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松本幸介は一九五四年七月一〇日に生まれた。
二十世紀の松本幸介は東京の目黒に本部がある「ビッグライフ社」の経営者として知られていた。彼がテレビで鉄腕アトムを見ていた当時、父親の儀助が商店街の片隅で地道に営んでいた金物屋を、西暦二〇〇〇年の暮れまでに、全国百二十三店舗のネットワークを誇る企業帝国にした。
この企業帝国を建国する際、「挑戦」「奇抜」「異端児」といった言葉が絶えず松本について回ったが、会社が店舗網を広げてゆくことは必ずしも彼の望んでいることではなかった。それは会社の、組織の夢ではあったが、松本個人の夢ではなかった。重役たちは北海道、沖縄の基盤を固め、全国を制覇した後、アジアへの横の広がりを目指していたが、松本幸介は常に未来への縦の広がりを考えていた。
松本幸介の当時の事業は余りにも現実的で、余りにも日常に密着していた。数日先の未来よりも、今日の空模様の心配を優先させるような商売だった。暮らしの最前線で生活を快適にする仕事、それ自体の否定は松本自身にもなかったが、売っているものは軍手やスコップやホースや花の種や培養土やネジやペンキやガムテープやタワシや割り箸やシャンプーや歯ブラシやティシュペーパーや蛍光管や鍋や収納ボックスの類だった。
松本幸介が望んでいたのはジェットコースター的なわくわくするような日常生活の到来であり、それをもたらす商品の登場だった。「百円玉を入れて動く古めかしい乗り物にぼんやりと跨がっているような感じ」の毎日から抜け出したいと、松本幸介は常に考えていた。
一方、フライング社は「日常生活における人間の飛行を補助する製品」を生産・販売している企業だ。スカイスーツ、スカイシューズ、スカイバイク、スカイカメラ、スカイ遊具、スカイスポーツ道具などのスカイシリーズを中心とする「スポーツとレジャー」関連の品をはじめ、育児用品(トビーベビーシリーズ)、生活用品(照明器具、ベッドなどのインテリア・トビーシリーズ、瞑想マット、「ゴロ浮き」などのリラックス・トビーシリーズ)、介護用品(空中ベッド、起立補助機能付き飛び座椅子などのトビーシルバーシリーズ)、ライフジャケット各種(超高層ビル建築現場の工事者用、航空機搭乗者用、登山者用他)、遊園地の各種遊戯施設など、多様な分野に渡っている。
松本幸介がこの会社の社長の座に就いていたのは十七年。二十世紀に家庭電器や自動車産業の祖となった者たちとは違い、会社を興してからはある一つのプライベートなスキャンダルを除いて、苦労話や伝説になるようなエピソードは特にない。彼はただ人が求めるものを生産する企業をつくっただけだ。それだけで、彼は二十一世紀の多くのビジネスマンの心を捉えている。それほど彼が形にしたものは大きかった。
「確かに飛ぶという行為は、人間の夢だったかもしれない。それも到底現実にはなりそうもない、実に馬鹿げた夢です。その馬鹿げた夢のために、あなたはそれまでの人生で築き上げてきたものを総べて放り投げ、莫大な財産を注ぎ込んだ。結果的には、松本さん、あなたは成功者になりましたが、それは奇跡です。普通ならあなたは今頃単なる頭の可笑しなおじいちゃんで終わっているかもしれない。ここでお訊きしたいのは、人が飛ぶという馬鹿げた夢のために、あなたはどうして人生を、好きな言葉じゃないけど、そのぉ、人生を賭ける、という馬鹿な真似をしたのですか」
インタビューチャンネル(ICH)のニュースキャスター、ダン・久保田の質問に、松本幸介は飾りのないありふれた言葉でこう答えている。
「それは、私以外に誰も成し遂げようとするものがいなかったからです」
しかし、松本幸介がそれを成し遂げるには、蝶の蛹が蝉になるよりも難しかった。
一つは、ビッグライフ社を抱えていたこと。もう一つは二十世紀が今日のように生活者に有利な時代ではなかったことが挙げられる。
二十一世紀が生活者の時代であるなら、二十世紀、特に第二次世界大戦以降の日本は企業と行政と政治家の時代だった。経済界のトップの組織も、労働者の組織も、およそ組織と名のつくものは何らかの形で政治の世界と結びつき、それが生活者個人の夢や、力や、声の台頭を抑えていた。当時はまだテスター制度(「生活者による商品製造及び販売・価格に関する審査制度」)もなく、企業は生活者が好むと好まざるとに関わらずモノを大量生産、大量販売し、生活者は大量消費を余儀なくされていたのである。
消費者団体PVの登場まで、生活者の権利や意見は政治、行政、企業によってことごとく潰されていた。今なら、生活者が望めば、例え極少数のニーズでも、企業はそれをつくり、提供しようとするだろう。だが、当時はまだ生活者の視点、お客様本位という発想は見せかけに過ぎず、企業はあくまで自らが売りたいものしかつくらず、また店に並べようとしなかったのである。松本幸介が率いるビッグライフ社も例外ではなかった。
生活者時代の象徴とも言えるPVが登場したのは二〇〇五年前後の頃である。情報のネットワークを駆使し、食料品、生活用品、玩具、薬などの単品一つ一つについて日本で一番安い価格で取り扱う店を探して、購入・宅送するシステムで、瞬く間に全国に会員を増やした。それは生活者の味方に立ち、大手の流通業に挑戦するという点において、それまでのインターネットやケーブルテレビを利用したホームショッピングとは一線を引くものだった。
いまでこそPVは台所の自動調理機あるいは冷蔵庫の在庫管理システムに組み込まれ、どこの家庭でも意識する必要もないほど常識になっているが、当初は大規模な小売店、量販店と敵対するゲリラ的な生活者団体に過ぎなかった。自ら名乗っていた名称も現在の「People Victory」(人々の勝利)ではなく、「Price Vacteria」(価格を破壊する病原菌)で、紙のチラシを派手にばら撒いていた全国のスーパーマーケット、ドラッグストア、ディスカウントショップ、更に多くの名ばかりの安売り店に大打撃を与えた。企業側は手を拱いていられず、政治や行政を動かしてPVを潰しにかかろうとしたが、もはや企業側が勝利する時代ではなくなろうとしていた。
そのことに早くから気がつき、このPVを初めて前向きに受け入れた経営者が、フライング社の松本幸介だった。PVによりフライング社は飛躍的に業績を伸ばし、その一方でビッグライフ社をはじめ、新聞の折り込みチラシに商売の命運を賭けていた二十世紀生れの多くの企業は次々と消えていったのである。
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