鉄腕アトムと空の女神

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 二十一世紀前半の日本でもっとも尊敬する経営者は誰か?


 ランキングチャンネル(RCH)が全国のビジネスマンにアンケート調査を行ったところ、オートミ社(在宅情報サービス)の大富、ハムレット社(マルチ・アミューズメント)の宮下、ヒューマンシステム社(ホームオートメーション)の佐山、PV(低価商品宅送)の浅沼、フライング社(生活飛行品)の松本が上位に名前を連ねた。


 PVの浅沼を除く四人は二〇一〇年前後から二〇二〇年にかけての日本の変革期に、二十一世紀型のネオビジネスの旗手として登場し、今日のそれぞれの企業帝国の礎を築いたものたちである。彼らに関する人物像は一般の著書や経済チャンネル(ECH)、新聞など、様々な媒体を通して語られているが、松本幸介ほどロマンチックに語られる人物はいないだろう。


 松本幸介は二〇〇三年にホームアメニティーセンターのメガショップ「ビッグライフ社」を去り、二〇〇七年にネオビジネス時代の到来を告げる「フライング社」を設立し、二〇三八年九月三日に北海道の赤井川の別荘で八十四年の生涯を終えた。


 一か月後の十月に、北海道と東京の空でフライング社の社空葬が行われた。黒のスカイスーツに身を包んだ百名あまりの参列者が悲しみの雨雲のように低い空を漂い、涙と遺灰と菊の花びらを松本ゆかりの地に落とした。


 そのひとつに札幌のモエレ沼公園がある。そこは松本幸介と「飛び袋(トビー)」の発明者、木村春彦が初めて出会った場所である。それは男と男の単なる出会いではなく、人類の生活をがらりと変える大きな出会いになった。

 その時の出会いについて、松本はのちに、

「鉄腕アトムを初めて見た時のようなショック」と述べている。


 鉄腕アトムは二十一世紀の市民社会の中で人間と機械文明のはざまで揺れ動く十万馬力の少年ロボットの活躍を描いたヒューマニズムにあふれる作品で、アトムは二十世紀後半の子供たちのヒーローだった。


 松本幸介はこの鉄腕アトムのアニメーションによって空飛ぶロボットがいる未来社会に強く心を引かれていく。そしてまだずっと遠い未来にある二十一世紀の訪れを楽しみに待ち望むようになった。


 二十一世紀は、松本幸介と同時代を生きた日本の子供たちにとって、紛れもない未来だった。当時の子供たちが描いた「未来」または「二十一世紀の我が街」をテーマにした絵を見ると、街は巨大なドームに覆われ、ビルは月まで届きそうな超高層で、車は空を飛び、ロボットは人間社会の一員で、ロケットは家族を乗せて土星旅行へと出発する。恐らく二十一世紀の子供たちに二十二世紀をテーマにして絵を描かせても、二十世紀の子供たちのように未来をこれほど豊かには想像できないだろう。それは、未来が余りにも身近にあるせいかもしれない。


 松本幸介が幼かった頃の二十世紀の子供たちには、未来は遠かった。だから、未来を描くには、鉄腕アトムのようなテレビアニメーションや想像という力に頼るしかなかった。

 松本幸介は、月刊「スカイライフ」のインタビューで子供時代を懐かしそうに語り、当時の未来への思い入れをこう述べている。


「最初はアトムのような空飛ぶロボットを早くこの目で見てみたいと思う程度だったのですが、そのうちロボットと一緒に空を飛びたいと思い始め、しまいにはロボットの部分がなくなりまして、自分一人で空を飛ぶようなことを考えるようになったのです。それからというもの、もう飛びたい、飛びたいと、頭の中はそればっかりで。毎日そんなことを頭で念じていると、次第に夢ではなくなりまして、二十一世紀になったら当然飛べるだろう、に考えが変っていったのです。なんせ二十一世紀なのですから。二十一世紀は、当時の子供にとって、単に時間の延長上にある未来ではなかったのです。二十一世紀は、どんな空想でも夢でもひょいと現実に変えてくれる魔法のような別世界だったのです。ですから、二十一世紀の始まりと同時に、自分は間違いなく雲の上にいるだろうと考えても、決して学校の友達に笑われるような馬鹿な考えではなかったのです」


 その通り、松本幸介は二〇〇一年の一月一日、雲の上にいた。


 だが、現実の二十一世紀は、松本幸介が少年時代に描いていた空想の世界までは辿り着いていなかった。十万馬力の少年ロボットは生まれそうもないし、空を飛び回る自動車もない。むろん自力では飛べず、雲の上まで連れていってくれる乗り物は、仰々しい翼を広げた飛行機しかなかった。


 二〇二五年に出版された松本幸介の唯一の著書「回顧~二十一世紀のマントを求めて」の冒頭の文面を読むと当時の彼の心境が伺われる。


「私は二十一世紀の訪れを子供の頃から楽しみにしていました。そこにはタイムマシンでしかいけないような『未来の夢のような世界』が待ち受けているはずでした。しかし、期待を持って迎えた二十一世紀は、私の子供時代となんら変わりはありませんでした。むしろアポロが月に到着した一九六〇年代に比べると、時代は恐ろしく後退しているようにさえ思いました。ニール・アームストロング船長とエドウイン・オルドリン大佐が月に第一歩を印して以降、木村の発明品に出会うまでの凡そ三十五年間、私の心を踊らせたのは皆無と言ってもいいでしょう。その間、人類は一体、何をしていたのでしょう。民族、宗教、思想というテレビがなかった時代の過去の産物に縛られ、まだ対立を繰り返していました。なぜその対立のエネルギーやそれに掛かる資金を人類の夢や進歩や平和のために使おうとしないのか、私は不思議でなりませんでした。国内においても外交から政治、経済に至るまで『戦後という過去』をだらだらと引き摺り、サイドブレーキを掛けっぱなしにして走る車のように、我が国の未来への前進を遅らせていました。かつての空想科学の漫画の世界よりもコンピューターは小型化し、凄まじい勢いで、我々の日常の暮らしの中に入り込んでいました。しかし、人類はまだ地球の回りでうろうろしていたし、地球圏の軌道上で数日間を過ごしただけで、人々は彼らを、彼らがまるで銀河系の彼方まで行って来たかのように『宇宙飛行士』と呼んで迎え入れていました。家には家政婦がわりのロボットはいなく、壁に貼りついたテレビ電話もなく、人々はテレビ番組や時刻表という俗悪な時間に縛られ、父親たちは昔と同じように満員列車で会社へ通い、子供たちは昔と同じように学校で黒板を見つめていました・・・」


 その著書の別のページで、松本幸介はこうも述べている。

「私はシートベルトが嫌いです。特に飛行機のシートベルトがいただけません。あのカチャという音を聞くたびに、時計の針が古い時代へ逆回転していくように思えます。二〇〇一年一月一日、私は二十一世紀の訪れとともに、そのカチャを聞いたのです」

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