11:埋没
トンネルの土を掘る作業は、サマンサの言った通りの時間に始まったが、集まったのはエルミットを入れて三人だけだった。サマンサ曰く、「人手が足りないので、麓から掘ってもらうのを大人しく待つ」という判断になるのも頷けるほどの人手不足だ。
「お、あんたが噂のイノシシ乗りか」
「やめろ。誰だよ、そんな小っ恥ずかしいあだ名考えたやつ……」
「さあ……誰だろうな。オレはサマンサから聞いたけど」
彼女が犯人である疑いが増した。
あからさまに嫌そうな顔をするエルミットを見て、一緒に作業することになった若い男二人は、不本意なあだ名だと汲んでくれたらしい。
苦笑しながら「悪い悪い」と謝って、人数の割に多めに用意されている道具の一つを、エルミットの方に差し出した。長い木の棒と、平たい金属を組み合わせた、よくわからない道具だった。
「……これ、どうすりゃいい?」
「どうって……ああ、そう言えば記憶喪失だったな。
よし、ちょっと見てろ。こうして、力を入れて土に突き刺して……」
道具を受け取ったエルミットが首を傾げていると、一人が実践し始めた。金属の部分を突き刺し、土を横にかいて退ければ良さそうだ。
見様見真似で構えれば、「よーし、全力でいけー!」ともう一人も横から声援を送ってくる。
言われた通り、エルミットは全力でそれを振り下ろした。
「うおっ!?」
その瞬間、ベキリと嫌な音を立てて、木の棒の部分がへし折れる。
エルミットも、手本を見せていた男も、声援を送っていた男も、全員で固まった。
「……悪い。力みすぎた」
「ハハハ、お前、想像以上に馬鹿力だな! 全力なんて言って悪かった、もうちょい力抜いてやろうぜ。
トンネルの向こうからも掘ってくれてるから、オレたちは上から崩れそうな部分だけ何とかできればいいわけだしさ」
いきなり道具を壊したことで、エルミットはかなり気まずい思いをしたのだが、二人は何がおかしいのか笑っている。人数に比べて道具が余っているお陰か、あまり深刻に思われずにすんだらしい。
エルミットは新しい道具に持ち替えて、今度は余り力を入れずに土に刺す。しかし、どうも力を抜きすぎたようで、金属の先端が少し刺さっただけだった。労働に、というより、力加減に四苦八苦しながらも汗を流していれば、横手から楽しそうな口笛が聞こえてくる。青空がよく似合う、明るい髪色をした男は、最初に声援を送っていた方だ。
「お前、やるなあ! オレとヒューゴを合わせた分より働いてるじゃん」
「ヒューゴ? ああ、あっちの男か」
「そうそう、雑貨屋の次男のヒューゴ。あ、オレはジョンな。羊飼いの三男」
ジョンは聞いてもいない家族構成まで口に出す。
「エルミットは商人なんだよな。街から来る商人って、だいたいの奴はナヨナヨしてるくせに金にだけはがめつくて、あんまり好きじゃなかったんだけどさ。お前はなんていうか、気持ちのいい男だな。サマンサの言った通りだ」
「おいジョン、休憩するならちょっと退いてくれ。お前の足ごと埋めるぞ」
「こら、土かけんなヒューゴ! サボって悪かったって!」
恥ずかしすぎるあだ名を付けられたエルミットとしては、疑惑の中心にいるサマンサがどんな話をしていたのか大いに気になるところではあったが、ジョンとヒューゴが黙々と土を掘る作業に戻ってしまえば聞き出しようがない。
エルミットも二人に倣って、無言で土を掘り返す作業に戻った。
休憩時間になると、村の方から食事を持った女が何人か来ることになっているらしい。
初日となる今日は、フィンとサマンサという、どちらもエルミットの知っている顔がやって来た。
「男ども、差し入れよ!」
「さしいれ、なの。おしごと、おつかれさま」
第一声から性格の違いが滲み出していて、微妙な顔をするエルミットの横で、ジョンとヒューゴは腹を抱えて笑いだした。
「サマンサ、お前、フィンを見習って労いの言葉くらい言えよ。笑っちまっただろうが」
「えー、ゴホン。お疲れ様。ありがたーく食べるように」
「バカ、これ以上笑わすな!」
エルミットは今ひとつ理解が及ばないのだが、サマンサの奔放な振る舞いは、男たちには好意的に受け入れられているようだ。わざとらしく腰に手を当て、ふんぞりかえってバスケットを掲げる彼女の前で、ジョンとヒューゴは笑いすぎて息が上がっている。
その様子についていけないエルミットは、わいのわいのと賑やかな空間から一歩引いて、にこにこしているフィンの方に近付いた。
「フィン。荷物重くなかったか?」
「サマンサおねえさんがいっしょだから、だいじょうぶ、なの。
あのね、ごはんもね、サマンサおねえさんと、つくったの」
「そうか。ありがとな」
はい、とフィンは一人分のバスケットを差し出す。サマンサの方が年上だから、率先して二人分の食事を運んでくれたのだろう。こういうところでも、フィンは村人たちから気遣われている。
エルミットがフィンからバスケットを受け取っていると、横手からサマンサの声が飛んできた。
「ほらあ、今の聞いた!? あんたらこそ、エルミットを見習って、ちゃんと労って受け取りなさいよー!」
「悪かった、悪かったって」
「サマンサもフィンも、ありがとうな」
