第12話 12日目
花というのは不思議なもので、ただその場にあるだけでぼくたちの心を少しずつ癒してくれる。その場にあるだけで心を癒してくれる存在なんて花以外に思い浮かばない。
ぼくは小説やゲームが好きだけど、眺めているだけで癒されるかと聞かれれば答えはノーだ。なんなら酷く疲れているときは視界に入れたいとすら思わない。なんというか、「やりたいのにできない現実」を突きつけられる気がするのだ。
それと比べて花はいい。視界に入れたくないときは、その場の風景として馴染ましてしまえばいいし、ちょっと興に乗った時は匂いでも嗅いでみればいい。
まあ、自分で育てたことのある花なんていうとアサガオとマリーゴールドくらいなんだけど。あとはホウセンカ? みんな育てたよね、小学校で。野菜系はノーカンだよ。
そんなことを思い、「ノーカン、ノーカン」と口ずさみながら部室の扉を開けると、岩崎くんは多重債務者を見るような目でぼくを訝しんだ。
「何持ってんだ?」
「ん、花だよ」
「そんなことを聞いてるんじゃない。なんでそんな初級英語の教科書みたいなやり取りに興じなきゃいけないんだ。イズディスアンアッポォ?」
「あれは飛行機だよ」
「……」
ぼくが抱えていたのは「アマリリス」が咲いた植木鉢だった。
「今日からこの花を部室で育てます」
「……もう咲いている花を育てるって言われてもなあ」
いちいちうるさいなあ。
アマリリスはヒガンバナ科の球根植物で、春から初夏にかけて開花する。花の色は様々だけれど、ぼくが今回譲ってもらったのは白ベースにピンクがかったオーソドックスなアマリリスだった。
この花は寒さに弱いものの室内で育てるのが簡単で、初心者にもおすすめの花らしい。
「そんなわけで友達が咲かせたんだけど、咲かせすぎちゃったみたいでお裾分けしてくれたんだ」
「シチューを作りすぎた女子大生か? もしくはカブトムシを繁殖させすぎた親父か?」
「後半のエピソード何!」
「しかしアマリリスか……アマリリスの花言葉って確か『誇り』とか『おしゃべり』だっけか」
ぼくは花言葉についてほとんど知識がなかったので曖昧に頷いた。
誇りとおしゃべり、同じ花の言葉とは思えないんだけど。
「なんだ、お前大学生にもなって花言葉も抑えてないのか」
「岩崎くんの大学生像おかしくない?」
「花言葉、星言葉、カクテル言葉くらいは抑えておけ。嗜みだぞ」
嗜むのは酒とたばこくらいにしてほしい。
「そもそも都市伝説に興味があるんだったら、こういうものにもセンサーを張っておけよ」
「ん?」
「花言葉の由来って知らないだろ? フランスの著書らしいんだが、そんなことは誰も知らないのに、なぜか花言葉っていう概念は広まっている。星もカクテルもそうさ。俺に言わせてみれば、これら全部、一種の都市伝説って言えると思うぜ」
岩崎くんの力説にぼくは少しだけ納得した。確かに、花言葉のはじまりをぼくは知らない。他にはほら、血液型診断とかもそう。ああいうなぜか広まっている概念はまるまる都市伝説と言っていいのかも。
帰ったら勉強しようかなあ、と思いながら、ぼくはひとつだけ知っている花言葉があったことを思い出した。
「ぼくだって、コスモスの花言葉くらいは知っているんだからね!」
「ふむ、嫌な予感がするけど言ってみな」
「えーと、『咲かなかった』」
「たぶん元ネタはミスチルの楽曲の歌詞にある『コスモスの花言葉は咲かなかった』だと思うんだが、マイナーすぎる曲だから誰にも伝わらないし、花言葉が『咲かなかった』なわけないだろ! あれはそういう文学的表現だ!」
ツッコミが長い! 思わず天狗のお面をかぶって岩崎くんの顔を叩きそうになった瞬間、ガラリと部室の扉が開いた。
「ってオィイイイイイイイイ! それミスチルの歌詞まんまじゃねえかァアアアアアアア! 桜井さんですか? 桜井さん気取りですかァアアア?」
肩まで伸びた黒髪に前髪はぱっつん、そして、丸メガネが印象的な女性が、大きな声をあげて入室してきた。
ぼくと岩崎くんはその顔に似合わない大声にビビり散らしながらも、顔を見合わせて「見なかったことにしよう」という判断を下した。
「誰が言い出したかわからないで言えば、手を二回叩いてチャージかビームかガードか選ぶ対戦ゲームとかって、なんでどこの小学校にも伝わっているんだろうね」
「不思議だよな。親指をいっせーのーせで立てるゲームとか、人差し指を叩き合うゲームとかな」
「『あるぅ貧血 森のな浣腸 熊さんニンニク 出会ったんこぶ』みたいな森のくまさん替え歌とかの歌もこの仲間かな。」
「俺のところだと『あるぅヒンバス』だったからやっぱ地域性出るなあ」
「えっホウエン地方在住なの?」
「ってアレ? 私のこと見えてない? わざとだよねえ! わざと無視してるだけだよねえ!」
