オールドビジネスとネオビジネス

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 トビーが世に出た二〇一〇年代は、明治維新以来の大転換期と言われた時代である。ナスカへの二〇六八遷都計画の発表、JR鉄道網の大幅な見直し、義務教育の六・三制度の改革と春卒業秋入学の実施、社会と学校におけるボランティアポイントの実施、罰則付き21世紀型男女平等法の施行・・・テスター制度の原形ともいえる「生活者による商品製造および販売・価格に関する審査制度」の法案もこの時期に初めて国会に提出されている。

 また、在宅介護を強いられていた老夫婦の家庭や地方の田舎町の生活の中にもTV受信機能と通信機能を持った双方向性のコンピューターが自然に入り込み、その一方で新聞の夕刊が廃刊になっている。朝刊のテレビ番組欄がなくなったのもこの頃で、毎週一回決まった時間に放送されていたドラマのワンクール分をまとめて受信できるようになり、ビデオに頼らなくても見たい番組を見たい時間にいつでも楽しめるようになった。


 この時代の流行語に「オールドビジネス」「ネオビジネス」という言葉がある。特に二十世紀生れの大企業を指して言う「オールドビジネス」に対し、「ネオビジネス」は二十世紀の財産を受け継がない全く新しいタイプの企業群だ。その新しさとは広い意味で言えば、フライング社に代表される新商品を扱う企業を指していたが、一般的にはオートミ社(在宅情報サービス)の大富、ハムレット社(マルチ・アミューズメント)の宮下のような若い二十代の起業家たちの登場を指していた。


 彼らは日常の生活にコンピューターが入り始めた一九九〇年代前後に生れた世代である。彼らの共通の特長は第三者との時間の共有を極端に嫌うことだった。そのため、若い社長たちが率いるネオビジネス企業の多くは本社の器を持たない在宅型の企業形態を選んだ。それが一戸建てやマンションの情報ステーション化を促進し、電化住宅からインターブレインハウスと呼ばれるコンピューター化住宅へとホームオートメーションの新システムが急速に普及していったのである。

 現在はコンピューターが家のどこに使われているかなどと数を数えるものはいないだろう。だが当時は、まだコンピューターが目に見える時代だった。その最中に、松本幸介はコンピューター産業には目を向けずに、空を見上げていたのである。


 人間が飛ぶということについて当時から幾つかの論評がある。その中で松本幸介は恐らく人類の生活の歴史を五百年は早めたと言われている。

 松本幸介の友人の一人であるノンフィクション作家の早田薫も桜井誠の伝記小説「空の女神と洞窟の巨人~松本幸介の生涯」の後書きでこう述べている。

「遅かれ早かれ人間は日常的に飛ぶことを考えただろう。地上、または地下で暮らすよりも、飛ぶ方がずっと魅力的であるからだ。飛ぶことを、人間は太古の時代から望んできた。神は地上を歩いて暮らせと人間に命じたが、人間は鳥のように飛ぶことを夢見ながら生きてきたのだ。飛び袋(トビー)が人々に短期間で受け入れられたことで、そのことを改めて確認できた気がする。飛ぶという行為は、もはや人間の夢ではなくなった。松本幸介の偉大さはコンピューターに浮れている連中を尻目に、それを二十一世紀の初頭に成し遂げたことだ」


 しかし、松本幸介自身はフライング社が創業十年を迎えたあたりから、

「あと五十年くらい遅く生れたかったです」と口癖のように言うようになった。

 松本幸介はネオビジネスエイジとも言える若い経営者たちを頼もしく感じるとともに、その若さを羨ましくも思っていた。二十一世紀の入口に立ったとき、松本幸介は既に人生の半分を費やしていた。各種の専門誌はフライング社をネオビジネスのリーダー企業と書き立てていたが、松本幸介自身はオールドエイジであり、コンピューターのキーすら満足に叩けない世代だった。

