第21話 出発

「ねえ、啓太具合わるいの?」

 

 納豆をかき混ぜる手を止めた母は、そう言って啓太の顔をのぞき込んだ。眉をハの字にして、怪訝そうな表情を浮かべている。

 それでも、啓太は何もこたえず、食卓のただ一点を見つめながら静止していた。


「啓太!」


 母は身を乗り出して、大声を出した。驚いた啓太は、手に持っていた茶碗を落としそうになる。


「な、なんでもないよ」


 辛うじて茶碗をセーブした啓太は、母にほほ笑んで見せた。


「そう?ならいいけど・・・・・・」


 母は依然として釈然としない顔つきで、啓太を見つめた。


「うん。ちょっと、数学でわかんない問題があってさ」


 啓太は、そうこぼすと、手元の白米に視線を落とした。昨夜の陸の言葉が、脳裏によみがえる。


 ――俺だって、自分の内申点なんかより、牧野が心配だよ・・・・・・。


 プルルルルル


 電話の音に、啓太はまた意識を引き戻された。母がはいはい、と席を立つ。

 

「はいもしもし、宮島です」


 部屋のすみの電話をとった母のすこし高い声が、部屋中に響き渡る。啓太はその声を、白米をほそぼそと口に運びながら聞いていた。


「ああ」

「うん」

「え、陸くんが」


 「陸」というキーワードに、啓太は茶碗から顔を上げた。母も不安を表情に滲ませながら、こちらをちらりと見やった。

 ちょっと待ってくださいね、と母は電話相手に言うと、受話器のマイクを手で覆い、啓太の方に身体を向けた。


「啓太、陸くんどこに行ったか知らない?」

「え」


 母の質問に、啓太は言葉をのんだ。心当たりはある。けれど、行き先はわからない。

 啓太のあっけにとられた表情を見た母は、啓太に背を向け、ふたたび受話器を耳に当てた。


「ごめん、うちの子も知らないみたい」

「うん」

「そうね、大丈夫だとは思うけど、一応ね・・・・・・」

「なんかわかったら、連絡しますね」


 母はそう言って、そっと受話器を置いた。小さなため息が、口をついて出た。

 学校からの外出禁止令。子どもたちは、きっと守らないだろう。誘拐だと決まったわけでもないし、もしそうだとしても、犯人がまだここらにいるとも考えにくい。そう思っていても、いざ自分の子供が姿を消せば、不安になるのが親というものかもしれない。

 そんなことを考えながら、後ろを振り返ると、そこに啓太の姿はなかった。まだご飯が残っている茶碗の上に、啓太の箸が置かれている。


「ちょ、けいたー?」


 母が部屋を見回していると、玄関の方でドアの閉まる音が聞こえた。

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