという喜びを与えるためにです。また飛ぶことが日常生活の中で歩くことと同レベル、またはそれ以上になることを願うものでもあります」

「それ以上というのは?」

「人間が飛行機や鳥になるということです」

「よく分りませんが」

「飛行機に乗らなくても、自分で飛びながら遠くの町や国へ移動できる、そんな時代の到来を願うものであります」

「そういう時代が来ると思いますか?」

「はい」

「自分で飛びながら移動できるというのは、総べての人がですか?」

「はい。先程も言いましたように、この地球に住む総べての人がです」

「それは何を意味するか分りますか?」

「と言いますと」

「世界中で許可なく国境を越えるものが増えてくるということです」

「素晴らしいことです」

「素晴らしいとお考えですか?」

「はい、もしも人類が最初から飛べたなら、国境などという愚かなものは生れなかったでしょう。飛ぶということが日常になれば、あらゆる世界にそれに合わせたスタイルやシステムができるのは当然のことで、国境という概念もなくなるものと思います。飛ぶということは自由と平等と平和の象徴なのです」

「松本さん、平和というのは戦争の後に訪れるものです。いま、飛ぶことは平和の象徴とおっしゃいましたが、その前にまず、飛ぶことは戦争の象徴になるでしょう」


 松本幸介はその言葉の意味が分らなかった。

「何をおっしゃるのですか?」松本は困惑の笑いを口元に浮かべて問い返した。

 玉子顔の質問者は、鉄のような表情を変えずに答えた。

「世界で大きな戦争が起こった場合、フライング社の商品は真っ先に戦場に送り込まれるだろうということです。我々はそのことを心配しているわけです。松本さん、ご存じのように、世界はいま至るところで軍事的な睨みあいが続いています。朝鮮半島、東南アジア、中央アジア、中東、西アフリカ、北アフリカ、中央アフリカ、バルカン半島、北アイルランド。多くは民族、宗教、国境をめぐる対立です。これらの紛争は、時間が解決するものではありません。あなたの回顧録に書かれてあるように、テレビを見せても解決できるものでもありません。勝利と敗北によってのみ解決されるものです。戦っているものたちは、勝利のためなら、どんなものでも武器にしようとするでしょう。核や化学兵器はもちろん、あなたの会社の商品もです。あなたは今世紀を生活者の時代と言っているようですが、世界の人々は戦争の脅威に晒され、耐えず緊張に包まれているのです。それをよくご理解していただきたい」

「戦争で飛び袋が利用された報告はあるのですか?」

「今のところありませんが、スカイスーツに関して言えば、間違いなく利用されるでしょう。戦争に限らず国際的なテロリストたちの活動にも使われるものと思います。何しろ、自由に国境を越えることができるのですからね。しかも空から。松本さん、この際はっきりと申しあげましょう。スカイスーツをテスター審査にかけるのを、フライング社創設者のご意志と権限で取り止めていただきたいのです。トビーだけでしたら、我々もそこまでは申しません。しかし、スカイスーツは実に危険なのです。世界の秩序を乱す恐れがあります。ぜひともスカイスーツの開発とテスター審査を中止してください。中止をしなければ、そう遠くない未来にあなたは死の商人のレッテルを貼られるでしょう」


 松本幸介の丸い肩は小刻みに震えていた。河島は背後にいて松本の表情を見ることはできなかったが、顔を見なくても怒っていることはわかった。

「あなたがたの推測、もしくは杞憂に、何と答えていいものか言葉が見つかりません。あながたの発想につきあうなら、確かにフライング社の商品の未来は暗いものになるでしょう。しかし、我々が抱いているフライング社の商品と未来の関係は、実に明るく、希望に満ちたものなのです。どちらの未来が、現実のものとなるのか、それは現時点で分りません。しかし、どちらの未来が素晴らしいものであるかは、分ります。ですからあなたがたも、我々の未来に目を向けませんか。飛ぶという、今にはない喜びや希望が溢れる未来に」

 勉強会は、松本幸介の心に不安な雲をつくった。入口を固く閉ざし、洞窟の奥の奥に籠っても、もやもやとした雲は死ぬまで晴れることはなかった。

 

