第12話 差別を許すな


 二時間のあいだ、前田は、眼前の暗い机の木目模様をじっと見つめながら、ずっと思考を巡らせていた。牧野の考えは間違っているという論を、頭の中でなんども組み立てた。


 ――あいつは、奴隷制。人種差別を許容するのか。


 最後にたどり着いたのは、この結論だった。勝手にキャラを決め、その人の有り様を定めることは、人種差別と本質的に同じであり、それは奴隷制に通じる。

 社会科の知識であったぶん、前田は自分の組みたてた理論に、つよい説得力を覚えた。何度も頭のなかでそれを唱え、牧野は最低なやつだと胸中で叫びつづけた。

 六時間目の授業が終わり、すぐに石崎が教室に入ってきた。きっと石崎は前田の様子には気がついていたが、気を遣ってか、特に何もふれなかった。


「じゃあ解散っ、さようなら」


 石崎がそう言って教室を出て行くと、前田の周りの人間も放課後の世界へとぞろぞろ動き出しはじめた。

 前田は人がいなくなってから教室を出ようと思い、そのまま机に突っ伏してじっとしていた。人はみるみるうちに減っていき、さきほどまでは人の気配で満ち満ちていた教室も、ぽかんとうつろな空間に変わっていくのが、耳だけでもわかる。


「ねえ、まえだ、泣いてんの」


 しばらくして、誰かが近づいてきたと思うと、牧野の声があたまのすぐ上に聞こえた。気配からして、近くにもう一人いる。大倉だろうか。


「ごめんて」


 牧野の少し冗談めかしたふうな物言いに、余計に腹がたつ。


 お前は奴隷制を――。


 立ち上がって言ってやろうと思ったが、きっと牧野には通じない。何言ってんだ、というまなざしを向けてくるだけだろう。それに、教室ではまだ数人の女子が残って喋っている。こちらに興味などをないだろうが、いきなり立ち上がって、奴隷制の熱弁などしたら、異常なやつだと思われるにちがいない。それはなんとなく憚られた。


「ねえ、まえだ」


 牧野の猫なで声は、あたまの上から、突っ伏しているあたまのすぐ前に移った。前の席に座って、話しかけてきている。


 ――こいつと話しても、無駄だ。


 やがて前田は憤然と立ち上がった。そのはずみで、椅子がガタンと音をたてる。

 前の席に座っていた牧野は、立ち上がった前田の顔を見上げた。


「ごめんって」


 言う牧野を無視して、前田は、机の脇にかけていたスクールバッグに、机の中の教科書類を放り込んだ。中に制服類も入っていて、なかなか窮屈だったが、前田はむりやり押し込んだ。


「ねえ、まえだ」


 牧野は声を大にしたが、前田は、チャックをしめたスクールバッグを肩にかけると、すばやくその場を去ろうとする。


「待ってよ」


 牧野が去ろうとする前田の袖をつかんだ。


「もういいって」


 前田はそうこぼし、牧野の手を振り払うと、足早に教室をあとにした。

 教室を出たあとは、だれも追ってこなかった。

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