「地方ネタと言えば、お前ってあのたい焼きみたいな生地に包まれたあんこが入った円柱和菓子のことなんて呼んでいた?」
「御座候」
「そんな呼び方するやつこの世にいねえんだよ! 今川焼か回転焼きか大判焼きだよあれは!」
いるもん。呼んでいたもん。
「ってオイィイイイイイイイイ! 誰が回転焼きみたいなメガネだ! メガネなんだから回転焼きみたいな形になるに決まっているでしょうがあああ! たい焼きか? たい焼き型のメガネをかければいいんですかァアア!」
うるせえ。
岩崎くん、この女うるせえ。
……それにこのツッコミ、どこかで聞いたことがある気がする。
この、本家はたぶん面白いんだろうけど絶対に真似しちゃダメな、千鳥のノリみたいなツッコミ……これは……。
「銀魂みてえなツッコミをする女だな」
『ぎ』んたまみたいなつっこみをするおんな。
ゲッ! もしかして今回こんなオチ? と思って焦ったけれど、話はまだまだ続きそうだった。というか何も始まっていない。
っていうか大学生にもなってこんな典型的なおもんないツッコミしちゃう人いるんだ。
「本家はすげえ面白いのにな」
岩崎くんがぽつりとつぶやいてから、諦めたように首を振った。
「で、何の用だ?」
「ふん……やっとこさこっちを見てくれたじゃねえか」
「普通に喋れ」
「はい」
なおも芝居がかった口調で話そうとする女をひと睨みで更生させ、岩崎くんは彼女の話を聞く姿勢に入った。ぼくたち民間伝承研究会には時折こんな風に相談が舞い込んでくる。相談者はたいてい、現在の科学では解決できないような不思議な現象に巻き込まれていて、ぼくたちは怪異や都市伝説の専門家擬きとして、それらの現象を解決してきた。事件を解決したことにより、知名度が上がり、また相談が舞い込んでくる。そんなループをぼくたちは捌いている。
「実は、彼氏が行方不明になったんです」
「……ふむ」
「彼氏は私の家に半分住んでいるような感じだったんですが、ある日突然帰ってこなくなたんです」
「それは単純に自分の家に戻ったとかそういうのではなく?」
「メッセージを送っても返事がなく、連絡が取れていないのでそういうわけじゃなさそうです」
「……」
どう考えてもこの女性が振られただけだった。とうとう、ただの痴話喧嘩の相談までされるようになったらしい。
ぼくは三度岩崎くんと顔を見合わせて、ため息をつく。
「あのさ、そういう悩み事は友達とか先輩に相談しな?」
「違うんです。そんな、ただの痴話喧嘩みたいに流さないでください。私たちはまだ好き同士で、彼がいなくなるまでずっと一緒にいたんです。絶対何かの事件に巻き込まれたんですよ」
「だったらなおさら、警察とかに相談しな」
「それはっ……」
「申し訳ないがうちは不可解な現象専門でね。個人の人間関係には首をつっこめないし、世間を揺るがす事件にも首をつっこめない。だからもっと相応しいところに相談してくれ。それとも何か? 事件前後で何か変わったことでもあったのか? 書置きとかさ」
岩崎くんは変に優しいから、こういう風にいらん首を突っ込んでしまうことも多い。
どう考えても男女関係のもつれだから、なにも聞かずに帰らせるのがいいと思うんだけどなあ。
「……ひとつだけ、私の家に増えたものがありました」
「なにが増えたんだ?」
「カクテル用の、シェイカーです。彼氏の荷物が全てなくなっていて、替わりに机の上に置かれていました」
カクテルシェイカー。ぼくの頭に、銀の筒を持って手を振るバーテンダーさんが浮かぶ。誰しもが憧れたことのある仕草だ。
「ふうん? 確かに不思議だな。あんたに覚えはないのか?」
「はい。そして彼氏以外は私の家に来たことがありません」
「つまり、あんたの恋人が置いたか、空き巣が置いたかのどちらかだな。まあ、物を置いていく空き巣なんて笑える存在いないだろうから、十中八九あんたの彼氏が置いたんだろう。バーテンダーだったのか?」
「いえ、ただ私たちはお互いにお酒が好きで、いつもオンザロックでお気に入りのカクテルを一緒に飲んでいました」
ぼくは岩崎くんにバレないようこっそりスマホでオンザロックの意味を調べる。
どうやら、氷を入れたグラスにそのまま注ぐ飲み方らしい。普通知らないよ?
「なるほどな。で、カクテルシェイカーはあんたが欲しがっていたのか?」
「いえ、私も彼氏もそんな凝ったものじゃなくていい派でしたし、いつも同じのを飲んでいましたから本格的にカクテルを作る予定はありませんでした。だから彼氏がシェイカーを買って置いていったのが不思議なんです」
岩崎くんは頭を押さえて、「もう一つだけ質問していいか?」と言った。
岩崎くんが頭を押さえるときは、だいたいあと一つのピースで話が繋がるときだ。女性が頷いたのを見て、質問を続ける。
「さっきからずっと言っているいつも飲んでいたお気に入りのカクテルって、なんだ?」
えー、そこ興味ある?
