第7話 食事と師匠 ~暗飢明食~

「ええええええええええええっ」

 僕の声が森中に鳴り響いた。


「ちょっとルーク・・・声がでか過ぎだぞ・・・」

 師匠が耳を抑えながら、険しい顔で僕を見る。


(だって・・・えっ、ダンゼン・・・。せっかくいなくなったのに、あれっ、自分を磨く余裕があったはずなのに・・・えぇっ)

 僕は一生懸命考えた計画がその一言で簡単に吹き込んだことに動揺してしまった。


「ごっ、ごめんなさい、まさかのことでして・・・」

「まぁ、許してあげる。それで、今度はルークが話す番。なんだ、なんだ?あっ、もしかして・・・っ。ルーク、私よりも先に好きな人できちゃったか?恋の悩みなら、このソフィアにどーん、と任せなさい」


『はい、僕の悩みは恋の悩みです。ずーっと前から、貴女が好きで仕方がありません。この悩みを解決するには、そう。貴女が僕と結婚するしかありません』


(そう言ってしまえれば、どんなに楽なんだろう・・・)

 自分の胸を叩く師匠。その大きな胸は立派だが、恋愛経験は皆無だろうに・・・。


「いいえ、何でもありません」

「えー、絶対嘘っ。ぜーーったい、なんかあった顔してたじゃないの、ルーク。今年で10年の付き合いなんだから、師匠に隠し事はできないのよ~」


 ―――じゃあ、この精一杯無理した笑顔に気づいてよ。

 ―――じゃあ、僕のこんなにも師匠のことを大好きで、愛している気持ちを気づいてよ。

 ―――じゃあ、こんな風に・・・僕を傷つけないでくださいよ―――


「いやでーす。べーっだ」

「あっ、14歳にもなってあかんべーなんてして~。そんな悪い子にはお仕置きだ~」

「ひっひっひっ」

 僕は嘘くさい笑い声を出しながら逃げる。


 ―――そうです、14歳になったんです。今年で15歳。もう、貴女の恋愛対象になってもいい歳になったんです。

 

 追いかけてくる師匠から笑いながら逃げる僕。

 

(ずーっとずーっと、貴女を追っていた僕ですが、もう疲れてしまった僕を捕まえて、抱きしめてほしい)

 でも、僕は逃げる。

 森に入って、師匠を巻くつもりだ。


「ひっひっひ・・・ひっぐっ」

 だって、こんな子どもみたいな大泣きした顔を師匠に見られたくないもん。



 ◇◇



「あっ」

 夕食の僕の皿からメインディッシュの兎のお肉が取られてしまう。


「ふんっ」

「師匠~、もう許してくださいよ~」

 あれから、僕は湖で顔を洗い、目の腫れが引いたのを待って、気持ちを切り替えて、いつもの僕に戻って、師匠の元へ帰った。


 けれど、師匠はへそを曲げてしまって、僕が話しかけてもまともに返事をしてくれない。


 そして、怒ってますアピールばかりしてくる。


「食事は楽しく食べるものだって教えてくれたのは・・・師匠じゃないですか・・・」

「むっ・・・」

 僕の悲しそうな声に師匠も罪悪感を持ったような声を出す。

 

 僕は師匠と出会った頃のことを思い出す。

 

 ◇◇


 うろ覚えの記憶。


 5歳までの僕は、歳の離れた優秀な兄上や姉上と比べてできが悪く、何をやっても駄目で、二人の真似事をしたり、後をついて行っては、疎まれていた。

 

 そして、歳は離れていたものの、若くして才覚を表していた兄上と姉上は派閥を徐々に形成していた。僕はその二人にどちらの方が好きかと答えるように迫られた時に、どちらも二人も大切な兄姉であり、選べないと言った。


 すると、二人とも僕を見捨てた。

 どちらも、僕ごときが自分側に付かなかったことに大変お怒りになった。

 

 しばらくすると、僕の周りで優しかった人たちはどんどんいなくなり、兄上と姉上の命令なのかわからないが、残っていた衛兵や侍女達も僕に接するのによそよそしくなった。


 次第に王宮には僕に居場所はなく、居場所を作ろうにも無力な僕はどうしていいのかわからないし、与えられた勉強や訓練だってうまくはいかない。

 

 すぐに泣く、すぐに謝る僕に呆れる母上。

 全く僕と会話もしなかった父上。


 今思えば、幼かったのだから仕方ない。けれど、その当時はどこに居ても僕の居場所はなく、そんな自分が嫌いだった。


 ある日、よく覚えていないのだが、兄上か姉上に虐められた僕は王宮を抜け出し、夜の森へと逃げた。


 今思えば王宮を抜け出せたことも奇跡だし、危険とされる森に逃げたのも不思議な話だ。

 

 暗中模索。 

 

 どこに行ったらわからない。

 どこに向かったらいいのかわからない。


 でも、王宮にいるよりも、どこか安心感があった。

 自分の足で歩いている実感は僕の気持ちを高揚させた。

 

 ・・・と最初は思っていたけれど、すぐに疲れると、どんどん不安が増してきて、押しつぶされる気がした。

 帰ろうにも帰り方すらわからない僕。


 狼の遠吠えが怖かった。

 フクロウの目が怖かった。

 そして―――何かの気配が怖かった。

 

 どこに行っても、何もできない僕は、世界を拒もうと蹲った。

 視界を遮っても、僕の心を逆撫でするような風と野生の獣の声からは逃げられない。


「結局、何をやったって・・・僕は駄目なんだ・・・」

「ねぇ、どうしたの?」

 女の子の声がした。

 細く綺麗な声は、決して頼りがいがある声ではなかったけれど、地獄に降りてきた蜘蛛の糸のように、僕を救ってくれる気がした。


 僕は声の主の顔を見るため、ゆっくりと自分の顔を見上げると、金髪の少女がいた。

 のちに僕と師匠となる少女だ。


 今と変わらない美しい金髪と優しい瞳。

 胸は・・・まぁ、控えめだったけれどスレンダーでソフトな曲線は美しい。

 しかし、僕が一番驚いたのは師匠のそんな綺麗なところじゃない。


 ソフィアは血に染まっていて、剣からは血が滴っていた。

 

 怖かった。


「大丈夫だから」

 ソファアが伸ばした手が、怖かった。

 何かを傷つけた手が、本当に僕を救ってくれるのかわからなかった。


 けれど、そんな生々しい剣を持った人物ぐらいでなければ、周りは敵だらけに感じている今の僕を救い出すことなんてできないんじゃないかと僕は思い直した。


 僕は不安と期待を持ちながら恐る恐る、その冷たい手を取った。


「君の名前は?」

「ルーク」

 ソフィアは少し驚いた顔をして、笑顔になった。


「あなたの・・・名前は・・・?」

「ソフィアよ」

 名前を尋ねると、血まみれのソフィアは笑顔で答えてくれた。


「ソフィア・・・」

「そうよ、ソフィア。よろしくね。ルーク」

 ソフィアは僕の頭を優しく撫でてくれた。


 それから15歳のソフィアは、僕のことを心の底から心配してくれて、いっぱい遊んでくれたのを覚えている。


 そして、できない僕にゆっくりと教えてくれた。

 剣を、文字を、心を。

 

 僕はソフィアの手に救われた。

 自分にもできることを教えてもらえた。 

 僕は初めて、目標を持って前を歩けた気がした。

 

 しかし、全てが順風満帆には行かなかった。

 出会って間もなく、キラービーの異名を持つソフィアの父親が王族の誰かの暗殺を試みようとしたらしい。


 そして、それをある者に阻まれ殺された。本来であれば一族皆殺しになっても、その剣術の流派である柔剣を封印してもよかったのだろうが、父上はその死を持って、手打ちにした。誰も口にはしなかったが、かなり異例の判断だった。


 それから、ソフィアは柔剣の師匠になった。


 けれど、師匠に幸せが訪れることはなかった。

 師匠の父上の反逆罪の話や、師匠自身が人を殺すような必殺の剣を封印してしまったことにより、門下生がどんどん減っていき誰もいなくなった。


 僕に力があるかどうかわからないが、僕は父上に初めてお願いをした。

 深々と頭を下げた。

 ソフィアの元で柔剣を極めたいと。


 兄上や姉上、周りにいた人々も、母上までもが僕の意見に反対した。

 僕の頭の上をわからない難しい言葉が交錯していた。


 しかし、父上はその願いを許可した。

 15歳になるまで剣技を極めることを条件にソフィアの元に身を置かせてもらえることになった。


 父上の決断には誰も逆らうことを許されない。

 僕は偉大なる父上に初めて感謝した。

 そして、初めて自分が決断できたことを誇らしく思えた。 


 それから、15歳の少女と5歳の僕という奇妙な二人暮らしが始まった。

 僕が師匠の力になれるかなんてわからないし、もしかしたら、いや、もしかしなくても邪魔だと思ったけれど、王の権限を利用させてもらって、僕は師匠の傍らにいること選んだ。


 今までは王族として、師匠に剣技や学問などを学んでいたけれど、今度は弟子として、様々なことを学ぶようになったので、僕は師匠のお世話をするようになった。


 師匠の顔はなかなか晴れることはなかったが、僕はそれでも師匠の傍にいたいと思った。


 僕は失敗ばかりして、最初は愛想笑いをしていたけれど、師匠の父上が亡くなってから、全く笑わない師匠に、僕も次第に心が折れ、俯きがちになりつつあった。

 

