第5話 謝るということ
☆
――知らなかった。
毎週水曜日、牧野は部活後にピアノ教室に通っていた。サッカー部の中では、周知の事実だったらしいが、部外者の啓太は知る由もなかった。いつもと反対側の道から帰って行ったのは、向こうの駅で親の車が待っていたからだ。
こみ上げてきた後悔の念に、啓太は薄暗い生徒会室の天井を仰いだ。
ところどころに茶色いシミが付いていて、一部がはがれかけている天井は、啓太の晴れない、すさんだ心を映し出しているようだった。
☆
帰り道、ピアノの件を知った啓太は、自分のとった軽はずみな行動を激しく後悔していた。
「どうしよう、電話して謝った方がいいかな」
啓太が深刻な表情で言うと、それを隣で聞いていた陸は、歩きながら飲んでいた水筒を吹き出した。
「大丈夫でしょ、そんぐらい」
陸は、全く気にしていないようだった。
人をからかうことに慣れている陸にとっては、相手がキレたことなんて、さして気にすることでもないのだろう。しかし、慣れない啓太にとっては一大事であり、自分の犯した罪の収拾をどうつけるべきか、途方に暮れていた。
家に帰って、啓太は電話をかけるべきか真剣に悩んだ。
悩んだ挙げ句、啓太は一度、学級内連絡網のプリントを片手に、受話器を取った。
――問題になる前に、謝ってしまった方が絶対にいい。
啓太はそう思い、牧野の家の電話番号を打ち込み始めた。
しかし、最後の下四桁のところで、番号を打ち込む指はふと止まった。
問題になるって、どんな問題だ?牧野はそもそもああいうキャラだし、今日はたまたま水曜日だっただけで、あんなイタズラは日常茶飯事なはずだ。牧野も、そこまで気にしてないんじゃないか――。
そう考えると、啓太は急に、謝るという行為が馬鹿馬鹿しいことに思えてきた。事を大袈裟に捉えているのは自分だけかもしれないと思うと、妙な恥ずかしささえ感じた。
「やっぱり、大丈夫か」
啓太はそうこぼし、番号を打ちかけていた受話器をそっと元に戻した。
☆
あのとき、電話をかけていれば、少しは状況が変わったかもしれない。
生徒会室の窓からは、校庭ではしゃぐ生徒たちの声が聞こえてくる。その声は、重く沈む啓太の心を、まるであざ笑っているかのように聞こえた。
「さすが、宮島くん、早いのね」
呆然としていた啓太の耳に、突然、優しい女性の声が飛び込んできた。
驚いて、生徒会室の出入り口に目をやると、そこには生徒会担当の
「みんなは、まだ来てないのね」
石橋は、しんとした生徒会室を見回した。それから、啓太を見てほほ笑んだ。
「生徒会の中でも特に優等生ね、宮島くんは」
「ありがとうございます」
石橋の無垢なほほ笑みに、啓太は、ぎこちない笑みを浮かべるしかなかった。
もし牧野の件で、自分の名前が挙がったら、石橋先生は、みんなは、一体どんな顔をするのだろうか。
どろどろとした不安と憂鬱が、啓太の胸にじんわりと広がった。
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