お酒にあまり興味がないぼくが意味もなく部屋をきょろきょろしたり手相を見たりした。
「ジンライムです。ジンにライムジュースを混ぜただけの簡単なカクテル」
それを聞いて、岩崎くんは「ふぅ~」と大きなため息をついた。きっと彼は今心の中で「ふぅ~(クソデカため息)」と言っていることだろう。
「残念だけど、そのシェイカーはあんたの彼氏からの最後のメッセージだよ」
岩崎くんは自信満々な表情と悲しげな表情を織り交ぜた複雑な顔でそう言った。
「ど、どういう意味ですか?」
「先に言っておくと、あんたの彼氏は無事だ。あんたはただ振られたんだよ」
そういうと彼女は顔を青く染めてから、真っ赤にして怒り出した。
「そんなのどうして部外者のあんたにわかるのよ!」
部外者に相談してきたの、そっちなんだけどなあ。
「オイオイ、あんたさっきの俺たちの会話聞いていたんじゃないのか? ここは民間伝承研究会。そして、カクテルに関する都市伝説、噂話と言えば、カクテル言葉以外にないだろう」
「……どういう意味よ」
「ジンライムのカクテル言葉はもちろん知っているよな?」
だから知っているわけがないよ。
「『色褪せぬ恋』だ。あんたの彼氏がこれを知っていたのかどうかは知らん。けど、ジンライムにはそういう甘ったるい意味合いがある」
「ふん。だったらなおさら私たちが別れるわけ」
「じゃああんたに一つ興味深い話を教えてやろう。ジンライムは文字通り、ジンにライムジュースを混ぜたカクテルだ。じゃあ、ジンにライムジュースを混ぜて、シェイカーで振ると、どうなるか知っているか?」
「はぁ? 材料が同じなんだから同じくジンライムでしょう」
「違うんだなあ、これが」
岩崎くんは不敵に笑ってスマホの画面を突きつける。
「ギムレット。名前くらいは聞いたことあるんじゃないか? 『ギムレットには早すぎる』なんて言う有名なフレーズもあるだろう」
こっちはなんとなく聞いたことがあった。でも当然、材料などは知らない。
「ギムレットは、ジンとライムジュースで構成される」
ん? だからそれってジンライムでしょ?
「ジンとライムジュースを混ぜた液体を、シェイカーでシェイクすることで、『ギムレット』になるんだ。味わいもわかる程度に変化する」
へ、へぇー! 振ると名前と味が変わるって面白いね。ジョアを振りつづけると粘性を持ったヨーグルトみたいになるけどそんな感じかな。
岩崎くんは話を続ける。
「そして、『ギムレット』のカクテル言葉は知っているか?」
だから知るわけがないんだって。彼は一呼吸おいて、小さく呟く。
「『長いお別れ』だ」
「……」
「俺は死別とかを想像したけれど、文字通り受け取ればそれは『恋愛の終わり』って意味合いだ。あんたの彼氏は、いつも一緒にジンライムを飲んでいたあんたにシェイカーを渡すことで、別れの儀式としたってわけだ」
「……」
「……」
部室に沈黙が蔓延する。
それもそのはず、だって。
そんなの許されないだろう!?
いや、別れはちゃんと言葉に出せ。そんな暗号めいた振り方で終わらせないでよ! なんでちょっと凝ったの?
ぼくの頭に次々と疑問や文句が浮かぶ。ぎもんくだ。
しかし岩崎くんは何食わぬ顔で「まあ、ちょっと痛々しい大学生なんてこんなもんだろ」と言った。「別れって言うのはいつだって言い出しにくいものだしな」とも。
君、まともな恋愛したことないくせに。
ぼくが唖然としていると、突然相談者の女性が蹲って泣き始めた。
そりゃあんな意味不明な解答をつきつけられたらそうなるだろうと思ってどうしようかあたふたしていたら、彼女の口からとんでもない言葉が聞こえてきた。
「そっか……そうだよね。私は雅のそういうところが好きになったんだもんね」
まじかこの女。納得したのか。
この女にしてこの彼氏ありというフレーズが頭を過った。
十分程度泣き続けた彼女は、次第に満足したのかすくっと立ち上がって、笑顔でぼくたちに頭を下げた。
「ありがとうございました。これでスパっと未練を断ち切ることができそうです」
「なんだ、やっぱり薄々振られていたことを自覚していたんじゃないか」
「ええ、まあ。でも今回の件でよくわかりました。彼の気障なところは好きでしたが、別れ際、最後の最後まで気障なのは駄目です。そんなに最後を美しく飾るような人なら、遅かれ早かれ私とは合わなくなっていたでしょう」
「……ん?」
「美しく最後を飾りつける暇があるなら、最後まで」
最後まで言わせねえよ?
<『ぎ』むれっとのかくてることば 承諾>
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