 二〇二七年の十月、フライング社は創立二十周年を迎えた。その祝いの月に松本幸介のもとへ悲しい知らせが入る。ビッグライフ社が巨額の負債を抱えて倒産したのだ。アジア進出の完全な失敗に加え、PVの社会的な浸透による顧客の店離れ現象も要因になった。

 ビッグライフ社とはもう直接には関係がないとはいえ、家業の思い出が残る人生の半分を捧げた会社だ。松本幸介は残念でならなかった。しかし、その思いはいっときの感傷に過ぎず、松本は価格競争に凌ぎを削っていたオールドビジネスにはもう何の関心も持っていなかった。


 マスコミにコメントを求められると、松本幸介は次のように語っている。

「ビッグライフ社にいたころは価格をいかに安くするか、ローコストだ、企業努力だといって、企業の頑張りをセールスポイントにしていたのです。しかし、それが生活者にとってどれほど価値があることでしょうか。価格を安くするのは当り前のことで、本当に生活者が望んでいるのは、一人一人が欲しいと思う夢のある商品の登場なのです。ところが生活者はそこでしか買うすべがないのです。その店のそこに並んでいるものしか。例えばピンクの柄がついたドライバーが欲しいと望んでも、そこになければ別の色のドライバーを我慢して買うしかないのです。それじゃあ、日常の買い物に夢がありません。売る側から見た商品の発想や視点ではもうだめです。買う側がどんどん商品をつくらせていかないと。商品イコール値段じゃないのです。価格はついでにあるのです。私はビッグライフ社のような二十世紀を引き摺っていた企業が潰れたのは、もっと生活者の側についた全く新しいスタイルの小売業の模索のためにもいいことではないかと思っています」


 菊地ひな子はフライング社の社長を四年間務めた。その四年の間に、木村健一を平の社員から開発技術チームのトップに抜擢し、更に次の社長の座を狙う創業時以来からの古い連中を次々に追放した。私生活では和泉と結婚し、和泉が二〇二八年に経済産業省の大臣に就任すると同時に、ビジネスの世界を引退した。


「二つのことを一度にはできませんので」と彼女は記者会見で語っている。「結婚した相手が大臣になったのです。和泉が国のために奉仕をしたいと言うのであれば、私が進むべき道は、ビジネスとの離婚しかないのです」と堅い声で言ったあと、菊地ひな子は子供時代の話を加えた。「私は幼い頃、父に教わりました。夢を叶えるためには、欲しいものをがまんするか、好きなものを失わなければいけないと。空に憧れていた私はキャビンアテンダントになるために、21世紀の始まりの朝に、飼っていたオカメインコをこの手で空に放しました。それ以来、私は人生で新しい夢をみるたびに、常に何かを失くしてきたのです。私は今、夫、和泉に政治家としての夢を感じています。ですから、和泉のために、これまでのビジネスキャリアを葬ることは決して悩み抜いた末の結論ではなく、私には、ごく自然な人生のステップなのです」

 そして、菊地ひな子は木村健一を次期社長に指名した。ネオビジネスエイジよりもはるかに若い、フレッシュな人選だった。松本幸介はその願いを一度も口に出さなかったが、菊地ひな子は松本幸介の気持ちを汲み取っていたのである。

 喜びが父親のように溢れ、松本幸介はそのときだけ陰鬱な気持ちを忘れることができた。


 二〇二八年の秋、健一が相談室の部屋へ社長就任の挨拶にやってくると、

「君は空の女神を見たことがありますか?」松本幸介は堅い声できいた。

「いいえ」健一は答えた。

「私も見たし、君の親父さんも見た。君のおじいさんも見た。君も見てみたいとは思いませんか?」

「見たいと思ったことは一度もありません。子供のときから、私のすぐ近くに、私を空の世界へ導いてくれた方がいましたので」

「そうですか。ま、そうでしょうね。君にとって人が空を飛ぶという世界は、夢じゃなく、ずうっと現実的なことでしたからね。ところで、健一君は幾つになりました?」

「二十七歳です」

「君が社長になったというだけで、会社までが幾つも若返ったように思えます。でも、私が健一君に期待しているのはその若さじゃありません。その新しさです。その新しい才能とその新しい感性でフライング社の新しい時代を切り開いていってください。私は健一君に期待しています」

 


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