食事が届いたなら、次は腹に入れる時間だ。
フィンはバスケットとは別に持って来た布を地面に広げて、みんなで座る場所までしっかりと用意している。午前中の作業ですっかり汚れていたエルミットは、別に地面に座ることに抵抗はなかったものの、こうして色々と用意されるのは悪い気がしない。
バスケットの中身もまた、ひとつずつ油紙で包まれた軽食で、食べるときに手の汚れを考えなくて良いのは気が楽だった。
「お、気が利いてるな。ついにサマンサも気遣いのできる女になったってことか?」
「実はそれ、あたしじゃなくてフィンの提案なのよね」
「フィンは成長したら、いい嫁さんになるな……」
「残念だけど……あんたは生まれてくるのが十年早すぎたのよ……」
「なんの小芝居だよ」
やけに息のあった調子で、おかしなやり取りを始めるサマンサとヒューゴに、ジョンが笑いながら合いの手を入れる。今度もエルミットは、打てば響くようなテンポのいい会話について行けそうにないが、彼らの間ではこれが日常なのだろう。
気兼ねなく戯れあっている彼らを見ていると、エルミットはなんとなく、この村ではこんな時間がずっと続いていくように思えた。中には気難しい男も、かしましい女も、悪戯ばかりの子供もいるが、慣れればそれも悪くないと感じるようになるのかもしれない。
教会の食事とはまるで違う、賑やかな昼食が終われば、村に戻るフィンとサマンサを見送ってから午後の作業だ。再び岩やら土からと格闘していると、空が茜色になるより早い時間に、今度は村から壮年の男女がやって来て、夕食になる包みを渡されて解散になった。
まだ明るい時間なのにとエルミットは首を傾げたのだが、少しでも暗くなった山は危険だから、と強く言われたので従うことにする。フィンとサマンサが昼食の差し入れにしか来ないのも、ひとえに、暗くなった山を若い娘が歩くのは危険だからという理由らしい。
トンネルの復旧作業を手伝い始めて二日目も、集まったのはエルミットの他には、ヒューゴとジョンの二人だけだった。一日目よりも少し会話が増えて、サマンサを交えた彼らを見ながらの食事も、いくらか楽しめるようになってきた。最初はにこにこ見ているフィンに、よく付き合ってられるな、などと思ったものだが、一歩離れたところで眺めている分には悪くない。自分が巻き込まれない限りは、ちょっとした観劇をしている気分である。
三日目の解散前には、随分と懐かしい顔を見た。夕食の包みを携えて、村から迎えに来たうちの一人は、以前にエルミットと揉めたことのある宿の店主だった。肩を怒らせ、こめかみに青筋を浮かべていた時とは別人のように大人しい顔で、彼はエルミットの前で頭を下げる。分厚いメガネの奥の瞳は、びっくりするほど穏やかだった。
「エルミットさん。あの時は、あんたを追い出そうとして、すまなかったな。
山で、フィン嬢ちゃんを助けてくれたと……それに今も、あんたが普通の何倍も働いてくれていると、若い連中から聞いているよ。ありがとう……あの時は、本当にすまなかった」
「……気にすんなよ。俺も、荷物とか金とか、全然覚えてねぇから、あんまり話聞く気なかったし」
真摯に謝罪されると、どう答えていいかわからなくなって、エルミットは視線を逸らしながら「気にすんな」ともう一度言う。背中のあたりがむずむずして、どうにも落ち着かない気分だ。
いけすかない気難しい男、と思っていた宿の店主が、こんなに落ち着いた声で話す男だったなんて、今日まで想像したことすらなかった。
エルミットは、日が経つごとに、村から離れがたい気持ちに傾いていくのを感じていた。
それがひっくり返ったのは、復旧作業を手伝い始めて四日目のことだ。
後から思い返してみれば、その日は朝から、少しだけ村の様子が変だった。
山麓の街から掘り進んで来ていた人々がかなり近くまで到達し、大声を出せば話も通じるようになり、そこで何かの伝言があったらしい。外で土を掘っていたエルミットは内容を聞いていないのだが、村へ帰る老人たちを見た時に、顔色が青かったような記憶がある。ただその時は、歳なのに歩き回って疲れたのだろうか、くらいにしか思わなかった。
昼になり、にわかに空が曇り始めた頃だ。昼食の差し入れに来たのはサマンサ一人で、二人揃って家の用事で呼ばれたというヒューゴとジョンを連れ、先に村に戻って行った。一人で残ることになったエルミットも、「雨が降るかもしれないから、お前も早めに戻れよ」と言われたが、村での用事もないので、雨が降るまでは作業をしておこうと思ったのだ。
一人で黙々と土を掘るべく道具を突き立てていた時、おかしな手応えがあった。土ほど柔らかくなく、しかし石に当たった時のように跳ね返される感覚はなく。ぐにゃりとした弾力のある、何か、としか言いようがない手応え。
不思議に思ってその辺りを掘り返してみたエルミットは、そこで予想外のものを見つけてしまった。
それは、男の死体だった。
しかもエルミットは、どういうわけか、その男に見覚えがあった。
今にも空から冷たい雫が降って来そうな、そんな空模様だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます