第13話 牧野の苦悩

 昇降口に着いて、うわばきを脱ごうとしたときに、前田は自分がジャージ姿であることに気がついた。ジャージ下校は、原則禁止されている。一瞬手が止まったが、むしゃくしゃした前田は、そのまま外靴に履き替えて、周辺に教職員がいないことを確認すると、急いで校門から出ていった。

 校門から出ると、いっときは止んでいた涙が、再びあふれ出してきた。前田は袖で流れてくる涙を拭きながら、早足で家に向かったが、途中で家には母がいることを思い出した。


 部活動のある曜日にはやく帰ることでさえ怪しまれるのに、涙まで流していたら、必ず詮索される。


 前田は涙が落ちつくまで、団地裏の公園で待つことにした。




 老人は前田の話を聞き終えると大きく嘆息し、腕を組んで空を仰いだ。陽はもうかなり傾いていて、西の空は黄金色に白んでいる。

 いつのまにか、二人は同じベンチに腰を下ろしていた。


「君は悪くない。君は正しいよ」


 老人は隣に座っている前田に視線を転じると、そう言ってほほ笑んだ。


 そんなことはわかっている。こっちは被害者だ。


 前田は胸中でつぶやいた。いつの間にか止まっていた涙の残党を、ジャージの袖で拭いとる。


「でも、牧野くんも被害者なんだな。もちろん、君とは違う意味で」


 被害者、という同じ言葉をつかった老人を、前田は見返した。

 声に出てしまっていたのか。いや、そんなはずは。

 驚いた前田の表情をみて、老人は続けた。


「サッカー部での彼の処遇は、たしかにそれほどいいものではない。理不尽な仕事のおしつけや、いたずらは日常茶飯事だ。けれど、彼はそれを楽しんでいる。私もそう思っていた。けれど、彼のその発言からするに、彼も楽しいフリをしていたんだな」


 どういうことですか、前田は老人に目でそうたずねた。


「きっと、彼も最初は、イジられるのが嫌だったんじゃないかな。でも、いっかいいっかい本気で腹を立てていたら、キリがないし、友達にも敬遠される。だから、彼はどこかで周囲が決めた自分のキャラクターを受け入れ、それに甘んじる道を選んだんだ。きっと彼が君に放った言葉は、牧野くんが彼自身に言いきかせてきた言葉なんだと思う。無意識かもしれないけどね」

「そんなの、知りませんよ」


 牧野を擁護するような老人の口調に、前田はむっとした。

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