15:決着

 体格に恵まれ、狩猟に慣れ、リーチのある武器を持っている。ブランドンは、エルミットにとって、やりにくい相手であった。膂力と身のこなしに関しては、魔物たるエルミットの方が一枚も二枚も上手であろう自覚があるが、炎が広がって倒壊し始めた教会内部は、足場が不安定で走り回るのには不向きである。

 寧ろ、火の中でだらだらと時間を過ごしていたにも関わらず、いまだ建物の形を保っている方が奇跡なのだ。

 居候を始めたエルミットが、慣れないながらも修繕作業を真面目にこなしていなかったなら、とっくにこの古びた教会は潰れ、全員瓦礫の下だったはずだ。それはある意味で、教会を襲撃したブランドンとその被害者、という彼の目論見通りの状況に見えただろう。周りに集まった村人たちが、フィンとジュアンを殺したブランドンに気付いて外側から閉じ込めた、なんて証言すればなおさらに。


 エルミットがそれを根本から叩き潰すには、まず、ブランドンを教会が瓦解するより前に外へと叩き出し、そこでトドメを刺す必要がある。教会で悪事を働いていた男が、運悪く何かの事故で死んでしまった……なんて到底思えないような形で、だ。とは言え、馬鹿正直に入り口から外へ誘導しようとしても、あの男は簡単について来ないだろう。そのくらいは容易に想像できる。


「……めんどくせぇな」


 エルミットは、物事を深く考えるのが得意ではない。小難しい作戦を立てるよりは、腕力で無理矢理解決する方が、よっぽど良い。とにかく、あの図体のでかい男を捕まえて、外に叩き出してやるのだ。早々に戦略を放り出して、エルミットは姿勢を低くした。犬に似た姿の魔物であるエルミットは、獲物を襲う時、いつもそうやって攻撃の機会を窺うのだ。

 一瞬の睨み合いの後、リーチでは圧倒的に分があると理解しているブランドンが先手を取る。山での障害物を切り払うことに優れた山刀は、エルミットが魔物の姿であったなら、大して役に立たない武器だった。ブラックドッグの毛並みは刃を滑らせやすく、さらに首や胸などの急所は黒毛に隠れた外骨格に覆われていて、何よりも足が速い。素早く動く獣の、強固な外骨格の隙間を正確に貫くためには、そのための鍛錬と武器が必要だ。討伐軍の一員でもないブランドンには、そのどちらもない。エルミットが人の姿でなかったなら、勝負は一方的なものになっていたはずだった。

 けれどエルミットは、人の姿だからこその強みも知っている。この村で、人と一緒に、人の姿で過ごしたことで、十分に学習している。人間は、道具を使える生き物だということを。

 ブランドンの、薙ぎ払う一撃を身体をひねってかわし、傾いた身体を支えるついでに、倒れているテーブルの脚を掴む。斜めになったテーブルに無理な力をかけると、軋みを立てるのと同時に、耐えきれなくなった支点で折れる。苦虫を噛み潰したようなブランドンの顔面目掛けて、へし折った勢いのままでエルミットは元テーブルの一部を振り抜いた。


「うぐ……!」


 咄嗟に上体を逸らしたことで直撃は避けられたが、無理に折られてささくれ立った断面の木屑が、ブランドンの顔に数条の傷を入れる。頭部の傷は、小さくても派手に血が流れやすい。案の定、だらりと流れた血が右目に入り、ブランドンは思わずといった様子で片目を瞑る。無理やり上体を捻ったような体勢になっていることもあって、エルミットにとっては格好の隙だった。

 死角になった右側から肉薄しようとするが、魔物の時と比べると、人間の身体は煩わしいほどに遅い。ブランドンも無抵抗ではない。山刀を振る勢いで右腕は掴み損ねたが、構わず更に前へと踏み出して、肩を支点にブランドンの鳩尾目掛けてぶつかる。いちいち確認しなくても、部屋のどの方向に庭に面した窓があるのか、ここで暮らしていたエルミットは知っていた。ブランドンの息詰まる苦鳴を聞きながら、自分より一回り大きな男を、大窓目掛けて投げ飛ばす。


「舐めるな……!!」


 投げ飛ばした瞬間、左肩にガツンと衝撃が走り、一瞬の間を置いて熱と鈍痛。エルミットは奥歯をギリリと食いしばって、自分の声を噛み潰した。魔物の姿であれば、あんな刃物を振り回されたところで脅威になりえないというのに、その驕りが油断を招いたか。窓ガラスが砕け、蝶番が折れ飛ぶ音を聞きながら、エルミットは勢いあまって前のめりになる身体を力尽くで踏みとどまらせる。

 フーッ、フーッと、自分の荒い呼吸を聞きながら、腹に力を入れて、先程壊した窓枠を飛び越えた。


 未練がましく、振り返ってしまいたい気分になる。

 これから崩れ落ちることになる教会の、その中に残されるきれいな赤色を、最後に視界に収めておきたくなる。

 その迷いを押し殺し、エルミットは教会の外、割れたガラスで傷だらけになりながらも起き上がったブランドンに集中した。反撃を貰ってしまったが、あの男を外へと叩き出すことは達成したのだ。残るは、もう一押し。

 傷から血が流れるのに反して、エルミットの見る世界は鮮やかな赤みを増し、身体が軽くなるようだった。


 鼻につく、焼けた血のにおい。乾いた木が燃えるにおい。湿り、かびたような土のにおい。どれもエルミットにとっては好ましい匂いではない。強いにおいにあてられて、嗅覚が鈍るのは不愉快だった。

