第9話 謎のスクールカウンセラー

 見ると、そこにはふくよかな老人が立っていた。頭はふさふさの白髪で、口の上に白い髭をたくわえている。

 その老人は、上品な茶系のブラウンスーツに身を包み、端正に折りたたまれた白いハンカチを、前田に差し出していた。

 目尻には、何本ものしわが刻まれていて、にこやかな表情を浮かべている。公園のうす暗さの中で、そのおじいさんの表情から、暖かい光が広がっているように思えた。


 ――余計なお世話だ。

「いえ、大丈夫です」


 前田は、再び袖で目を隠すようにして、立ち上がった。声が震えていて、妙に早口な自分に気がつく。


「まあ待ちなさい」


 前田がその場を離れようとすると、老人は前田の左腕をぐっとつかんだ。その力に、前田は老人の前に引き戻される。


「君、三中の子だろう」

 前田が、老人の手を振り払おうとする前に、老人は言った。「君は知らないかもしれないけど、私は三中のスクールカウンセラーでね」


 老人の言葉を聞いて、前田は腕に込めていた力を抜いた。面識はないが、学校の先生に反抗するのは憚られたからだ。


「でも、大丈夫です」


 前田は言い直し、老人を突破しようとした。しかし、老人は前田の腕を放そうとはしない。

 短い沈黙を挟んで、老人がゆっくりと口を開いた。


「牧野くんか」


 老人の一言に、前田は、ぴくりと反応した。


「生徒たちを観察するのが私の仕事でね。彼に、何か言われたのかい」


 前田は口をつぐむ。


「もちろん、彼を叱ったりなんかしないよ。ただ、何があったのかおしえてくれないかい・・・・・・」



 昼休み。前田は、いつもクラスの男子で行われているドッジボールに参加していた。

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ると、校庭に散らばっていた生徒たちは、昇降口に向かって動き始めた。


「よっしゃあ」


 周囲の生徒が、校庭から去ろうとしている中、最後にボールを持っていた牧野は、近くにいた大倉おおくら大地だいちにボールをぶち当てると、歓声を上げた。

 始まった。B組男子の恒例行事である、ボールの当てあい。最後に当たった人が、ボールを教室に持ち帰らなければならない。

 牧野がボールを当てると、当てられた大倉を残して、他の生徒はきゃっきゃと声を上げながら、走り出した。この最後の遊びで、クラスメイトのテンションはいつも最高潮に達するのだ。

 前田もすかさず走り出したが、振り向くと、足の速い大倉は、既にボールを拾い上げ、前田の後ろに迫ってきていた。


 まずい――。


 足を速めようと思った途端、前から誰かに胴をがっしりつかまれた。牧野だ。


「おい、なんだよ」

「かわり身の術!」


 前田が抵抗すると、牧野はいたずらな笑みを浮かべながら、進もうとする前田をおしとどめた。


 ――まただ。


 振り返ると、既に追いついていた大倉は、にんまりと口角を上げながら、ボールを持った手を振り上げていた。


「いまだ!やれ!」

 バン!


 牧野が叫ぶと同時に、大倉は前田の左脚に、思い切りのいい一発をくらわせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る