「笑おう、ルーク」

「えっ」

 そんなある日の夕食、また料理を失敗して不味い料理を作ってしまって、やってしまったと反省して俯いていると、師匠がポツリと思いもよらぬことを呟いた。


 師匠は下品にも器を抱えて、口に放り込み、よく噛んで飲み込む。


「うまいぞっ、ルーク!!」

 師匠は笑った。口の周りを汚して。


「ふふふっ、師匠、下品ですよ・・・っ」

 僕も笑った。


「絶対、美味しくないですって、この料理。どちらかと言えば・・・まずいですもん」

「はははっ。確かに不味い。だけど、美味いぞ。この前よりも断然美味いっ」

「この前は・・・ちゃんと洗えてなくて土が入ってたからだもん・・・」

「どおりで、不味いわけだ。はははっ」

「はははっ」

 王宮ではありえない食事の作法。


 僕の料理も、料理と呼ぶのが失礼なくらい不味く、王宮で出されたとすれば、残飯を出されたと文句を言われても仕方ないくらいの代物。

 それでも、師匠は喜んで食べてくれた。


「よし、食事は楽しく食べよう。それが美味い」

「えーっ、下品ですよ」

「いやいや、これが我が家のルールだ」

「・・・」

「どうした、ルーク」

「いえ、何でもありません」

 僕は嬉しかったけれど、黙っていようとした。


「師弟関係に隠し事はなしだぞっ、ルーク」

 席を離れて、僕のところにきて、髪をくしゃくしゃにする師匠。


「やっ、やめてくださいよ、師匠」

「なら、吐けー、不味い飯と共にはけー」

「あ~、ひどい。一生懸命作ったのに、不味いなんて言うなんて」

「隠し事は無しだからな、私とお前には。こちょこちょこちょ・・・」

 師匠が今度は僕の脇腹のあたりをくすぐってくる。


「あはははははっ、やめて、やめてくださーい」

「じゃあ、言うんだ、言うんだルーク」

「わかりました、わかりましたって・・・っ」

 ようやく師匠が手を緩めてくれる。


「はぁ、はぁ、はぁ・・・・っ」

「さぁ、言うんだ、ルーク」

 僕は息を整える。


「師匠が・・・我が家って言ったのがなんか・・・嬉しかったんだ。そう意味じゃないかもしれないかもだけど・・・、なんか、師匠が僕を家族と思ってくれてるみたいだなって!・・・そう思ったら嬉しかったんだ。違うかもしれなかったら・・・その・・・黙っていようかと・・・はい・・・っ」

 僕がもじもじしていると、ぽかんとしながら、師匠は僕を見返した。

 僕は恥ずかしくなり顔が赤くなるのを感じる。


「じゃあ、私がルークのお姉さんだな。姉のように慕ってもよいぞ」

「姉というよりは・・・おかあ・・・」

 ギロッ。


「そうです・・・お姉ちゃんみたいです」

 僕の言葉に満足そうにする師匠。


「よしっ、今日は一緒にお風呂に入ろうか」

「本当・・・ですか、やった~」

 5歳だった僕は、人に受け入れて貰えることがあまりなく、王族たるものと教育を受けてきたので、そうやって甘やかして、受け入れてくれたのが嬉しかった。下品だったかもしれないけれど、無邪気に師匠の誘いを受け入れた。

 

 その日からだいたい5年くらい、10歳になるまで僕と師匠は一緒にお風呂に入って、一緒のベットで寝ていた。


 全幅の信頼を置いていた師匠の言葉を信じて、言われるがままに師匠のアドバイス通りに振る舞うことで、僕は柔剣を身体の成長と共にみるみる成長していった。師匠も僕ほどではなかったが、15歳からすくすくと女性的な豊満な身体へと成長していく。


 その結果、心が先なのか、身体が先なのかはわからないが、師匠を女性として捉えるようになった。お風呂で無邪気に触っていた師匠の胸も触るのに、いけない気がするようになって、自分の中に生まれたもやもやした気持ちを律しようとした。


 それまで家族愛だったのが、異性として見るようになり、お風呂に入るのも、一緒のベットに入るのも、気恥ずかしくなり、目を長く合わせるのも照れてしまうようになった。


 身体はどんどん立派になってくるのに、剣の扱い方と身体の成長にズレが生まれ始めて、せっかく完璧に覚えた剣技が上手くいかない日々が数年続いた。


 そして、ようやく落ち着いてきた矢先・・・ダンゼンが現れて・・・師匠が「お見合いする」なんて言ってきて・・・。


 まぁ、僕の方はそんな感じで、色々悩みも出てきたけれど、師匠はその食事から、父親の死を乗り越えて、僕と一緒に元気に暮らしてくれるようになった。


 師匠は強い人だ。自分の力で、その辛さを乗り越えた。でも、少しくらいは僕のおかげだと・・・嬉しいかな、と思っている。


 そんなわけで、僕らはその日から、食事での会話を大切にしてきた。

 それが、僕らの家のルールだから。

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