 けれども、エルミット以上に、ブランドンもまた今の状況を面白くないと感じているようだ。窓を突き破って地面に落ちた際、受け身を取り損ねて足を痛めたのか、身体の軸がぶれている。剥き出しの腕から、裂けた服の下から、大小の傷から流れる血も、確実に彼から体力を奪っていく。

 それでも、血と土埃で汚れたブランドンの顔には、殺意と決意が色濃く宿っていた。


「残念だな。犬の姿に戻れりゃ、お前の反撃なんぞ、痛くも痒くもなかったのに」

「舐めるな……二人の犠牲を踏み躙るなら、村人にまで手を出す気なら……私の命に代えても、倒してみせる……!」


 エルミットは、どうしようもなく気に食わなかった。

 ブランドンが、村の人間が、無意味な犠牲に意味を見出そうとするのが。そこに使命感を燃やすのが。

 全て壊して叩き潰したいと思うほど、気に入らなかった。


「はっ、やってみろ。魔物の俺を殺せたら、お前らの猿芝居にも箔がつくかもな!」


 腹立たしいのに、嬉しいことなど何もないのに。

 牙を剥く口元が笑みの形に似ている気がして、エルミットは自分が笑っているのか怒っているのかも、わからなくなる。

 もはや持久戦を望む余力もないと悟ったブランドンが、雄叫びをあげて山刀を振りかぶり、エルミットに飛び掛かる。愚直なまでの一直線な攻撃を、間合いを外すことで空振らせようとしたところで、背後で瓦礫の燃え落ちる音に気付き、咄嗟にエルミットは横に跳ぶ。間髪おかずに轟音。あのままブランドンに集中して後ろに下がっていれば、屋根の崩落に巻き込まれかねなかった。しかし、横に逃げることも予想されていたのか、返す刀で着地の瞬間を狙って来ているのが殺気で伝わる。横転して手をつく瞬間に力を込めて、大きく跳ねるように飛び退ることで間合いから抜けた。


「く……!」


 フェイントを交えた突撃をかわされ、ブランドンの顔に苦渋の色が濃くなる。

 これほどはらわたが煮え繰り返った気分でなければ、エルミットは軽口の一つも叩いていただろう。しかし今の彼に、そんな余裕は残っていなかった。ただ、目の前の獲物の命を狩り取ることだけを考える。

 残った力を絞り切ったブランドンが、一瞬息を詰まらせて、息を吸うために口を開いたその瞬間、今度はエルミットから間合いを詰める。多くの人間は、息を吸う瞬間に襲われると動きが鈍くなることを、エルミットは経験的に知っていた。

 ブランドンも例外ではなく、わずかな間とは言え、動きが固まる。その隙にエルミットが掴みかかると、二人分の重みに耐えきれなかったように、ブランドンの膝ががくりと崩れて、重心が傾く。信じられないものを見るように目を見開いて、ブランドンが背中から倒れた。その上にのし掛かり、エルミットは大きく口を開ける。ブランドンは、エルミットが次に何をするのか、一瞬で理解しただろう。


「……このっ!」


 ブランドンは肘と手首の動きだけで、首に食らいつこうとするエルミットの口の先へ、山刀の切先をねじ込んだ。即座にエルミットも牙を立てて刃を止める。耳障りな音がして、火花が散った。

 最後の力を振り絞り、ブランドンが獣の口を裂くべく山刀を押し込もうとしているのはわかったが、エルミットも引く気はない。刃に触れた口の端が浅く切れ、鋭い痛みが走るのも構わず、押し返す。

 ──拮抗状態が続いたのは、ほんの数秒だけだった。

 山刀の表面に小さな亀裂が入った次の瞬間、硬質な音を立てて、鍔の根本で刃が折れる。割れた金属片を吐き捨てて、今度こそエルミットは獲物の首に牙を立てた。ブランドンは何事かを叫び、最後の抵抗のようにエルミットの頭を掴んだが、引き剥がすことはできなかった。

 エルミットの口中に血の味が広がると同時に、ブランドンの断末魔に水音が混ざり、自らの血に溺れるような呻きに変わる。最期に大きく、ごぼりと血泡を吐いて、傷だらけの腕が地面へと落ちた。

 完全に生気が消えたブランドンの上から身を起こして、エルミットは顔を顰める。


「いって……まだ欠片が残ってやがんのか……」


 口の中を切った痛みに不満を溢し、血の混じる唾を吐いて、ようやく違和感がなくなった口を袖で拭う。

 そのまま視線だけを巡らせて、二人の死闘に手出しもできず、遠巻きに立ち尽くすばかりの残りの村人たちに、爛々とした赤い瞳を向けた。


「……次だ」


 そう言って、彼らの方に踏み出そうとして。

 持ち上げた足が、まるで見えない糸に引かれたように後ろに滑り、予想もしていなかったエルミットは体勢を崩した。転倒の瞬間、咄嗟に足元を見れば、ズボンの裾を握りしめたブランドンの腕が目に入る。故意か偶然か、死に際に掴まれたままで事切れたらしい。

 けれども、想定外はそれだけで終わらなかった。地面につこうと後ろに伸ばした腕は、何にも触れずに宙をかいた。一体何が起きているのかと混乱するままに背中を打ちつけ、息が詰まると同時に、方向感覚がおかしくなる。まるで頭が下に、足が上にあるようだ。意味がわからないまま、視界がぐるんと回転し、ようやくエルミットは事態を飲み込む。

 まともに鼻が利かないままに動いていたエルミットは、知らず知らずのうちに教会の庭を外れて、崖になった山との境目にいたらしい。少しでも暗くなった山は危険だからと、いつの日にか言われた言葉を思い出していた。これが不幸な偶然なのか、命を賭したブランドンの作戦だったのか、それはもうわからない。ただひとつだけ確実なことは、エルミットは重力に従って落ちるしかないということだけだ。

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