第15話 辞めたい。
僕が今までになかった感情に気づいた翌朝、大学へと向かう電車から降りて駅のホームを歩いていると一人の女の子と目があった。
「おはよう」
「あ、うん。おはよう」
まさか話しかけられるとは思っていなかったので僕は慌てて返事をする。僕の返事を聞くとさほちゃんが僕の隣にやってきて僕の隣を歩く。
「なんか、昨日のあれ、結構大事になってるね…」
さほちゃんが引きつった笑みを浮かべながら言う。昨日、家に帰ってすぐに合奏研のグループに団長のあーちゃん先輩が長々と文を書いていたのだ。別にそこまでしなくてもいいのでは?と思うくらいだった。
「まあ、あれで新入生が辞めたりしたら困るからじゃないかな…」
「そうだよね…」
急にさほちゃんの歩くペースが遅くなった。僕がどうしたものかと振り返るとさほちゃんは涙目になっていた。幸いすでに駅のホームからは人がいなくなっていて誰にも見られていない。
「えっ、ちょ、どうしたの?」
「あ、ごめんなさい。………私、合奏研辞めようと思ってて………」
昨日、さほちゃんも召田先生に結構なことを言われていた。経験者としての誇りやプライドを砕かれたのだろうか…いや、おそらくそれは違う。きっと…もっと根本的な問題だろう。
「パーカッション、嫌なの?」
「嫌じゃないよ。パーカッションは楽しいし…だけど、フルートがやりたかったの…」
「辞めるって言ったらフルートやらせてもらえるわけじゃないんだよ」
ちょっと酷いことを言っているかもしれない、でも、せっかく同じサークルに入った仲間が早々に辞めると言いだしたのが辛かった。辞めて欲しくなかった。
「そう、だよね…ごめんなさい」
さほちゃんは僕に謝りながら涙を拭き取る。こうやって取り乱しちゃうくらいフルートをやりたかったんだな、って思うと辛かった。
「もしも、もしもだよ、りょうちゃんがチューバパートになれなかったらどうしてた?」
「………ごめん。想像できない…」
チューバパートになれないなんて考えたことがなかった。だって、チューバパートはそういった争いとは無関係だったから。
「私、悔しかった。まだ数回しかフルート吹いてないのに才能とか言われて…才能なんて努力して差を埋めればいいじゃない……私とりかちゃんの差は他の楽器をやったことがあるかないかだと思うの……」
さほちゃんは涙を堪えながら呟く。僕には何て言ってあげればいいのかわからなかった。下手なことを言ってさほちゃんを傷つけてしまうのが怖かったし僕が何を言っても結果は変わらない。
「………もう一回先生や団長、綾先輩、咲先輩に頼んでみる?たぶん及川さんなら話を聞いて他の先輩たちに話を繋いでくれると思うけど…」
「ありがとう。でも、もう先輩たちに迷惑かけるわけにはいかないと思うし大丈夫だよ」
先輩たちに迷惑をかける。か……そう聞いて僕は不思議な感情を抱いた。さほちゃんがフルートを吹きたいという熱意を先輩にぶつける。それは先輩にとって迷惑なのか、という疑問が浮かんでしまった。
おそらくこの疑問に適切な答えはない。人それぞれの解釈や考え方の問題なのだろう。ならばさほちゃんが思っている通りにさせてあげたほうがいい。僕はこの件に関しては何もしないようにしようと決めた。さほちゃんに何か頼まれたりしない限りは……
その後、僕は授業を受けてから帰路に着いた。帰り道の坂を下り駅の改札を通って駅のホームへ向かう。授業が終わってすぐだったため結構人がいた。その人混みの中にゆめみん先輩を見つけた。
………軽く挨拶した方がいいのかな?ベンチに座ってスマホを見つめている先輩に声をかけるのも変かな……話しかけたい。これが自分の本心だろう。だが、好きということを意識すると緊張してとてもじゃないが話しかけることはできなかった。
そのまま電車が来るまで時間は過ぎていき電車に乗ってから僕はドアのすぐ近くに立ちゆめみん先輩は反対側のドアの側に立っている。気づいていてもおかしくはない距離だ。気づいて話しかけてきて欲しかった。でも、そうはならなかった。
ゆめみん先輩の最寄駅に電車が止まる少し前、ゆめみん先輩は電車から降りるために僕の方にやって来た。
「あ、りょうちゃんお疲れ様。同じ電車だったんだね」
「あ、お疲れ様です。やっぱり気づいてなかったんですね」
「ごめんね。ていうか気づいてたなら話しかけてくれてよかったんだよ。あ、ごめんねもう着いちゃった。また月曜日に会おうね」
ゆめみん先輩は僕にそう言いながら慌てて電車から降りていった。僕は「月曜日よろしくお願いします」と言いながらゆめみん先輩を見送った。
その後、僕が電車の中でスマホをいじっているとゆめみん先輩から連絡が来た。
『突然ごめんね。月曜日一限の時間って言ってたけどホールが九時半からしか使えないからその時間でいいかな?』
『わかりました。九時半からよろしくお願いします!』
と、返信をしておいた。その後、どうでもいいようなやり取りをしていたがとても楽しかった。
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