第19話 森林の奥深く
朝。通学路を歩いていると、誰かに肩を叩かれた。振り返ると、そこには体格のいい警察官が、ふたり立っていた。俺は、彼らの顔を見上げた。ふたりとも帽子を深くかぶっていて、目は合わない。
「前田康太朗くんだね」
警官はいい、俺の腕をつかんだ。力を入れている様子はないが、かなりの握力だ。振り払おうと思っても、びくともしない。
気がつくと、俺は車内にいた。どういう経緯で、車内に連れてこられたのか、全く覚えていない。記憶がぷつんぷつんと切れていて、大事な部分はなにも頭に残っていないのだ。
「あの」
俺は後部座席から首を伸ばして、ドライバーに話しかけた。顔を確認しようと試みたが、どういうわけか、顔を見ることができない。顔を見ようとすると、どうしても俺は目をとじてしまう。
やがて俺はあきらめ、フロントガラスから見える景色に目をうつした。ついさっきまで街中を走っていたと思っていた車は、いつの間にか薄暗い林道をすすんでいた。梢から漏れでた光が、車内に差しこんできて、黒色のシートに複雑な模様をうつしだす。
「どこに、行くんですか」
俺は、なんの抑揚もつけずにそう訊いた。
「牧野くんの家よ」
こたえたのは、ドライバーではなく、助手席に座っていた母だった。顔は相変わらず確認できないが、声だけで母だとわかった。
「そっか」
そうだ、牧野の家か。俺はみょうに納得して、座席の隙間から顔をひっこめた。
「もう着くぞ」
すぐに、ドライバーである男性が言った。男性の声は、石崎先生のそれによく似ていた。
いつの間にか、車は停止していた。
「こうちゃん、牧野くんを呼んできて」
母の声をした女性はそう言って、フロントガラスの向こうに見える小さな小屋を指さした。古びた木造で、屋根からは蔓がいくつか垂れ下がっている。
「わかった」
俺はなんの疑問も覚えずに、後部座席のドアを開け放ち、小屋に近づいていった。見たことのない小屋だったが、この中に牧野がいるということに俺は納得していた。そして、その牧野を呼びださなければならないことにも。
「まきのー」
俺は言いながら、ノックもせずに、こけの生えた扉を開けた。
開けると、そこにはたくさんの机が並べられていた。机の脇には、体操着入れやら、習字セットやらが提げられている。部屋の壁片側はほとんど窓になっていて、窓からはあわい橙色の光がさしこんできている。教室だ。誰もいない、夕刻の教室。
「ねえ、牧野いないよ」
俺はそう言いながら、振り返った。しかし、そこに車の姿はない。俺は慌ててあたりを見回したが、いつの間にか、道路すら消え失せていた。山林の奥深く、高くそびえた木々たちが、枯れ葉のうえに立ちすくむ俺を見下ろしていた。
――もう帰れない。
俺は、その場にかがみ込んだ。牧野がいなかったから、俺は帰れないんだ。まきの、まきの。俺の嗚咽が、静かな空間に響いた。
耳元で、カラスが鳴いた。
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