 松本幸介は二十世紀から二十一世紀への掛け橋のような存在だったが、ネオビジネスの世代は掛け橋を渡らずとも最初からそこにいたのだ。しかも、ネオビジネスエイジの彼らは若いというだけではなかった。新しいのだ。単に若いというのであれば、老いたものにも勝つチャンスはあるだろう。しかし新しさには、絶対に勝てない。どう頑張っても、勝てないのだ。その新しさに才能が加われば、もうお手上げである。経験や序列は紙屑同然になり、経験や序列を重んじようとしていた松本幸介は、自分自身にある種の限界を感じるようになってきた。


 辛口評論家の和竹淳一郎は、その新しい人間達をロボットと呼んだ。

「人間の形をしたロボットが二十一世紀には登場するだろうと前々から言われていたが、そのロボットとは彼らのような人間たちのことであったのだ。彼らの頭には脳はなく、そこにはコンピューターが組み込まれている。彼らはそのコンピューターで考える。コンピューターで考えるから正確で合理的である。彼らが過去の慣習に囚われないのも、コンピューターの頭で考えているからだ。しかし、コンピューターはいざというとき、いつも故障する。そのとき、だれが彼らの頭を修理してあげられるのだろうか。古い人間には到底無理である。ネオビジネス時代到来と大新聞も派手に書き立てているが、ネオビジネス時代というのは修理屋がいない、実に情けない時代なのである」


 その代表格がオートミ社の大富、ハムレット社の宮下だった。ビジネス専門誌「月間グレイト」のネオビジネス特集「飛ぶ会社・溺れる会社」の中で、松本幸介が二人の人物像について語っているくだりがある。

「私はネオビジネス時代の寵児と言われている二人の人物に会ったことがあります。オートミ社の大富君とハムレット社の宮下君です。大富君は学者タイプで、論理的に語る人物です。オフィスという器を持たず、全社員を自宅で働かせ、家を起点にしてそこから取引先や出張にも行かせています。形態としてはそれ以前にもあったもので別に新しくはありませんが、ホームオートメーション会社の佐山君たちと協力してインターブレインハウスの普及に取り組んでいます。彼の思想はただ一つです。それは日本からオフィス街をなくすということです。日本のような狭い国土にはオフィス街はいらない、敷地の無駄であると、私は彼の持論をたっぷりと聞かされたことがあります。そのとき、彼はビジネスというちっぽけなスケールで自分の行動や考えをはかられるのは心外である。自分はネオビジネスのリーダーではない、ネオジャパンのリーダーなんだと言っていました。次に宮下君ですが、宮下君は何と言ったらいいのか、私がこれまで出会ったビジネス界の人間とは全く別の人間でした。地球の外、または未来からやって来た青年のようでした。天衣無縫で型にはまらない人間というのは彼のことを言うのでしょう。服装にしても行動にしても総べてが奇抜でありながら、会うものを引きつける魅力があります。ハムレット社の社長であるのですが、宮下君は自分の会社には社長という役職も、組織も、何もないと言っていました。宮下君自身を含め、新社員に至るまで総べてを番号制にし、番号の順に給与を決めているそうです。ちなみに、宮下君からもらった名刺には、名前の前に大きく1と書いてありました」


 松本幸介に自分にはない若さへの嫉妬心、新しさへの敗北感を植えつけたのは、成長するにつれ、ますます光を放つようになった木村健一の存在が大きい。

 松本幸介は後を任せられる後継者が育つまで社長として頑張るつもりだった。しかし、彼の一個人の信念は時代の激流にかろうじて突っ立っている朽ちた杭のようなものだった。それは必ず倒れ、流れに呑み込まれる運命にあった。松本幸介は自分のような古い人間が社長として踏ん反り返っていたのではフライング社のこの先の飛躍は望めないだろうと思った。松本幸介はフライング社を真のネオビジネスにするために、退陣を決断した。

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