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「そう、あれはまさに女神でした。髪は黄色く輝き、ドレスは高級金魚の鰭のように優雅なシースルーで、空を泳ぐように、いやこの私を空へ誘うように、飛んでいたのです」
松本幸介は経済誌の記者やカメラマンの前で事あるごとに語った。
平凡に生きるものには見えないだろうが、時代を切り拓く選ばれたものの前には神は現れる。空の女神に会わなければ、松本幸介はフライング社を設立しなかっただろう。木村の偉大な発明品も生まれなかっただろうし、飛ぶという素晴らしい日常も架空のものになっていただろう。
だが、当時は松本幸介の発言を真に受けるジャーナリストは一人もいなかった。
「それはあなたの妄想ではないのですか」
ある会見の席で、記者の一人が腹立たしそうに言った。
「妄想と言いますと」
「よく言えば、空想でも結構です」
「私は空想家ではありません。空想家なら商売は成功しなかったでしょう」
「じゃあ、松本社長、あなたの真意は何ですか。空の女神の話もそうですが、なぜ、ハイジャックに遭い、飛行機が墜落しそうになったなどと、可笑しな話を吹いて回るのですか。操縦機能が奪われたなんて、まったく馬鹿げている」
「馬鹿げたことではありません。本当の話なのですから」
「社長、もっとはっきり言いましょうか。あの飛行機の乗客乗員の中でハイジャッカーを見たと言ってるものは、社長の他には誰もいないのです」
「誰も?」
「そうです、誰もです。二十一世紀の最初の日と言っても、いつも通りの元旦で、変わったことは何一つ起きなかったのです」
「でも、私は見たのです。本当に見たのです。ハイジャッカーの一人はこう叫んでいました。月へ、月へ行けと」
このとき、松本幸介が北海道に渡っていたのは、ビッグライフ社百二十五店舗目の苫小牧店の出店計画の打ち合わせのためだった。十二月二十九日に社用はすみ、新店舗関係のスタッフの一団はその日に帰京したが、二〇〇一年一月一日、飛行機に乗るために松本幸介は札幌のグランドホテルに泊まっている。
松本幸介に同行していたのは秘書の河島孝三だった。群馬の桐生高校時代に野球部のエースとして活躍していた身長百九十センチメートルのこの男は、松本幸介の生涯の秘書で、後に松本幸介がビッグライフ社から退く時も行動を共にしている。二〇三八年九月三日、心筋梗塞で松本幸介が死んだ日も、赤井川の別荘にいて臨終を看取っている。
河島は松本幸介のハイジャッカー発言について肯定も否定もせずひたすら沈黙を通していたが、松本幸介の七回忌にあたる偲ぶ会で、二〇〇一年の昔を懐かしそうに振り返り、
「あの時、社長は洞窟に籠っていました」と答えている。
洞窟に籠るというのは、両瞼を閉じ、頭で考えごとをすることで、松本幸介がそういう状態のときは誰も声を掛けてはいけないことになっている。そのとき、松本幸介が洞窟で何を考えていたのか、いまとなっては知るよしもない。
松本幸介の生涯を取材している伝記作家の桜井誠によると、これは松本幸介の「人生のクーデター」と述べている。松本幸介が前々から計画的にビッグライフ社から抜け出そうと考えていたのか、とっさに可笑しな発言を振り撒き、出ざるをえない状況に自らを追い込んでいったのか、その真意は松本幸介本人によって語られることはなかったので定かではない。だが、一聯の奇怪な発言によって、時代は前へ前へと動き始めたことは確かだった。
二〇〇一年の春、松本幸介はこんなことも言っている。
「空の女神は私にニュービジネスのインスピレーションを与えてくれました。私はこれからビジネスの領域を空へ向かって広げていこうと思います」
「気球でも売るのですか」記者が嘲笑気味に質問した。
「そうじゃありません。日常生活の中で、人が気軽に空を飛べるような時代をつくりたいと、私は考えているのです」と真顔で言って、松本幸介は熱弁を振った。「この二十一世紀の始まりに、暮らしの中で足りないものは何だろう、私はずっと考えてきました。本屋へ行って、二十一世紀コーナーに並んでいる本をひょいと捲れば、その答えは幾らでも出てくるでしょう。しかし、私は本というのが苦手な人間で、特に予測書、予言書の類になると読んだ瞬間からそれを書いた人間のレールに乗っかるような気持ちになり、とても読む気にはなれないのです。それで自分の頭で一生懸命に考えてきたわけですが、考えれば考えるほど、空想科学生活の領域へ入り込んでしまいます。しかし、それはタイムマシン、人間の心を持ったロボット、空飛ぶ自動車、瞬間移動機のような大がかりなものではありません。車、テレビ、ビデオカメラ、ファミコン、パソコン、携帯電話、ワープロ、ファックスにあたる、もっとオーソドックスな生活用品のはずです。未来の当たり前になるもので、今足りないもの。その一つとして、私は空を飛ぶ道具というものをイメージしたのです。地上を見なさい、地上は人で溢れています。百億を超すのも、そう遠くありません。このまま何の策も持たずに人が増え続けていけば、人は地下に潜って暮らすしかないでしょう。しかし、飛ぶことができたなら、モグラのように暮らす必要はないのです。空は無限です。空は可能性を秘めています。空は自然に満ちています。空は遠くの星へ通じる、実にロマンチックな世界です。この二十一世紀から、空を起点に、人間の新しい生活が始まるのです」
「具体的には」
「具体的なものは、今現在何もありません」
「日航や全日空などと協力して、そのぉ、人が空を飛ぶという事業を始めるのでしょうか」
「とんでもない。むしろ私のプランは航空会社に大打撃を与えるでしょう。飛行機を使わなくても、海や山を越えることができるようになるのですから」
「普段の生活の中で人が空を飛ぶというのは、可能でしょうか」別の記者が聞いた。
「可能か可能でないか、そんな物差はこの二十一世紀には必要ありません。可能にする、実現する、そのための行動が必要なんです」と松本幸介は語気を強めて言った。「私は航空学の知識はないし、どうして飛行機が飛ぶことができるのかも分りません。調べようとも思わないし、調べたところで分からないでしょう。ただ、私の目の前に現実があればいいのです。私は人が空を飛ぶということの実用化に協力を惜しまないでしょう。私は今の事業から手を引き、全財産を注ぎ込んで、この人が飛ぶということを日常的なことにしたいと思います」
「手を引くといいますと」
「王の座から降り、国を離れ、旅に出るということです」
この日の松本幸介のコメントは、翌日のスポーツ新聞一紙の社会欄に小さく載っただけだった。
大新聞は取り扱わず、その翌週発売のいくつかの週刊誌にも載るには載ったが、それは徹底的な松本幸介批判の記事としてである。週刊誌は先の空の女神目撃談及びハイジャック遭遇会見のときから、松本の発言や行動を経営者にあるまじき言動として非難するキャンペーンを展開していた。
しかしながら、後々の松本幸介の行動と成功を思えば、このときの発言は極めて重大な、かつ歴史的な決意の表明だったのである。記者たちは松本幸介という男を見誤っていた。
実際に、松本は記者会見の言葉通りに行動した。心に夢や理想を掲げ、現実の困難を打開していく姿勢は、ビッグライフ社を全国区の企業へと成長させたが、ビッグライフ社を退くときにも同じように発揮されたのである。
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